第五章
└十二
柔らかな風が少しひんやりし始めた頃。
「んんー…っ!腰が痛い…!」
ずっとしゃがんで作業をしていた私は立ち上がって大きく伸びをした。
気が付けば、青空はやや橙が混じって暮れ始めている。
「あら、もう暗くなるわ。二人とも今日はここまでにしてちょうだい?」
弥生さんが花壇に近づきながら声を掛けてくれた。
「まぁ…!一日でこんなに綺麗に…!」
嬉しそうに目を細めると、私達に向かって頭を下げる。
「本当にありがとう…牡丹たちもきっと喜んでるわ」
「そんな…」
「そうだ、お賃金はどうする?毎日お渡ししたほうがいいかしら?」
「あ、いえ!最後の日でいいです!」
私は弥生さんの申し出に、恐縮しながら手を振った。
「あら、そうなの?」
「はい…あの、実は私、働くの初めてで…」
「まぁ…」
「だから、やり遂げてからお賃金を頂く方がありがたみを実感できると言うか、達成感を得られそうな気がするというか…」
慌てて話す私を見て、弥生さんは優しく微笑んだ。
「とってもいい事だと思うわ」
「あはは…お恥ずかしい…」
「そんな事無いわよ!私も初めて仕事をした時にそんな風に思えたらよかったわ」
「え…っ!」
弥生さんの思いがけない言葉に、思わず驚きの声を漏らしてしまった。
「や、弥生さんってお仕事されてたんですか?」
「えぇ?」
「あ、だって、すごく品があるし…どこかのお姫様みたいだから…」
…思えば何て失礼な質問をしてしまったんだろう。
でも、そんな風に思うには十分すぎるくらい、弥生さんは気品溢れた人だったのだ。
「ふふっ、主人と出会ったのも働いてるときなのよ?」
「そ、そうなんですか…」
弥生さんは、フッと牡丹を見ながら風に流れる長い髪をかき上げた。
「…早く、見せてあげたいわ…清四郎(きよしろう)さんにも…」
「…………」
…ご主人の名前だろうか。
そう聞いてみたかったけど、弥生さんの横顔が綺麗過ぎて、その瞳に涙が滲んでる気がして…
私は言葉を飲み込んだ。
「…結」
「あ…弥勒くん…」
弥勒くんは少し気まずそうな顔をして、私の袖を引いた。
「帰ろう」
「う、うん…弥生さん」
そう言って再び彼女を見ると、彼女は夕焼けを背に、にこりと笑う。
「ごめんなさい、引き止めちゃったわね。ご苦労様、明日もよろしくね」
「はい、じゃあ失礼します」
私達は、ぺこっと頭を下げると庭を出た。
「――っ!」
ふと視界に入った縁側から見える部屋。
一瞬何かが動いた気がした。
「み、弥勒く……あっ!?」
私が問いかける前に、弥勒くんは私の手を引いた。
「もう帰ろう、腹減った」
「え、えぇ?そっか、そうだよね」
(……気の…せいだよね?)
私は思わず自分の目をこする。
「…………」
こっそり振り返って、再び家のほうを見るとやはり何もいない。
無意識にホッと息を吐くと、私は弥勒くんと帰路に着いた。
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