番外章(三)
└十三
扇屋に着くと、一呼吸おいてから部屋の前に立つ。
『………』
再び襟元を正すと、ようやく襖を開けた。
部屋を見回せば、窓辺に小さな影。
窓辺に凭れながら、うつらうつらと船を漕ぐ結…
音を立てないように近づきそばにしゃがむと、その白い頬が濡れていることに気づく。
『…結…』
「………」
それを拭おうと指を伸ばしたところで、俺はその指を引っ込めた。
『……………』
触れるわけが無い。
ついさっきまで汚れていたこの指で、彼女に触れるわけなど無い。
『…結、起きなさい』
触れる代わりに、声を掛けるとすぐに長い睫毛が揺れた。
「ん…?あ…薬売りさん…おかえりなさい」
『…ただいま……こんな所で寝ていたら風邪をひきますよ』
寝ぼけ眼をこすりながら、結は小さく欠伸をする。
その様子を微笑ましく眺めていると、結が俺をじっと見上げた。
『…………』
ぎゅっと、胸が締まったのは罪悪感からか、それとも…
「薬売りさん、私、話したいことが…」
『……いいから、もう寝なさい』
「で、でも…!」
結の顔をまっすぐ見られないまま、俺は静かに立ち上がる。
『…………』
君を泣かせたい訳じゃない。
淋しい思いをさせたのも、わかっている。
朝焼けの中、白い蝶を捕まえたあの日から…
いまこの世界で、君が縋れるのはこの汚れた手しかないのも。
『…わかっています』
「え……」
『もう、出掛けるのはおしまいです』
振り返ってそう告げると、結はあからさまに嬉しさを滲ませた。
「ほ、本当ですか?」
『…本当ですよ』
「…そうですかぁ…」
へへっと笑う結。
俺はそれに微笑んで返すと、
『風呂に行ってきますから。寝てなさい』
そう告げて、再び背中を向けた。
「はぁい」
間の抜けた結の声に、振り返らないまま笑う。
部屋を出て、やけに落ち着く茶色い階段を下りる。
『……ずっと、一緒にいますよ…』
―そして、それぞれの夜は更けていく―
― 番外章・あなたについて思うこと 了 ―
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