色鮮やかな堂々巡り


気に食わない事があるとダンマリを決め込んでしまうのは私の悪いところだと思う。だけどその原因が私じゃなくて別のところにあるならば、多少ダンマリしていても良いのではないだろうか?
例えばせっかくデートの約束をしていたのに、わざわざその日に練習試合を新たに組んでしまったりとか。


「信じらんない…」


徹からのメールには「その日、練習試合になったんだ。ごめんね」とだけ書かれていた。
謝ればいいってもんじゃない。その日のデートは二ヶ月前から計画していたものじゃんか。その日なら練習休みの予定だからって言ってたじゃん。だから私は行きたいコースを調べまくって、その日の例年の平均気温も調べて、何を着ていくか決めて、新しい服とイヤリングまで買ったというのに。


『分かった。次の休みいつ?』


この時点で私の気分はドン底だったけど、埋め合わせがあるならば考えよう。そう思って上記のメッセージを送信した。それなのに、返ってきたのはこれ。


『さあ、いつだろ?』


いつだろ?って、お前が知らなきゃ誰にも分からないんだよ。私はバレー部の練習日程なんか知らない。毎週月曜日がオフだって事しか!だけど学校終わりの放課後に会える時間なんて限られてる。制服でしか会えないし、せっかく丸一日を午前中から夕方まで過ごせると思ったのに。

なにも練習試合が悪いとは思わない。徹の部活が大変な事はよく分かっているし、会う時間が少ない事も承知の上で付き合っている。だけど二ヶ月も前から楽しみにしていたデートの数日前にいきなりそんな事を言われたら、ガッカリするのって普通だよね?


「すみれー、及川くん呼んでる」


クラスメートに言われて振り向くと、教室の入口に居る及川徹と目が合った。彼は私を小さく手招きしているが、腹の虫がおさまっていないのでプイッと目を逸らしてやった。こんな気持ちで徹の前には行きたくない。


「居ないって伝えといて」
「いや無理だよソコに居るんだから」
「会いたくないって伝えといて」


そう言うとクラスメートは困ったように苦笑した。困らせたくはないんだけど申し訳ない、私は自分の感情をコントロールできるほど大人じゃないのだ。


「おーい。怒ってんの?」


頬杖ついて前を向いていると、いつの間にか隣に徹が立っていた。「会いたくないって伝えといて」の言葉はわざと徹にも聞こえるように言ってやったのだが、何の効果も無かったらしい。


「ちょ…勝手に人の教室に入ってこないで!」
「休憩時間なんだからいいじゃん」
「よくないっ」


他の教室に入る事がよくない、なんて事はない。休憩時間は自由に出入りが可能である。だけど今は来て欲しくない。急にデート出来なくなったのがショックで、気持ちが落ち着いていないのだ。
このままでは教室内で見苦しい姿を見せてしまうかもしれないので(今も充分見苦しいというのは言わないで欲しい)、私は席を立ち大股で廊下に出た。
が、徹はもちろんそれを追いかけてくる。


「来ないでってば」
「逃げるんだから仕方ないだろ」
「徹が追いかけてくるからじゃんか」


ずかずかと廊下を歩きながら、私たちはこんな会話をしていた。はたから聞けば馬鹿らしい痴話喧嘩である。私だって冷静な状態ならそう思う。


「めんどくさ…」


静かな場所まで歩いてきた時、後ろからこんな声が聞こえてきた。明らかな溜息とともに出された言葉は徹が発したものである。気持ちのやり場を一生懸命探している私に向かって、「めんどくさい」!?


「面倒くさいって何!?」
「あ。聞こえてた」
「聞こえるわ!何で私が逃げてるか考えてみてよ。ちゃんと謝ってみてよっ」


もう誰にも聞こえてないのをいい事に、私は思い切り叫んでやった。しかし徹はそんな私の顔を見ても眉ひとつ動かさない。


「分かんないし。怒ってる理由なんか」


それどころか、冷めた声でこんなふうに言うではないか。鉄板で思い切り殴られた気分だ。


「……っなにそれ」
「何?俺が約束ドタキャンしたから怒ってんの?」
「ちが…」
「それはさぁ、最初に言ったよね。優先すんのは部活だよって事」


徹は驚くほど静かな様子であった。徹のほうが怒ってるんじゃないかと思えるほど。
私は徹の部活を邪魔するつもりは無いし、したくもない。だけど楽しみにしていたデートが、浮かれて色々なプランを立てていたデートが急に無しになった時に、「なら仕方ないね」と割り切れるだけの器も無いのである。それを分かって欲しいのに、分かってくれない冷たい男め。


「…そうじゃない」
「何?」
「そうじゃないもん」


クラスでは我慢していたけど、ついに色んな思いが溢れ出た。ここまで耐えたのを褒めて欲しいくらいだ。


「私、楽しみにしてて…いっぱい行きたいとこ調べてて…何食べようかなとか、考えてたのっ」


徹がどんな顔で私を見ているのかは、視界が歪んでよく分からなかった。徹の前で泣きたくないって思っていたけど、勝手に涙が出てしまったから。デートのために費やした時間、デートを楽しみにしていた気持ち、それらが全部簡単に無駄になってしまうのが悔しくて悲しくて。


「滅多に私服じゃ会えないし!可愛いって思ってもらいたくて新しい服買ったりしたの、意味ないって思ったらっ」


あの服を着て新しいイヤリングつけて髪型も頑張って、そんな姿で現れた私をどう思ってくれるのかな、とか夢見ていたのが馬鹿みたいで悲しい。ぼろぼろ泣きながら訴えていると、徹は肩を落としながら言った。


