「皇先生、入りますよー…っと。」

「今日も時間通りですね、ようこそ鹿尾菜さん。いつも通りにそこへ腰掛けてください。」

「うん」

鹿尾菜は素直に従う。机の横の丸椅子に腰掛けた。
そして、皇に差し出された紙コップを手慣れたように受け取って、ぐっと呷った。
すこし粘り気のある液体が喉を通りすぎていく。

「うっへぇ。また味変わった…」

顔を顰める鹿尾菜に皇は怪しく微笑んだ。

「ふふ、日々改良を重ねていますからね鹿尾菜さんのために。」

「ふーん。で、これ、効いてるのか…?飲み始めて一週間くらい経ってますけど?」

「ええ、もうすぐ、効果が実感できますよ。」

「嘘だったら許さないからな」

「生徒を騙すだなんて、そんな。とんでもありません。」

別のコップに口直しの水を注ぐ。その中にも皇ご自慢の薬を溶かしこんであった。
鹿尾菜は疑いもせず、それを飲み干す。

「……あれだけ警戒をしていたのに、飲み物まで受け取ってくれるようになって。嬉しい限りですね。」

「ま、一応協力するって決めたしな。」

最初、皇が鹿尾菜に目を付け、実験の協力を依頼したときは逆に彼女に身体を迫られたり、何もかもを胡散臭がって蹴散らして手こずったものだが…。
今ではこのとおり、とても協力的だった。もちろん、皇がそう仕向けたのである。

鹿尾菜は先月から運動においてずっと不調が続いていた。
ボールを蹴っても思い通りの軌道を描かない。ボールの内部に取り付けられた極小の機構がそれを変えていると誰も気が付かず。
ここぞというところでボールが手から離れなかったり、上手くバットをスイングできなかったりする。
走るだけでも、やけに足が重かった。
運動音痴になったみたいだ。疲れているのだろうか、と鹿尾菜は密かに首をかしげていた。

そこへ、皇が現れたのだった。
「部活動の助っ人を最近してないんですか?人が足りないと各部の人たちが困ってましたよ」
そう言われてしまったら、「もしかして、身体のメンテナンスは怠っていませんか」という皇の言葉に耳を貸さずにはいられなかった。

それから、皇の熱烈な勧めもあって、鹿尾菜は「栄養ドリンク」の研究と、「スポーツ科学」の実験の実験に関わるようになった。
色々な黒い噂の絶えない皇先生だっったが、放課後に毎回顔を合わせるたびに打ち解けて、案外普通の先生と変りなく接することができるようになっている。

栄養ドリンクの効果が現れるまで、いろんな話をする。
今日あったこと、クラスメイトのこと、ひじきえもん先生の愚痴、数学が苦手なこと、するすると口から滑り出ていく話題。

鹿尾菜はまだ皇に巧みに誘導されていることには気がついていない。
逆に、やけに何でも話せてしまう先生だと、少し親しみを感じていた。



情報を引き出した皇が腕時計を見ながら言う。

「ではそろそろ、そこに横になってください。今日は、スポーツ整体を行いましょう。血のめぐりを改善し、薬の効き目を良くします。」

「先生ってそんなことも出来んの?」

「私に不可能はありません。四巡くんにも負けない、いえ、それ以上の手腕を披露してみせましょう」

(皇先生って負けず嫌いだよな。)

そんな風に思いながら、寝台へうつ伏せに寝転んで、足を投げ出した。
鹿尾菜はスカートの下にスパッツを履いていることもあって、あまり抵抗はないようだ。

「では、失礼して。力を抜いておいてください」

皇の手が、鹿尾菜の若く瑞々しく張った脹脛に触れる。
彼は極度に薄く密着性の高い手袋を嵌めていた。一見、手術用ゴム手袋のようにも見える。
それを装着するのは、教師とはいえ男性に素手で肌に触れさせることへの抵抗を薄れさせる目的と、もうひとつ。
おそらく、皇のこと、後者が手袋を嵌めている本当の理由であろう。

