僕が嘘を吐かなくてもき
みは僕を信じないわけで
きっかけは、通学時にいつも同じ電車に乗っている事に気付いた時だ。帰りも時々一緒になるという事は相手も何か部活動をしているのだろう。通学鞄の他には独特の形をしたケースか何かを持っており、それがバドミントンのラケットである事はすぐに分かった。
彼女が伊達工の一年生で、俺とは違うクラスだという事もクラスバッジから見て取れた。名前は白石すみれというらしい。
ただでさえ男子の多い伊達工なので、女子の存在は目立つのだ。清涼感と清潔感があり、蒸し暑い電車の中でも特に彼女のまわりだけ気温が低いのではないかと思わされた。つまり、自然と目で追うようになっていた。
それが一年生の頃。二年生のクラス替えで同じクラスになり、それなりに会話をするようになった。恥ずかしながら一年の時は全く話しかけられていない。登下校と、時々学校内で見かけるだけだったから。
「二口くんじゃん。いま帰り?」
それが今では、白石のほうから俺を見つけて話し掛けてくれるくらいには仲良くなれた。「仲良く」と言って正しいのかは不明だが、とにかく見ているだけの時に比べれば親しくなれた。
「……おう。そっちも?」
「うん」
「珍しく遅いじゃん」
「うん……一年の子がさ、辞めるとか辞めないとか悩んでたみたいで話聞いてた」
既に日は落ちかけているが、この時間まで練習をする部活動はなかなか少ない。しかもバドミントン部は男女混合だし、もう少し早めに終了しているはずだ。これはバド部の男からさり気なく情報収集済み。
ただ白石ももう二年生で、後輩の相談に乗る立場になっているらしく。面倒見の良さそうな人間だから当たり前だよな、と何故か俺が鼻高々になる。が、その後輩というのは男子か女子か? と気になる気持ちも芽生えた。
しかしそんなモヤモヤはありつつも今、こうして肩を並べて下校できる関係になったのは喜ばしい事だ。
「あ。コンビニ寄りたい」
「おお。俺も」
道沿いにあるコンビニエンスストアは伊達工の生徒御用達だ。品ぞろえがいいしトイレまで自由に使用OKときてるから、行きも帰りも世話になる時がある。
そして今日も大きな恩恵を受けた。ここにコンビニがあるおかげで、白石と過ごす時間が増えたのだから。
俺は特に用事なんか無かったけど、白石の後ろを適当について行く。と、白石はアイスクリームの売り場前で足を止めた。俺もつられてアイスクリームたちに目を落とす。しばらくラインナップを見渡していたが、白石はやがてひとつを手に取った。
「アイス?」
「うん。なんか疲れたから」
「ふーん。貸して」
「えっ」
ちょっと無理やり過ぎただろうか。でもこんなチャンスはなかなか来ないと思えた。白石に何かを奢ってみせる、というパフォーマンスをする機会は。
白石の手からアイスを奪い取り(なるべく優しく奪ったつもりだが)、すたすたとレジに進んでいく俺。その後ろを慌ててついてくる白石。今は離れていて欲しい。俺、スマートに見せるために一生懸命だし。
「ち、ちょっと」
「うるせーから外出てて」
「ええ!?」
これも相当無理やりな方法だったが、ひとまず会計の時には白石を引き剥がす事に成功した。
戸惑いつつも、レジ前で騒いでは迷惑になると判断した白石が自動ドアをくぐり外に出ていく。よかった。こういうのを真横で見られると、緊張で手元が狂いそうだ。
「ん」
会計を終えた俺は自分用の飲料を抜き取ると、袋ごと白石の顔の前に出した。
「……なんで?」
「別に。気が向いた」
「槍が降りそう」
「その槍で刺すぞ」
「きゃあ」
ふざけた会話をしつつも白石は袋を受け取って、「ありがとう」を述べた。この一言があるだけで奢ったかいがあるってものだ。こいつが選んだアイス、思ったより高くてビックリしたけど相殺された。ていうか俺が勝手に奢ったんだし。
「おいしー」
行儀が悪いのは百も承知だが、食べながら歩く姿すら今はずっと見ていられる。だって今食べてるアイス、俺が買ってやったものだから。白石がかぶりつくたびにパリッと音をたてるモナカが羨ましい。いや、かじられたいわけじゃないけど。
「……二口くん。聞いてる?」
「あ?」
ふと気が付けば白石は俺に話し掛けていたらしく、返事の無い俺を怪訝そうに見上げていた。
「……聞いてなかった」
「もう! このアイス、チョコの比率が多くなってる気がするって話じゃん!」
「ああー」
かなりどうでもいい話であった。そんな話、俺の人生において一度も話題にあがった事も無い。今後も俺が「このアイス、チョコの比率多くなってね!?」などとテンションを上げる日はやって来ないだろう。
