ひたひたと迫るものがある。
帰り支度をするノアールへ向けて歩いていく、一つの黒い布に包まった人間。
2年1組の扉を開けて生徒の好奇の目をもろともせず、自作のであろう黒マントを被った彼女は長い木の枝を杖のようにして持ちリズムよくコツコツと床をついて進み、非常に堂々としている。
頬には赤ペンで塗ったのかいびつなΣマークが刻まれていた。
そんな怪しい人物は、ノアールの机の横に経つと、バッと勢い良く両腕を広げた。

「闇を宿しし我が愛しの君よ!」
「……。」

ノアールは無視した。

「春嵐吹き荒れる今日この日を待ち望んでいたぞ!さあ、その黒鞄の中に収めた私への贄を……ってちょっと待って!まだ終わってない!」

口上を述べる彼女を置き去りにして彼は鞄を持って廊下へ出た。慌てて追いかける彼女の木の杖が机にひっかかり、ぼきりと折れる。舌打ちしながら彼女は走った。あれでいて彼は逃げ足が非常に早い。

靴箱でやっと追いついた彼女は、ずれた黒マントを踏んづけて転びそうになりながらもノアールの前に再び立ちふさがった。

「退け」

低く言う彼に若干ビビりながら、しかし、彼女は引かなかった。

「断る!ノアールさん、話を」

「先日の占術同好会なるものへの加入はその場で断ったはずだが?」

「そうではなく」

「ならば、弟子に迎えよという非常識な申し出か?まともに魔素の一つでも身に着けて…」

「じゃなくて!今日は、なんの日がご存知で?ホワイトデーですよ?」

「ホワイトデー?…それが、どうしたというのだ。」

「……。」

がっくり来た。
しかし、鋼鉄の精神を持つ彼女はめげなかった。
心底興味の無さそうな紫色の視線に晒されながら、言い募る。

「おかえし、とか。ないです?まぁ言ってみただけですが。……わたし、あなたに告白したんですけどねー…」

「……。ああ、そうであったな。だが、それも断ったであろう?」

「う……っ」

あっさりきっぱりすっぱりはっきり簡潔に断られたあのシーンを思い出して、ぐぬぬ、と唸った。
自作の惚れ薬入りチョコは一応受け取っては貰えたが、一つ食べてくれと言った私の前で袋を解いて顔を顰めて一つだけ口に含んだ彼は、あの後も残りは絶対に食べてくれなかったのだろうと簡単に予想はつくし、実際、彼に惚れ薬の効果はない。

「おのれ邪神め!御籤で今日いけば、色よい返事がくると書いてあったのに…!」

握りしめられてくしゃくしゃになった白い紙切れがぽいと捨てられた。
ノアールは素早く文字を見留める。
彼女を唆した当の邪神の化身は靴を履き替えて、対峙している二人を横目で見て嘲り通り過ぎて下校していった。


この困った彼女をどう穏便にあしらおうかとノアールは考えていた。
少しの間忘れてはいたが、確かに心の一端を受け取ったのだから、それは返さねばならないだろう。
心に秘める深く鮮やかな部分を恐れず自ら晒す人間に、ノアールは優しくすることに決めている。

ふう、と溜息をつく。
ポケットを漁ったが適当なものは持っていなかった。

「手に持っているその枝をこちらへ寄越すがいい」

「え?…我が"世界樹の枝杖"をどうするつもりだ!」

「黙って渡さねば、金輪際、貴様には関わらぬ」

「ごめんなさい」

折れた枝をノアールに差し出す。
受け取った彼は数回振って、口の中で小さく何事かの言葉を唱えた。
不思議なことに、たんなる偶然かもしれないが、その行為に合わせて、ふわりと春風が頬を撫でて彼の銀色の綺麗な髪を靡かせた。
その光景に彼女は見とれる。やっぱり、彼は、他の凡人と違って、特別で、とってもかっこいい。

「……この程度でよかろう。」

ノアールは薄く魔力を流し、一度だけ効力を発揮する呪いをかけた枝を彼女に返した。

「その枝は、一度だけ貴様を祝福するであろう。大切にもっていることだ。」

「しゅくふく…」

「バレンタインの贈答はこれで終いであろう。暫くは大人することだ。」


ぽわんとして杖を受け取った彼女をさっさと置いて、ノアールは下校した。
彼女は薬師としては非常に優秀なのだろう、あの惚れ薬は本物であったためノアールは魔力に変換し、丁寧にお返ししたまで。
まったくどうしてこんなことにと思いながら、甘く痺れた魔力が残る指先を服で拭う。


次の日、彼女が白いエプロンを幾重にも巻きつけ"春華風雨の白巫女"として家庭科の時間に降臨し、一人の男子生徒の頭を枝でしたたかに張り倒したり、調理実習の炊飯を消し炭に変えたりと、ノアールほか学園生徒を辟易とさせた。
そんなこんなで順調に抉らせた彼女だが、ノアールの祝福は確かに発揮され、黙ってれば笑顔が可愛いとある男子生徒と恋に落ちるのは、もう少しだけ先の話である。



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