彼女の体のデータを逐一記録する為である。
手袋には両の手合わせて、センサーが約1200個。びっしりと仕込まれていた。

身体は決して嘘をつかない。
心拍、血流、発汗からホルモンバランス、その下の筋肉の電気信号の反応までも、触れてなぞるだけで読み取ることができる。


鹿尾菜はそんな事は知らず、彼の指の感触に目を伏せている。
すこしだけ、眉間に皺を寄せているのは、実際に触れられる段階になって、
気恥ずかしさ、照れのような、心の中にむず痒いものが燻るのを認めてしまったから。

(先生の研究に毎日付き合うって決めたのは自分だし、マッサージくらいのことで恥ずかしがって、いまさら止めてくれ、なんて。)

勝気な鹿尾菜にとって、そんな乙女な反応を皇先生に見せるのは嫌だった。
知られてしまえば、ニヤニヤと、ネチネチとそのネタで弄られそうだ。

(なんでこうなってるんだ?私が皇先生のお尻を揉むはずだったのに!)


結局、言い出せないまま、我慢して慣れてしまうことを選んだ。
それが彼の過負荷に影響を受けて導き出してしまった、最悪の選択だったと彼女が知るのはもう少し先の事である。


「どうですか、鹿尾菜さん」

「う、うん。き……先生うまいな。」

一瞬だけ「気持ちいい」と言いそうになって鹿尾菜は顔を赤くした。
そのような反応も、皇の装着する手袋に全て読み取られている。
解析をされてしまえば、心の動きも身体の反応から読み取られてしまうかもしれない。

「鹿尾菜さんの身体、だんだんと力が抜けてきましたよ」

「うん…」

「右足、左足、重く感じるでしょう。そこから、熱いものが上がってきて、全身を包んで…」

「…ぅん…?」

そうしている間に、とろとろと瞼が重くなってくる。
今日の時間割はハードだったし、昼休みも遊びきった。夜遅くまで宿題もしていたし……



「やれやれ、やっと薬と催眠誘導が効きましたね」

眠りに落ちた鹿尾菜を見て、皇が嗤う。
すやすやと眠る鹿尾菜の頭を撫でる。可愛い実験体。

「あなたが毎日飲んでいたのは、私が開発したナノマシンです。」

ナノマシンを摂取し、その働きに耐えられるだけの若く勁い肉体が必要だった。


スカートの際、太ももの内側の柔らかさを楽しんだ。スパッツ越しの肉の感触。
いっそ、脱がしてしまおうか。ここには邪魔が入らない。

「いやあ、健康な体、羨ましいです。」

他の薬の補助と鹿尾菜の生活スタイルにかこつけた定期的なメンテナンスを施したとはいえども、こうも拒否反応も少なく期待水準まで持ち堪えた被験体も珍しい。

もっとデータが欲しい。皇は手早く制服を開けさせて、鹿尾菜を下着だけにした。
実験の過程とはいえ、役得だ。
必要な部位に手のひらを当てて撫でて、眠りに落ちた彼女の姿勢を自由に変え、存分にデータを取っていく。

彼女の身体に変化が現れるまで、もう間近。
学園は彼にとって退屈の巣窟ではなく、実に理想的な人体実験の箱庭だった。

「このマシンによって、人類は進化して新たな境地へシフトするでしょう。貴方は晴れてその一員、先駆者となれる訳です。ナノマシンの作用は理解頂けましたかねぇ」

半ば催眠状態にあって、薄膜一枚夢の向こう側の鹿尾菜に何度語ったことか。


「あなたは私の偉業の礎となるのです。そう思えばなんとも……愛おしい。」

鹿尾菜は未だ眠っている。
目覚めたとき、彼女は何事もなかったように、ここを出ていくだろう。

あともう少し、本当に楽しみです。

絶望に染まる表情が。
人類をを超えた身体が。


皇は再び、鹿尾菜の頭を優しく撫でた。



2012/07/29


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