どこからともなく現れた影が、カルラの腕を引いた。
促されるまま椅子に座った彼女の前に影は跪いて、いつかしたように彼女の腰を抱き、お腹に頬を寄せ瞼を閉じる。
「影ちゃん?」
すりすりと寄せられる柔らかな感触。
また甘えているらしい。
なんだか、前に空き教室でキスをされた時からただただ触れ合うというコミュニケーションの頻度が増えた気がする。
前よりもずっと懐かれているような……。気のせいかな。
そんなことを考えながら、そっと手を伸ばして影の頭を撫でていたカルラは、しばししてから膝の上から顔を見上げてくる影に問いかける。
「どうかしたの、影ちゃん」
影は無表情のまま、ぱくぱくと口を動かす。
けれど、音の伴わないその行為はカルラには難解だった。
影が何を言っているのかが分からない。
影はいつにもなく一生懸命に、ゆっくりと一文字、一句、わかりやすいように区切ってそれをする。
ただ、カルラにはせいぜい母音を読み取ることくらいしかできずにいて、まゆを下げて困った。
影は『う』と『い』を主に形にしているようだ。
「…何か、私に伝えたいことがあるんだね?」
訊ねたら、影は一つ頷く。
「うーん、ごめんね影ちゃん。口じゃ分からないや…。猫市ちゃんに頼んでみたらどうかな。そうしたら喋れるよね?」
しかし、影は首を横に振った。
「どうして?」
「……。」
訊ねたところで、影は語る術を持たない。
じっとカルラを見つめたまま、繰り返す。
『あ』『あ』『あ』『あ』『い』
『う』『い』
『あ』『う』『あ』
『え』『お』『い』『い』
『う』『い』『い』
『う』『い』
きゅうと抱きしめる力が強くなって、影はまた顔をお腹に埋めてしまった。
………。
これは、難題だ。
猫市ちゃんに詳しく聞いたほうが良いんだろうか。
とりあえず、影ちゃんが頑張って何か言おうとしているのはわかった。
「うん、今は分からないけど、きっとわかるようになるね。だから、また聞かせて、ね?」
いつか、影ちゃんの伝えたいことが、難なくわかるようになればいいなと思いながら、カルラは影をそっと抱き返した。
2015/06/12
くちぱく影ちゃんと、カルラちゃん。
「あたたかい、すき、かるら、ねこいち、つぎに、すき」