それなのに、それを嬉嬉として話す白石の顔は全然どうでもよくなかった。そんなどうでもいい事を俺に報告してくるのが何故か嬉しくて、端的に言うと可愛くて、俺はまた黙り込んでしまったのである。
「悩み事かね? 聞くよ」
早々にアイスを食べ終えた白石は、ティッシュで口元を拭きながら言った。
悩み事があるように、見えるのか。悩みならある。今、隣に居る女子の事が好きなんだけどどうしたらいいですか。今って結構告白するチャンスのような気がするけど勇気が出ません。どうしたら告白できますか。
「あのさー……」
生まれてこのかた誰かに告白した事なんて一度もない。自慢じゃないけど、告白された経験しかないのだった。だからどうやって言い出せばいいのか分からないし、そもそも台詞だって決めてない。なのに俺の口から「あのさ」と出てしまったので、白石がこちらを向いた。
「何?」
そりゃそうなるよな、何?って思うだろうな。明らかに思い悩んだ声の「あのさ」だったもんな。自分でも自分の声が低かったのが分かるくらいだ。
「……やっぱりいい」
「え? あ! もしかしてアイスのお金、いる?」
俺が思い悩んでいるというのに白石は、気の抜けるような事を言った。
アイスの代金なんか要らねんだよ、確かに想像より高かったけどそのくらい構わない。俺がそんな小さな事で思い悩むような男だと思われているとは不服である。
「……ぜんっぜん違う」
「え。じゃあなんなの」
「言わねー」
「言ってよ!」
「やです」
「教えてってば、ッ」
白石は俺との押し問答に集中しており前方不注意となっていた。おかげで目の前が交差点になり、横から車輌が飛び出してくる可能性を失念していたらしい。案の定、結構なスピードで横切った自転車とぶつかりそうになっていた。俺が咄嗟に彼女の腕を引かなければ大惨事だ。
「……あぶねえなオイ」
これは白石に対してではなく、明らかにスピードを出し過ぎてた自転車への言葉だったのだが。白石は自分が注意されたのだと思ったらしく、俯いて「ごめん」と呟いた。
違う違う、そうじゃない。白石も確かに不注意だったが白石の事は咎めていない。むしろ助ける機会をくれて礼を言いたいくらいだ。でも俺が今ありがとうなんて言ってもおかしな話だし、どうしたらいいんだ。
「二口くん……?」
しかめっ面で黙っている俺が、まだ先ほどの事を怒っていると思ったのかもしれない。白石は恐る恐る俺を見上げた。
その怯えた表情がかつてないほど女の子らしくて。よほど俺は心にグッと来てしまったのだろう、思わず口にしていたのだ。
「好き。……なんすけど」
その瞬間、白石の表情は硬直した。そうなるだろうとは思っていた。あまりにも急なカミングアウトだって事は自覚している。
「え……」
「白石のこと」
遅かれ早かれ言いたかった台詞である。勢いに任せなければ素直になれるガラでもない。この際言ってしまえ。
「で、でも……え」
「悩みはこれだよ」
悩み事かと聞かれたから悩みを言った。俺の悩みは白石の後輩みたく「部活を続けられるかどうか」なんて可愛いもんじゃない。白石次第で悩みが消えたり大きくなったりするのだ。とても真剣な悩み。いや、部活の悩みだって大事だとは分かっているけど。白石はまだ固まっており、視線だけがあちこちに動いていた。
「……私……え……明日、槍降る?」
「おい。降らんわ」
「だだだだってさあ! 急すぎるよ」
「うるせーな! 何か今カワイイって思ったんだから仕方ねえだろ」
「かわっ!?」
途端に爆発したように飛び上がる白石の身体と、裏返る声。男子校で生き抜くぐらいだからこういう事には免疫があると思っていたが、全くそうではないらしい。
「……急に何。今までそんなの全然言ってこなかったじゃんっ」
それでも完全に乙女ぶるような純真な心というのも持ち合わせていないのか、単に意地っ張りなのか。まるで俺が悪いかのような口ぶりだ。そういう顔で強がられるとますます可愛いと思ってしまうんですけど。それに、俺は全然悪くない。
「じゃあ、いっこ訂正」
何故か俺を睨み上げてくる白石(全然怖くない)に対抗し、俺もわざとらしく眉を寄せて言った。ちなみに本当に訂正しなければ内容だ。
「前からカワイイって思ってた」
たった今初めてそう思ったわけじゃない。ずっと前から、白石が俺を知る前から可愛いなって思っていた。
電車で眠そうにしているのを見た時も、昼間に行われるであろう小テストの暗記を必死にしている時も、その単語帳を落っことして電車内で慌てていた時も。俺の知る白石には可愛くなかった瞬間なんて無いのである。
「…………」
白石はとにかく何かを言い返したかったらしいけど、結局声になっていなかった。少し寂しいけどそれで良かったかもしれない。また「槍が降る」なんて言われたら、ムカついて襲い掛かってしまうかもしれないから。