躓く僕のアイデンティティ
設定上、ヒロインの苗字は「影山」ですのでご注意下さい。 自分が人一倍ストレスを溜めやすく、また発散させるのが難しい人間である事は自覚している。これまで生きてきた十七年間そうだったのだから、簡単には変えられないだろう。
だけどストレスの原因を減らす事ぐらいなら出来るかもしれない。俺自身の性格を変えるよりも手っ取り早い方法だ。
しかしそうそう上手くは行かなかった。特にここ最近で一番のストレスは、俺の力ではどうにも出来ないほど大きなものだったのである。
「白布くん! 見て見てコレ見て!」
体育館で俺の姿を見つけるや否や駆け寄ってきたその人が、俺のストレスの元凶である。彼女はタブレットを掲げながら俺のそばで立ち止まると、画面の電源を入れ直した。
「なんですか?」
「こないだの烏野の試合っ」
「ああ……」
そういう話だろうとは予測できていた。何を隠そうこの人の弟は、同じ宮城県内の烏野高校でバレーボールをやっている。
彼女の名前は影山すみれ、弟は言わずもがな影山……なんだったっけ。弟の名前は忘れた。興味無い。とにかく影山さんは俺が弟と同じセッターだからと何かにつけて話しかけてくるのだ。しかも、弟関連の話題で。
「烏野ね、勝ち上がってきたんだって! 本当にうちと当たっちゃうかも」
影山さんはタブレットの映像を眺めながら嬉しそうに話していた。どうせ何度も繰り返し見たのだろうけど、それでも彼女の弟への熱意は衰えない。素直に羨ましい。
ただ俺は、この人から弟として愛されたいわけじゃないけれど。
「そうなったら影山さんは、どっちを応援するんですか」
烏野が予選を順調に勝ち進めばいずれ、決勝で白鳥沢と当たる事になる。厳密に言えば「白鳥沢も勝ち進めば」の話だが、少なくとも白鳥沢の敷地内でそんな前置きをするのは無駄な事であった。
俺の純粋な問いに影山さんはタブレットから顔を上げ、俺と目を合わせる。俺を見たって答えは書かれていないので、彼女は「それなんだよね……」と項垂れた。
「そこは白鳥沢だって即答して欲しかったです」
「うっ、いや、もちろん勝ちたいし勝って欲しいよ? でもそしたら飛雄が負けるって事に」
そうだ、この人の弟はそういう名前だった。影山飛雄。及川徹とともに中学時代から強豪でセッターをしていた男だ。
「弟さんはセッターでしたよね」
「そう! 言ったっけ? よく覚えてたね」
影山さんは本心からこんな事を言う人だから困る。こっちは何度も「うちの弟もセッターなんだけどね、」と話し掛けられた身だというのに。俺の口から弟についての話が出るのは心底嬉しいようだ。
しかし俺の事を、自分の弟と同じ扱いにして欲しくはない。大体弟は高校一年、俺は二年だ。俺の方が影山さんと歳が近くて距離だって近い。……精神的にじゃなくて物理的な距離だけど。
「じゃあ、俺と弟さんだったらどっちが魅力的ですか」
セッターとして。または男として。
敢えて何についての問であるかは付け足さなかった。ただただ俺の前で口を開けば飛雄飛雄、弟弟とうるさいこの人を困らせて黙らせてやりたかったのだ。
「……選べないぃ」
「だと思いました」
「ごめん」
「いいです。弟だって即答されたらたぶん凹んだので」
「え。し、白布くんのほうが凄いよ!?」
「思いっきり嘘つくのやめてもらえます?」
咄嗟に「白布くんのほうが凄い」と慌てられるのも、それはそれで凹むのだった。俺と影山飛雄のどちらが優れているかなんて、見る人が見れば一目瞭然なのだから。
「分かってますから。影山さんの弟は凄いやつですよ」
どれだけ努力してもきっと個人の力では適わないし、今行なっているのは影山飛雄に勝つための練習ではないから。だけど、好きな人から弟の話ばかりされるのは癪である。それも「弟と同じセッターだから」という理由で。
「……だから余計、負けたくないです」
セッターとしても、男としても。
常に影山さんの頭の中に居るのは自分でありたい。我儘で子どもじみていて、かつ大人にも理解できるであろう理屈だ。たった一人、影山さんだけは全然理解していない様子だが。
「そんなにライバル心を燃やしてくれるなんて……飛雄も立派になったなあ……」
「そういう意味じゃないんですけど。」
「えぇ? じゃあどんな意味」
本気で仰天している影山さんに嫌気がさしつつ、この人をこんなにも好きになっている自分にも嫌気がさしつつ。
どんな意味かって? それを聞けば困るのは影山さんだ。だけど言えと言うのなら言ってやる。
俺はまだ弟の映像が流れているタブレットをそっと彼女の手から拝借し、背中に隠した。それを追いかけようと伸ばされた影山さんの腕を掴んで、これでもかと言うほど顔を近付ける。どうだ動揺しろ、というメッセージを込めて。
「あなたの口から弟の名前が出る回数を減らしてやるっつってんですよ」
これで分かって貰えなければもう、遠回しな事を言うのは諦める。だから願わくば今、俺のこの言葉が何を表しているか、ほんの数パーセントでもいいから分かって欲しい。
「……どういう意味?」
けれど、影山さんはポカンとした様子で首を傾げた。俺に腕を鷲掴みにされているのに、だ。そのまま握り潰してしまうのを堪えて俺は手を離した。
「もういいです」
「え!? 教えてよっ」
「嫌です」
「白布くんってば」
どういうつもりで俺を呼んで俺を追いかけて来るのか分からないのに、無防備に心を開く事は出来ない。傷付きたくはないから。だけど俺だって防御ばかりしているわけじゃないぞ。
「近いうちに俺のほうが魅力的だって言わせます。必ず」
必ず、の部分に力を込めて言うと、影山さんは目を見開いた。しばらく何も答えずにじっと俺を見上げている。もしかして今ので伝わった? それならそれで良いのだが。
「よくわかんないけど……白布くんはじゅうぶん魅力的だよ!」
やっぱり伝わっていなかった。がっくりと肩が落ちそうになるのは我慢したが、俺の口からは深い溜息が。今のは弟と比べての台詞じゃないし、きっと嘘じゃ無いんだろうけど。
「ちょ、溜息大きくない!?」
「ウンザリですよもう」
「なんで!?」
全然分かってくれないのも、さらりと告白する器量がない俺自身にもウンザリだ。
やっぱりこの人に気持ちを伝えるのは、ハッキリと言うための準備が出来てからでなきゃならない。目の前で弟を褒められても眉ひとつ動かさなくて済むくらい、どっしりと構える事が出来なければ。……そんな日は果たして来るのだろうか。