トリガーハッピーにっこり笑った
「私、天童くんのことが好き」
そのように言った彼女はそれはそれは可愛くて、マシュマロみたいに弾力のある頬を思いっきり自分の胸に押し付けたものだった。
付き合い始めて二ヶ月が経とうとする俺と白石すみれは同じ会社に勤めていて、部署は違うけれども同じフロアで業務を行っている。マーケティング部の彼女と経営企画部の俺なので仕事の関わりも多く、だんだん仕事以外の話をするようになって、まあ細かくは省くが今に至る。俺たちは同期でまだまだ入社三年目の下っ端だけど、ようやく一定の仕事なら任されるようになったという感じ。
そんな心に余裕のでき始めた中で、元々気になっていた女の子に「好き」なんて言われたら答えは決まっていた。
「白石さんって、脚長いなあ」
近くのデスクに座っている誰かがすみれの名前を口にしたので、俺は自然とそちらに意識を向けた。今年入社したばかりの新人の女の子が、感心したようにすみれの立ち姿を眺めている。
その子の言うとおり、すみれは脚が長い。というか女の子にしては身長が高いので、自然と脚も一般よりは長いのである。身体の比率的にずば抜けて長いわけじゃない。
それでも身長というステータスが産まれ持った武器であり、あらゆる場面で有利になるのを俺は知っている。目立つし印象に残りやすいし、何より「俺たちってお似合いの身長差だよね」と言った時のくすぐったそうな笑顔を見る事が出来るのだから。
「天童ってさー」
コーヒーを買いに歩いていると、一緒に来ていた同期の男が言った。
「なに?」
「白石と付き合ってる?」
俺は一瞬のうちに色々考えた。
まず彼がすみれの事を「白石」と呼び捨てるのは特に構わない。俺の同期って事はすみれとも同期だから。だけど何故入社して二年ちょっと経ってから付き合い始めのかとか、そういうのを聞かれるのは面倒くさい。だから敢えて自分たちから交際を公言してはいなかったんだけど。
「えー……そう見える?」
「見えるだろ。隠してるわけでもなさそうだし」
「うん。まあ隠してないけど」
社内恋愛は禁止じゃないし、俺たちは普通に付き合っていた。さすがに会社内で恋人ぶるのは控えているけど、昼の都合が合えば一緒に食べたり、週末は一緒に退社したり。気付く人は気付くだろうなって思っていた。
俺たちはちょうど自販機にたどり着き、小銭を探して財布を漁る。と、先に小銭を発見した彼がボタンを押しながら言った。
「ちょっと意外。あーいうのが好きなんだな」
それを聞いて俺の手は止まった。自然な会話の流れだけれども、ともすればすみれを侮辱する言葉になりかねないからだ。
「あーいうのとは?」
「こう、あんまり凹凸が無い感じの」
「とは?」
「スレンダー過ぎんの嫌なんだよなー俺」
「ほーん」
「じゃないとヤってる時気持ちよくなさそうじゃん。まあ白石がどうなのかは知らないけど」
そういえば、こいつはそういう奴だった。仕事に関して文句は無いし普段は全く気にならないのに、ふとした時に「あ、自分の発言が相手にどう思われるか気にしてないタイプの奴だ」と思わされる。今のがそれだ。
俺はとっても傷付いたというかムカついたというか、とにかく良くない気持ちで頭がいっぱいになった。そしていつも彼は、俺が不機嫌な様子を見せてから気付くのである。
「……あ。だめだった?」
「ダメに決まってんじゃん」
「ごめんって」
これ以上一緒に居たら仕事に支障をきたすほど嫌いになってしまうので、「もーいいから」と言い捨てて離れる事にした。
バツが悪そうにしていたがきっと同じような過ちを繰り返すだろう、俺以外の誰かにも。今のがすみれに対してでは無く、俺や他の誰かに対する失言ならば指摘してやる余裕はあっただろうけど。
その後も苛々が治まる事はなく、午後から集中できるかどうか不安になるくらいだった。煙草は大学の時に手を出したものの就活と同時に辞めたし(スーツににおいが着いちゃうから)、甘いものは切らしているし、ストレスの捌け口が見つからない。缶コーヒーはとっくのとうに飲み切った。
そんな状態でも容赦なく昼休憩は終わろうとしているので、仕方なくトイレを済ませて執務室に戻る事にした。と、ちょうどトイレ横にあるパントリーに恋人の姿を発見した。
「すみれー」
俺は迷わず声をかけた。今、俺の心を落ち着けてくれるのはすみれだけだと思ったからだ。
「あ。天童くん」
「コーヒー?」
「うん。新作のフレーバー出たんだよね」
「ふーん」
すみれは自前のマグカップにお湯を注ごうとしているところだった。手に入れたばかりの新作とやらを楽しみにしているのか、鼻唄まで歌っている。おかげで一気に何もかも吹き飛んでしまったので、脱力した俺はすみれの背中にくっついた。
「わっ……」
