第九章
└五
― 二ノ幕 ―
「ただいま」
高く昇っていた太陽が傾きかけた頃。
白夜が洞穴へ帰って来た。
「ビャク、遅かったね」
「あぁ…ちょっとね」
飛びつくように近寄るベニちゃんに目も向けず…
(白夜…?)
彼は苛立ちを纏っていた。
「………」
「…っ」
ふうっと息を吐いた白夜と、一瞬目が合う。
朝見た様子とあまりに違って、私は思わず肩を揺らしてしまった。
「……薪…足りるかな…」
(あ……)
白夜は少し淋しそうな顔を見せると、洞穴の外に向かって歩いていく。
「ビャク…!」
「あ…!白夜…」
背中を向けた白夜を、ベニちゃんが慌てて追いかけていった。
洞穴の中に一人取り残されて、急に静寂が襲う。
(…このままじゃ…駄目だ…)
涙が溢れそうになって、私は唇を噛んだ。
きっと、白夜が苛立っているのは煮え切らない私のせいだ。
彼は私のためにここまで私を探しに来てくれた。
…少なくとも、"普通の女の子"だった私も"夜叉"のような私も。
全て知った上で、私を受け入れてくれているんだ。
「………っ」
ぐらぐらと頭が揺れるように、自分が定まらないのは何でだろう。
暮れていく空のせい?
逢う魔が刻が、私を惑わせるの?
「……っく…」
どんなに心に決めても、涙を流して心を痛めても。
赤に近い橙に、あの鮮やかな青が混じる。
でも…
私が迷えば迷うほど、白夜を傷付ける。
(…私…我侭だ…)
あの日、私に手を差し伸べてくれた薬売りさん。
あの絶望から私を救おうと、探していてくれた白夜。
明るく傍にいてくれるベニちゃんや、絹江さん、庄造さん…
それに弥勒くんややたさん。
そして秀ちゃんとよし乃ちゃん…
みんなみんな優しいのに。
誰もが他人の私のことを考えてくれているのに。
私は自分のことすらきちんと決められない。
…私だけが、優しくない。
「…ひっく…ぐず…っ」
せめて、せめてもう泣かないようにしなくちゃ。
本当はもっとたくさんするべきことはあるはずなんだけど…
たぶん、今の私にはそれが精一杯だ。
私は着物の袂で目元をグッと拭うと、心の靄を振り切るように自分の頬を両手で弾いた。
――洞穴の外。
白夜は切り立った岩壁に凭れながら、ぼんやりと橙に染まり始めた空を見ていた。
眉間に深く刻まれた皺は、怒りとも悲しみとも取れる。
「…ビャク…」
紅星がいつもと様子の違う白夜を心配するように身を寄せた。
摺り寄せられた鼻先を、白夜はそっと撫でる。
「ねぇ、いつまでここにいるの?」
「……うん…」
「はやくどこかへいこうよ」
悲しそうな紅星の声に、白夜は視線を彼に向けた。
紅星は今にも泣きそうな顔で、更に白夜に身を寄せる。
「結が…わらわないんだ…ぜんぜんわらわないんだよ」
「ベニ…」
「はやくさんにんでどこかにいこう?そしたら、結だってたのしくなるでしょ?」
ペタンと耳を倒した紅星を見て、どうしようもない悲しみに襲われ…
白夜はふわふわな体を、ぎゅうっと抱きしめた。
「…ごめんベニ…」
「…ビャク…?」
「結が笑えないのは…ごめん、僕が…迷ってるせいだ…」
白夜の瞳は赤く滲む。
夕陽の橙が差し込んで、それが妙に悲しく見えた。
「でも…もう見限るよ」
「え?」
「ううん…もう、いいんだ」
白夜は腕の力を緩めると、不思議そうにしている紅星の鼻先を擽った。
紅星は気持ち良さそうに目を細める。
「…早く行こう、三人で。結が安心して笑えるところに…」
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