「…そんな事しなくても可愛いのに」
「うるさい!」
「褒めたんですけど」
「そういう意味じゃないの!そういうのが言いたいんじゃないの!」


可愛いとか簡単に言ってくるのも今は嬉しくない。いや、嬉しいのは嬉しいけどそうじゃない。


「直前になってあっさりデート断ってくるし…」


断られた事自体は徹には何の罪もない。だけどせめて、もっと申し訳なさそうにして欲しかった。それよりも残念そうにして欲しかった。穴埋めの予定を聞いてくれたりとか。そういうのが一切無くて単に断られただけだったから、悲しかった。…という旨を伝えた。


「俺だって悪いと思ってるよ」
「当たり前だよそれは!」
「会えなくて残念だとも思ってるし」


それって本当だろうか、私が泣いたからって嘘を言ってるわけじゃないよね。今ひとつ信じられなくてジットリと睨んでみると、徹はまたもや肩を落とした。


「今の話聞いて、申し訳なかったなって気持ちもあるよ」
「……ほんとに?」
「そこまで冷たくないから」
「だって冷たかったもんメール」
「それは悪かったって…同時進行で監督と別のやり取りしてたから、あんな文面になっちゃっただけ」


仕方なさそうに話す徹の声を聞いて、ああ本当に仕方なかったんだな、と思えてしまうのが悔しい。だって徹はバレー部の部長で主将だから。そういう大事な仕事があるんだって知ってるし、分かってるから。
だけどこれだけ怒ってしまった手前、すぐに「そうだよね」と納得する事も出来なくて。未だに眉を吊り上げている私に、今度は優しく言った。


「ゆっくり会えないのは俺だって、寂しいに決まってんじゃん」


それは久しぶりに聞いた徹の声だった。私が悲しくて泣いてる時とか友達と喧嘩して落ち込んでる時とかに包み込んでくれるのと同じ声。でも、それでもまだ素直になれない私はすぐに甘えられず。徹の発した「寂しい」という言葉に噛みついてしまった。


「ほんとに寂しいの?」
「寂しいよ!しつこいな」
「しつこいって言った!」
「しつこいったらしつこい」
「わ、ちょ、ちょっと」


呆れた様子の徹がいきなり腕を伸ばしてきたので、反射的に一歩下がった。けど、遅かった。長い腕が私の手首を掴み、力強く引っ張られると抵抗できない。私はされるがままに徹に抱きつく形となり、彼の手が背中に回されたので離れられなかった。


「今回は俺が悪かったから許してよ」


おまけに、私の前髪に息を吹きかけながらそんな事を言われたら抵抗する気も起きない。それでも頑固な私は、「わかった。許してあげる」と可愛い台詞を言う事はできないのであった。


「……別に徹が悪いなんて言ってない」
「えぇ!?言ったじゃん」
「言ってない!練習は仕方ないんだから悪くない!」
「なんだそりゃ」
「会えないのが分かって、勝手に私がテンション下がっちゃっただけだもん…」


泣いてる顔はもう見られたくないので、今度は自ら両手を徹の背中に伸ばした。細身に見える身体は触ってみると分厚くて、過去に何度も驚いているけど今回もやっぱり驚いた。徹が私よりも大きくて頼もしい人である事に。精神年齢だって私よりずっと上なんだろうな、という事にも。


「会えるじゃん。これから先いくらでも」


額を軽く押されて顔を離すと、徹がこちらを見下ろしていた。
あ、キスされそう。と思った時には既にそれが実行されており、一分前の私なら意地を張って拒否していたであろう仲直りのキスを、彼はいとも簡単にやってのけた。


「……うん」
「ね」
「うん…」
「この話、おしまいでいい?」
「ん」


及川徹は私が怒ってから機嫌を直し、キスを受け入れるタイミングまで全て見越して行動してくるのだからタチが悪い。…いや、ありがたいと言うべきか。悔しいけど。悔しいと言えばデートのために買った服、高校生の私には高かったから袖を通さずに終わるのは腹立たしい。だけど初めてお披露目する相手は徹がいい。


「…買った服、夏服だから。着れなくなる前に絶対デートして」


これはもしかしたら無理かもしれない事は分かっていた。練習を休みに出来ないのなら、それは仕方がないから。でも今の私は少しだけ我儘である。


「はいはい。ちゃんと予定調べとくから」
「練習試合入れちゃだめだよ?」
「それは分かんない」
「……」
「ていうかさ、ホントわざわざお洒落とかしなくても可愛いから」


会話の中で自然にそんな事を言ってくるんだから、褒められる用意をしていなかった私はポカンと口を開けてしまった。可愛いって、私が?思わず顔が赤くなる。だって嬉しいんだもん。でも顔が綻びそうになる私を見て徹がニヤニヤしているから、ようやく本題を思い出した。


「……っだからそういう事じゃないんだってば!」
「喜んだくせにー」
「喜んでない!」


まだ徹の腕の中にいるのをいい事に軽くパンチしてやると、徹は「オエッ」とわざとらしい悲鳴をあげていた。やったなコノヤロウ、と今度は苦しくなるまで抱きしめられて、私がもうギブアップだと背中を叩くまでぎゅうぎゅうに絞められた。
そのうち馬鹿らしくなってお互いに大笑いして、私たちの喧嘩は大抵終わる。
こうやって私が恥を感じずに自然に仲直りさせてくれるところ、本当に頭が上がらないな。