もちろんすみれはビックリして、ポットのスイッチを押さずに固まった。俺は背後から手を伸ばし、すみれの手からマグカップを優しく取り上げる。新しいコーヒーの味よりも、別のものですみれの口を溢れさせてやりたくて。
「……ど、どしたの」
「どーもしない」
「天童く……」
「サトリって呼んで」
「それは会社では」
「今だけでいいから」
優しいすみれは俺が頼めばすぐに言う事を聞いてくれるので、今も素直に「さとり」と口にしようとした。けど、俺自身がそれを待つ事ができなかった。
すみれの顔をこちらに向けて、覆い被さるように顔を近付けると、すみれは驚きで目を見開いた。それでも唇を押し付けるとすぐに目を閉じるのが分かった。すみれの睫毛が俺の目元をくすぐったからだ。ここが会社である事、まもなく昼休憩が終わる事なんて忘れて何度も唇を重ねていく。初めはぎこちなかったすみれも、だんだんと普段のように力が抜けてきた。
「……っ、ん、」
油断していた彼女からはちいさな声が漏れて、その自分の声ですみれがハッとする。俺の肩に両手を置いて、離れようと力を入れた。
「だめ、み……っ見られ、る」
「誰も居ないよ大丈夫」
誰も居ないかどうかなんて知らないけれど。無責任な事をすみれに言い聞かせ、俺はすみれの身体を壁に向けた。もし誰かが居たら、こんなにかわいいすみれの姿を見られてしまう事になる。それは嫌だ。見せつけたいけど見せたくない、非常に複雑な彼氏の心境。
そしてふと背後に目をやると、一瞬びっくりしたけど人が居た。先ほどすみれの事をまるで「魅力が無い」かのように語っていた同期の男が、あんぐりと口を開けていたのである。こんな所で何やってんだって思ってるのかな。それともすみれの姿を見て興奮してる? さっきはあんな事言ったくせに、俺の彼女に欲情するなんて許さない。
それでもやっぱり見せつけたいので、壁に手を付くすみれのうなじに吸い付いた。
「……ぁ、! やぁ、さ、さと、ッ」
こういう状況に陥った時のすみれはとんでもなく敏感だ。首筋に舌を這わせただけで鳥肌をたてて震えるし、うなじに優しくキスをしながら胸元に手を回すと、油断も隙もない甘い声が漏れた。
「だめだよ。声出したらバレちゃうから」
「んぁ、ぅ、ん」
「他の人に見られたくないでしょ?」
「や……」
「すみれは誰の? 誰なら触っていいの?」
ブラウスのボタンをひとつずつ外し、肌を直接指でなぞっていく。俺が与える刺激のひとつひとつに、すみれはことごとく反応した。質問の答えはもちろん決まっている。
「さとりしか、や……っ」
満足のいく言葉が聞こえたので、俺は思わず笑ってしまった。こんなに厭らしい笑顔はすみれには見せられない。絶対嫌われちゃうし。だからこの顔は、後ろで未だに固まっている男にしか見せていない。
「だよね、すみれが本当はどんなに可愛くって淫乱でも俺しか駄目だよねえ」
この言葉でようやく我に返ったらしい男は、そそくさとどこかに走って行った。一足先に執務室へ戻ったのだろう。腕時計を見れば午後の始業まで残り数分。残念だけどここから先は無理そうだ。
でもすんなり止めてしまうのは勿体ない。俺は最後にもう一度すみれの首筋へかぶりつき、下着の上から胸を包み込んだ。直接じゃなくてもちゃんと分かる、すみれの胸の突起がしっかり硬くなっているのが。わざとそこが擦れるように胸を揉みあげてやると、すみれからは少し大きな声が出た。
「ひ……ッ ぁ、!」
もういつでも本番に入って良さそうなくらい表情はトロトロだ。でも、やっぱりすんなり挿入してしまうのも勿体ないし。何よりここは会社のパントリーだし、俺って真面目だから仕事中にまでこんな事するのは良くないし。
「あ。ゴメン、もう行かなきゃだね」
「へ……」
とろんとした様子のすみれに時間を見せると、すみれは驚きとともに残念そうに眉を下げていた。名残惜しそうだとも言える。俺は自分が外したボタンをひとつひとつ留めてやりながら、何かを言いたげなすみれに問いかけた。
「なぁに?」
言いたい事は分かっているけど、念の為だ。すみれは脚元をもじもじさせ、乱れた髪を手ぐしで直しながら言った。
「きょう……泊まり、行っていい?」
俺のところに泊まりに来て、一緒に寝たいんじゃなくてセックスしたいって意味だろうけど。ここまでされて途中でおあずけにされたら無理も無いだろうな。
でも、お泊まりは俺にとっても好都合だ。すみれの魅力は覗き見していた彼にも充分伝わっただろうし、これ以上見せてしまったらライバルが増えちゃうかもしれない。俺にしか見えない場所で、俺にしか見せて欲しくないから。
「おいでよ。寝不足になってもいいなら」
すみれはその言葉に顔を真っ赤にしたものの、こくりと素直に頷いた。
今日は火曜日で、週末までまだまだ長いのに寝不足を選ぶなんて相当俺の事が好きなんだなあ。俺も俺で仕事を疎かにはしたくないし、二人分の栄養ドリンクも買って帰らなきゃ。