キミ、模範的なやさしさ
ハロウィンだのクリスマスだのオリンピックだのなんだのかんだの、横文字の行事で浮かれる世の中には辟易する。
というのは嘘で、本当はお祝いごとやイベントには楽しく参加したい。する予定だった。ケーキを作るための道具も買ったし、実は夏ごろからおせち料理の練習も始めた。だけど、それを発揮する機会はありそうもない。十月半ば、一年付き合っていた彼氏に振られてしまったのだ。
「……さむっ」
浮気された挙句に振られるという屈辱を味わってから、二ヶ月ちょっと。今日は大晦日で、街は新年のお祝いに向けて浮き足立っている。
私だって彼氏と一緒に年越しをして、彼氏と一緒におせちを食べて「お前、やるじゃん」と褒められて「そうでもないよ」なんて白々しい謙遜をしたかった。
幸せなカップルは全員家にこもってイチャイチャしてろ! わざわざ他人に幸せを見せつけるな! と、理不尽な怒りが溢れてやまない。
「……もしかして白石?」
そんな私のイライラを忘れさせたのは、聞き覚えのある声だった。
そばに居たのは探るように私の様子を伺っている男の子。彼が誰なのかはすぐに分かった。高校の時に同じクラスだったし、ついこのあいだの夏、同窓会で会ったばかりだから。
「あ、夜久くん」
「よかった合ってた。怖い顔してたから分かんなかったわ」
「……」
「待ち合わせ?」
夜久くんは爽やかな笑顔で辛辣なことを言った。もっとも、それを辛辣だと感じているのは私だけなのだが。待ち合わせなんてしてないし、待ち合わせるはずの相手には先々月に振られたところなので。でも私がなぜ怖い顔をしているのかは触れずにいてくれたので、それだけは感謝。
「今ちょうど年始の買い出しに来てたんだよね」
「えらい駆け込みだなー」
「はは……寒くて外出るのが億劫で」
「わかる。最近クソ寒い」
そう言うと、夜久くんはぶるっと肩を震わせた。
夜久くんがどうして今こんなところに居るのかは分からないが、手ぶらであることと、わざわざここで足を止めているのとで、あまり忙しそうではないなと思えた。そして私の中には、ずるい感情が生まれる。彼氏に振られた寂しさを誰かに話したい、聞いて欲しいという感情。
「夜久くん、年越しどうするの?」
そんなことを聞けば夜久くんも「そっちはどうすんの」と聞くに違いない。確実に自分のための会話の流れ。だけど夜久くんは変な勘繰りをせず、素直に答えてくれた。
「俺? 俺はまあ……実家でゆっくりするかなっていうか。特に予定いれてないけど」
「そっか」
「白石は? 彼氏と?」
待ちわびていた私への質問だったけど、思ったのと違った。思いっきりグサリと刺された。そう言えば夏の同窓会で、彼氏の惚気を話していたような。馬鹿か私は。
「……ゴメン。私からこの話振っといてなんなんだけど……」
「え……あ」
我ながら分かりやすく顔を曇らせてしまった。二ヶ月も経っているのに馬鹿馬鹿しいけど、まだ傷は癒えてないのである。ひどい振られ方をしたから。おまけに相手の女の子にまで陰で笑われていたらしくて。私だけが気付かずに能天気に過ごしていたのだ。しかも、半年間も。夜久くんに惚気けた同窓会の時も。
「や、まあそういうこともあるよ。な」
「ウン」
「浮気するやつなんか今後も繰り返すし」
「ウン」
「自分には相応しくなかったって思え!」
「ウン……」
夜久くんは慌てながらも一生懸命言葉を選んでくれた。最後には元気づけようとしてくれたのに、私のテンションは上がりきらないまま。お正月に一人暮らしの家で消費するつもりの食料を握りしめ、本当はこんなものじゃなくておせち料理を彼氏と食べたかったのに。と肩を落とした。
「なあ。それって年明けのための買い出しだったよな?」
「え」
「今夜のじゃなくて」
そんな時、夜久くんが私の持つ袋を指さして言った。
「そうだけど……」
実家の家族にも「年末年始は彼氏と過ごすから」とずっと前から伝えていて、別れたなんて言えてない。だからワンルームでテレビを見ながら年越しの予定だった。自分のためにおせちを作る気もなく、お餅とかカップのうどんとかお菓子とか、目も当てられないインスタント食品が入ってる。あと、底の方にはお酒の缶。
「じゃあ飲みにでも行く?」
何本もの缶ビールが入っているせいでずっしりしていた袋が、一瞬だけ軽く感じた。
「……え!?」
「なんだよその反応」
「だっだって夜久くんご予定は」
「無いって言ったろ」
そういえば特に無いって言ってたっけ。でも、だからって私を誘って飲みに行くだろうか? 不幸のどん底みたいな女と、大晦日に一緒に過ごしたいと思うか?
「嫌ならいいよ。どうする?」
なかなか答えない私を見兼ねて、夜久くんが続けた。
「そ、そんな決断を迫るような言い方……」
「決断を迫ってるんですけど」
「うっ」
「真剣に考えるなよ。ゆっくりしたいなら全然断ってくれていいし」
その言葉どおり、夜久くんは大して真面目そうな顔をしていない。ただ暇を潰すために軽く誘っているかのように。私が断っても罪悪感を抱かないようにするためだろうか。
でも結局、どっちの答えを出すにしたって色々考えてしまう。
「……でも、もし行くって言ったら……それって、夜久くんで寂しさを紛らわせるって感じにならないかな」
「お前めんどくせーな」
「ええっ」
もやもや考えていた結果、なんと夜久くんに一蹴されてしまった。めんどくせーって言われちゃった! だけど何やら怒っている様子ではない。
「じゃあいいよ。迷うなら俺が決める」
と、アレコレ悩む私の答えを代わりに出してくれるらしかった。
それは有難いけど、でも夜久くんて確か良い人だったから、気を遣って私を家から連れ出そうとしてくれるんじゃないかな。飲もうって言われたらどうしよう。言われたら従うしかないんだけど。
「お前はこれから家に荷物を置いてすぐ俺と飲みに行って、そのまま神社で年越しだ! 分かったか」
しかし、夜久くんは私の予想を上回る提案をしてきた。え、飲むだけじゃないの? 神社で年越し? それって私が彼氏と一緒にやりたかったことだ。
「分かったな!」
「はっ? へ? はい」
「じゃあ家教えて。それ貸せよ」
まだ状況を把握出来ない私の手から、夜久くんが買い物袋を取り上げた。やば、お酒が沢山入ってるから結構重いはず。
「ごめん、重いよ」
「重くねーわ」
軽々と肘を曲げてみせる彼は、本当に重くなさそうだった。不覚にもその動作だけでドキッとしてしまう。元彼を引きずっているはずなのに、私って軽い女かな。弱った時に優しくされたからって。
結局夜久くんに言われたとおり、私は提案を受けいれてまずは自宅を目指すことにした。
「断るなら今だから」
道すがら、夜久くんがボソリと言った。多少強引だったことを自覚しているのかもしれない。でも私は断る気なんか起きなかった。早くも誘ってくれたことを有難いと感じていた。ただ、「全然いいよ」と言えるほど素直にはなれなくて。
「だいじょぶです……」
なんとか絞り出した言葉に対し、夜久くんは「そ」と短く応えた。
思いがけない今年最後の日、思いがけない出会いでこんな展開になってしまったけど。家に荷物を置く時、少し扉の前で待たせても大丈夫かな。なんかメイク直ししたくなってきた。