最終章
└十三
「もっとお湯沸かして!ほら旦那さん!ぼやっとしてないで!!」
「は、はい!!」
私が絹江さんの部屋に向かうと、産婆さんの慌しい声が飛び込んできた。
庄造さんはひぃひぃ言いながら、産婆さんの指示通りにバタバタと走り回っている。
(い、いいのかな…)
物々しい雰囲気に飲まれそうになりながら、私は部屋の中を覗いた。
「き、絹江さん…?」
覗き込むと、絹江さんははぁはぁと息を荒げながら横たわっていた。
彼女は私に気付くと、眉を顰めながらニッと笑う。
そして私に向かって手招きをした。
おずおずと絹江さんに近寄ると、産婆さんが私をバッと見た。
絹江さんは産婆さんに向かって「あぁいいのいいの!」と手を振った。
「はぁっはぁっ…よ、かった来てくれて…っ」
「絹江さん…!苦しい…?」
額に汗をたくさん浮かべつつも、彼女は笑う。
「そりゃ…はぁっ苦しいわよ!人間を一人…っこの世に産み出すんだか…らっはぁっふぅーーーーっ!」
絹江さんは荒い息を整えるように、時折深呼吸をした。
傍らに座りながら、私は思わず彼女の手をギュッと握った。
すると絹江さんは私に笑顔を向ける。
でもその顔はすぐに泣き笑いのようになった。
「き、絹江さ…」
「ねぇ…結ちゃん、知ってる?」
絹江さんは視線を自分のお腹に向けて続ける。
「赤ちゃんってさ、お腹の中でお母さんと繋がっているんだって」
「繋がって…?」
「そう、ずっと繋がってるんだってさ。だから…産まれてからもお母さんにしか気付けないことがたーっくさんあるんだって」
(お母さんにしか…気付けないこと…)
どきんっ
絹江さんの言葉が、私の胸に刺さる。
「ほら、絹江ちゃん!しっかり息して!あんたが頑張らないと赤ちゃんが苦しいよ!」
産婆さんが絹江さんに向かって大きな声で呼びかけた。
それでも絹江さんは息を切らしたり、途中でいきみながら私に話し続ける。
苦しいのか痛いのか、その表情は辛そうに歪んだ。
「絹江さん…!苦しい?もうお産に集中して…!」
私は不安と心配に押し潰されそうになりながら、絹江さんに言った。
でも絹江さんはぶんぶんと首を振ると、再び私を見て泣きそうな顔をする。
「…人間って馬鹿だね。こんな苦しい思いして子供産むのに…段々と忘れちゃうんだろうね」
「……っ!」
「この苦しみを忘れなければ……」
ここまで言って絹江さんの目尻からスッと涙が零れた。
「大事な大事な子供に…我慢なんかさせないのに…!」
「き、ぬえさ…」
絹江さんの顔が悲しく歪む。
私の手を握る力が、ぎゅうっと強くなった。
「結ちゃん…お母さんに気付いて欲しい事…たくさんあったよね…っ」
「あ…っ」
「聞いて欲しい事たくさんあったよね…」
自分の手が震えるのがわかる。
でも絹江さんはそれを抑える様に更に強く手を握ってくれた。
「…辛かったね…でも、もう…いいんだよ…」
「…ぅあ……っ」
「もう、ちゃんと怨んでいいんだよ、結ちゃん…っ」
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