ひとりじょうず | ナノ




第三章
   └二



心地いい静寂が部屋を満たしていく。




(この前の騒ぎが嘘みたい)



―彼女はもう新しい町で新しい日々を過ごしているだろうか?



あの…

あの木の苗は、彼女に寄り添うように風に揺らいでいるだろうか…




「美園ちゃんと心太くん…今頃どうしてますかね」

『……………』



何気なく言った一言で、薬売りさんの目がぱかっと開いた。



『…そう言えば』

「はい?」

『あの時は随分と責め立ててくれましたね』

「………っ!」




薬売りさんがごろりと体勢を変えた。

仰向けになって向き合うように私を見上げる。




「あ、あの、薬売りさん。あれはですね…痛ぁ!」



思わず身を引く私の顎をガッと掴んで、ニヤリと唇を歪めた。




『何をあんなに怒っていたんだか…』

「う…っ」

『確か…薬売りさんの助平…それと、薬売りさんの女好き、でしたか?』

「い、痛い…っ!!」




穏やかだなんて、ほんの束の間…



(短い幸せだったなぁ…)



いつもの意地悪な笑いを浮かべながら爪を立てる薬売りさんを見ながら、私は涙目でそんな事をぼんやり考えてた。




『まったく…助けてくれた恩人に向かって。不躾ですね』

「だ、だってあれは…!薬売りさんが西通りのお館様と…」

『…何です?』

「えーと…い、いかがわしい事を…してたみたいだったから?」





うぅ…


自分で言ってて恥ずかしい。




『ほぉ…』

「わ…!」



薬売りさんは目を細めると、掴んでいた顎をそのまま引き寄せた。

前のめりになった私のすぐ真ん前で、薬売りさんの端正な顔が笑う。




『結が嫉妬、とは』

「な…!違いますよ!!」

『では、なぜ?』

「〜〜〜っ!」





絶対、からかって楽しんでいる。

間違いない。




でも、私の体はまるで石になったように動けなくて。

再びうるさく脈打ち始めた心臓がうるさい。




(だ、だめだ…このままじゃ…!)



薬売りさんの唇が、もう目の前にある。





「………あああぁ!!!」




ごんっ




『っっ!』

「私!絹江さんに頼まれ事があったんでした!!!」




急に立ち上がった私を、薬売りさんが後頭部をさすりながら睨みつけた。





『膝から落とすとは随分といい度胸ですね…』



明らかに怒りに満ちた目つきで、薬売りさんがゆらりと起き上がる。





(ひぃぃ!!怖っっ!!!)


「じゃ、じゃあ薬売りさん、また後ほど!」

『待ちなさい、この馬鹿者…』




私はそそくさと襖に手を掛けると、一目散に部屋を出ようとした。




「お説教は後で…ぶっっ!」




どしんっ





「きゃあ!」





衝撃と共に鼻に痛みが走る。

誰かにぶつかったのだと理解するまで、そう時間は要らなかった。




「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」



私はぶつかってしまっただろう相手に向き直った。





「いたた…大丈夫よ、あなたは?」



尻餅をついたその女性は、眉を下げながら笑って見せた。

すぐに手を差し延べて、彼女が立ち上がるのを手伝う。




「本当にごめんなさい、怪我はありませんか?」

「大丈夫よ!そんなにやわじゃないわ」




明るくケラケラと笑う彼女につられて、思わず私も笑顔になった。



(元気な人だなー)


「ここに宿泊されるんですか?」

「えぇ、今日から2日だけね。あなたも?」

「はい、あ、私は…」





すぱんっ




他愛ない話をしながら彼女の落とした荷物を拾っていると、背後で勢いよく襖を開ける音。




『…何をしているんです』

「……!!」



冷たいその声に、思わず息を飲む。





「く…薬う…」

「薬売りさん!!!」



(…え?)





私が振り返るより先に、声が飛んだ。


驚きを隠せないまま、その声の主を見やる。




『…加世(かよ)さん…!』

「覚えていてくれたんですね!あー、懐かしい!」



そう言って彼女…加世さんはとびきりの笑顔で薬売りさんに飛びついた。






(………っ!)



私はただ呆然としながら薬売りさんに抱きつく加世さんと、珍しく表情を変えた薬売りさんを見つめていた。



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