君の君たる所以の光
中学に入って興味本位で始めたバレーボールは、いつの間にか生活の一部になっていた。青春をすべて捧げたと言っても過言ではない。そして、まもなく私の「青春」と呼ばれるものは終了する。高校三年生になり、最後の大会で結果を残せずに引退が決まってしまったのだ。
「男子は勝ち残ってるのか……」
チームメイトの誰かが言った。ふと男子の試合が行われるコートに目をやると、赤いユニフォームが激しく動き回っている。東京都の予選で二回戦敗退した私たちとは違い、男子バレー部は見事勝利していた。それも、圧倒的とも言える点差を保ったまま。
コートの中でハイタッチを交わし喜ぶ姿を自分と重ねて、ちょっと虚しくなったのも束の間。ある一人の選手が目に止まり、私は彼を凝視した。
真っ赤な集団の中でただ一人、白いユニフォームに身を包んだ男の子。夜久衛輔は同じクラスの男の子で、互いに「次の試合、頑張ろう」とエールを送りあった仲であった。
女子は負けて男子は勝つという結果になり、どんな顔をして会えば良いのやら。向こうも同じ気持ちなのだろうけど。だって、私は今日で引退だ。「下手な事は言えない」と思われるのだろう。私が彼の立場ならそう思う。
私はなるべく男子と離れて居ようかと、すすり泣くチームメイトに声をかけながら反対方向に歩いた。トイレに行って落ち着こう。私だってまだ、敗戦をしっかりとは受け止めきれていないのだ。
「白石!」
だけど、ちょうど私がトイレを終えた時に夜久くんはそこに居た。まさか私を待ち構えていたわけでも無いだろう、という事は完全に偶然のタイミング。しっかりと名前を呼ばれてしまった私は振り向いて、夜久くんと目が合った。
「夜久くん……」
「お疲れ様。惜しかったな」
夜久くんは、びっくりするほど普段どおりであった。私たちを気遣って妙な接し方をする事なく、まるで「今のスパイク惜しかったな」とでも言うように。それでも彼の心遣いというものは伝わってきて、私はじんと目頭が熱くなるのを抑えた。
「ありがと。そっちは三回戦進出おめでとう」
「それがまだまだなんだよなあ。優勝まであといくつ勝てばいいんだか」
そう言って笑ってみせると、夜久くんはトーナメント表を思い出しながら指を折り始めた。もしくは、思い出している素振りかも。とにかくこの場を暗くしないようにしているのかと思えた。だけど私の頭に浮かんでくるのはあまり明るくない内容だ。
「頑張ろって約束したけど、私はだめだったなあ」
開会式の前日、私たちは教室で「頑張ろう」という言葉を交わした。夜久くんは正真正銘頑張ったからこの結果で、私にはきっと何かが足りなかった。……と思うんだけど、夜久くんはくりんとした丸い目を更に丸くした。
「駄目? 何が」
「何がって、負けちゃったし……」
「頑張ってなかったって事?」
彼の目はとっても澄んでいて、なんの曇りもなく私を見つめている。夜久くんのほうが少しだけ背が高いので、上から見下ろされて責められているような気分にもなる。
もちろん「頑張ってなかった」なんて事は無い。だから、私はゆっくりと首を振った。
「……違う」
「じゃあ約束守れてんじゃん!」
「う、うん」
夜久くんは私の肩をばしばしと叩いて、豪快に笑った。
そんなにおかしな事を言ったかな。またはこれも夜久くんの優しさなのだとしたら、私はきっと彼をそういう目で見てしまう。ただでさえ夜久くんは同じバレー部だからと言って気にかけてくれるし、こうやってスキンシップを取ってくれるし。その上、落ち込む私を包み込むような心地よい声でこう言った。
「白石はいつだって頑張ってるよ。俺は知ってる」
一瞬、ありとあらゆる私の細胞が働きを止めた。かと思えば弾けるように突然動き出す心臓。夜久くんに自分を肯定されるだけでこんなに熱くなるなんて。こんなに嬉しくてどきどきしてしまうなんて。これまで部活にしか費やしていなかった青春が爆発しそう。
私が身体じゅうを赤くしたものだから夜久くんも慌て始めたようで、自分の後頭部やユニフォームをわしゃわしゃと触りながら言った。
「……あのさ、多分、今言うなよ! って思われるかも知れないんだけどさ」
落ち着かない様子の夜久くんは、そこまで言うと深呼吸をした。私も鏡に映ったように深呼吸した、だって今息を吸っておかないと、また細胞が止まっちゃう予感がしたから。
「白石の事、好きなんだ」
そしてそれは的中した。的中したのに私の身体はすぐに受け入れられなくて、暫くまともな言葉が出て来ない。
「……なんで……?」
「え、なんで? 理由を言えと?」
「だ、だって」
選手としてクラスメートとして素晴らしい人格を持つ彼が、私という人間のどこに惹かれているのか全く分からない。顔だって凛々しくて格好いいし、プレー中の姿は他の誰にも負けない存在感。
あれ、私もう夜久くんの事しっかり意識しちゃってるじゃんどうしよう。その夜久くんはというと、またまた指を折りながら喋り出した。
「理由なら沢山あるよ。一個ずつ言ってやろうか? 練習休まない、授業寝ない、成績キープしてる、字がちょっと下手、後輩の悩みを聞いてやってる、その悩みを聞きながらよく一緒に泣いてる」
「えっちょ、待って何でそんなの知って」
「でもやっぱり一番いいところは、」
夜久くんは私の言葉を遮った。思わず口を閉じて続きを待つ。私たちはしばらく見つめ合い、恐らく夜久くんが満足したころに口を開いた。
「笑顔がすっげえ可愛いとこ」
見た事もない甘い顔で、聞いた事もない歯が浮くような台詞を言われてしまった。夜久くん私の笑顔なんかいつ見てたの恥ずかしい。可愛いって思ってたの恥ずかしい。ていうか字が下手な事ってマイナス要素じゃないか、「コイツ字書くの下手だな」って思われてたの恥ずかしい。頭の中は大混乱だ。
「……え、笑顔」
「そ、笑顔がちょう可愛い」
頑張って脳内を整理しようとしてるのに、コレ。迷いもせずにそんな事を言われて、ときめかない女の子が居るだろうか。今すごく不細工な顔になってるはずだ。口元がもにょもにょと変な動きをして、目は焦点がなかなか合わない。だから夜久くんの顔なんか見る事ができない、のに。
「笑ってくんないの?」
と、追い討ちのように顔を覗き込んでくるもんだから「ぎゃ!」と飛び退いてしまった。それに驚いて夜久くんも「わ!」と声を上げたが、味を占めたのか再び私の顔をガン見しようとしてくる。
「い、今は無理だよっ」
「いい意味で無理? それとも悪い意味?」
「そりゃ……」
いい意味だよ、いい意味に決まってるんだけど。夜久くんの勝ち誇ったような、すべてを悟ったような表情の前では、なかなか答えを言うのに苦労した。