第八章
└十三
朝日が昇る自室で、結は一睡も出来ずに膝を抱えていた。
母は、自分の話を聞いてくれるだろうか。
自分が話すことにあよって、あの男と母の関係はどうなるのだろう。
それに幼い弟は…
"お前は俺の物だ"
不意に邦継の声が耳元で聞こえた気がして、結は自分の肩を抱きしめた。
一瞬、結の頭に迷いが過ぎる。
私が我慢していれば、母と弟の幸せはこのまま続いていくのではないだろうか…
「………っ」
そんな事、出来る訳が無い。
それに…白夜も言っていた通り、お母さんなら…
少しでも自分を大切に思ってくれているなら、どうしたらいいか、きっと一緒に考えてくれるはず。
"結は僕の宝物だから"
父の言葉が、結の背中を押した。
「…話してみよう…!」
意を決した結は、自室を出ると台所へと向かった。
廊下からそっと覗くと、榮をおぶって朝餉の用意をしてる母の姿が見えた。
榮はまだ眠っているのか、母の背中にくっついて大人しくしている。
「…あら、結。おはよう」
「お…おはよう、お母さん…」
母は佇む結の姿に気付き、いつもの優しい笑顔を浮かべた。
しかしそれとは裏腹に、結の心臓は痛いほどに騒いでいる。
「お、お母さん…あのね…」
いつもと様子の違う娘に、多恵は首を傾げながら見つめていた。
「どうかしたの?あ、お漬物切ってくれる?お母さん、お味噌汁…」
「お母さん、私、話があるの…!」
青ざめた結の顔を見て、多恵はどこか後ろめたげに視線を逸らした。
「な、なぁにー?話なら後で聞くから…榮がびっくりして起きちゃうわ」
「後じゃ駄目なの、お母さん!」
「もう大袈裟ねー、ほら、いいからお手伝い!してくれるんでしょ?」
のらりくらりとかわす母に、結は拳を握った。
「…お母さん!!」
「!!」
縋るように搾り出した声は、裏返って台所に響く。
ビクッとして手を止めた母。
結の声にびっくりしたのか、榮はちょっとだけむずがっていたが、起きる気配は無い。
しんと静まり返った空間に、釜が煮える音がぐつぐつと小さく響いた。
「…くに…お、お義父さんの、ことなの…」
「…………っ」
「お母さん、私…私…お義父さんに…っ」
結が目に涙を溜めて、喉を詰まらせながら母を見れば。
「やめてっ!!!」
「……っ」
急に出された大きな声に、結が押し黙る。
「んー…ふぇ…っ」
「あ………」
それに少し遅れてとうとう榮が泣き出してしまった。
「…あぁごめんね、びっくりしたねぇ」
「ふえぇん」
榮をあやす様に体が揺らしながら、母が優しい声を出した。
「お、おか……」
「結…」
多恵は一向に結を見ようとしない。
そして彼女に背中を向けながら、静かに言葉を続けた。
「…今の…この幸せな生活があるのはあの人の…邦継さんのお陰よ、わかるでしょう?」
「お母さ……で、でも…!」
「結だってお父さんが出来て嬉しかったでしょう?榮だってほら、こんなに可愛くて…お姉ちゃんが大好きで…っ」
微かに母の声が震えている。
結は眩暈に似た感覚を覚えた。
「彼は…きっと私なんか簡単に捨てる…」
「…それは……」
「せっかく…!せっかく"家族みんな幸せ"になれたのよ…!」
そして母は小さく囁く。
それは母にとっての自己弁護であり。
結にとって、何かがの壊れる音。
「…私には…どうもできないのよ…わかって、結……」
「………っ」
ふしゅぅっと大きな音が聞こえて、鍋が噴き出した。
榮がまだむずがって泣いている。
「…………」
相容れない不協和音は容赦なく結を襲って。
結は何も言わないまま、母の背中から視線を逸らしてその場を立ち去った。
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