恋は恋のまま
付き合ってからしばらく経つと、関係はマンネリ化してくると聞く。私たちは今、傍から見ればマンネリという状態なのかもしれない。付き合いたての頃ほど連絡を取り合っていないし、働き始めてからは会う時間も減った。恋人の事を考えるよりも、仕事を覚えて社会に慣れる事を優先しているからだ。私はそうだし、恋人にもそうであって欲しい。
幸いにも川西太一は仕事を疎かにしてまで私を優先する人間ではなく、今はお互いに社会人として成長するための時期なんだなぁと割り切っていた。
でもそれは決してマンネリではない。ちょっぴり寂しいけど太一への気持ちが薄まったわけじゃないし。太一だって私の事を同じように好きで居るだろうなと思っているから。
『もしもし』
「あっ。太一? なんか久しぶり」
『久しぶりー。どうしたの』
「なんとなく」
メールは一日に少しだけやり取りをするけれど、電話で声を聞くのは久しぶり。太一の声は相変わらず落ち着いていて、仕事で疲れた私の耳には心地よく響いた。そして、ますます会いたいなって思ってしまうのだ。
「ねー、最近どう?」
『最近?』
「仕事」
『ああ……うん、まあ。慣れてきた』
「いーないーな」
『すみれのほうは?』
「えーとね、なんか先輩はみんな良い人なんだけどさ」
私たちは大学で出会い、三年生の時に交際が始まり、互いに県内へ就職した。社会人になれば給料が貰えて土日も休みで、会える頻度も一緒に出来る事も増えると思っていた。
けど、新卒社員の私たちを待ち受けていたのは膨大な量を覚えなければならない研修で。時間外も自習をしたりと、あまり余裕は生まれなかった。
仕事場は良い人ばかりで楽しいけれどまだ気を遣うし、仕事を覚え切れていないからやりにくい。そんな時には、心を許せる恋人に甘えたくなるのも無理はないと思う。
「……なんか会いたいかもぉ」
太一に会って手を繋いだり腕を組んだりして、キスして抱きしめ合ってゆっくりしたい。ほんのちょっとでいいから。太一はどう思っているだろう?
『ごめん。今月はちょっと忙しいんだけど……』
返ってきたのはあまりテンションの高くない太一の声で、それを聞いて一気に私の気分も下がってしまった。
ちょっとくらい会えないのかこの野郎。という言葉が喉元まで出てきたけど我慢した。太一だって好きで忙しくしているわけじゃないんだから。
「……そっか」
『あ、待って来週の土曜日いけるかも』
「え」
しかし、すぐに太一の明るい声が聞こえてきた。スケジュールアプリか何かを開いているらしく、画面をタップするような雑音が聞こえる。来週の土曜日、会えるならもちろん会いたいけど。もしかして私の機嫌を取るためにわざわざ何かの予定をズラしてるんじゃ。
「ぜ、ぜんぜん無理しないでいいよ」
『しますよそりゃあ』
「するんすか」
『俺も会いたいもん』
太一の言った言葉は、本人にとっては何気ない一言かもしれない。でも私にとっては天にも昇るような言葉であった。
太一も私に会いたがってる。最近あまり声を聞けなくて会う頻度も減っていたけど、やっぱり私たちの気持ちは通じあっていたんだ!
それからの一週間は太一に会うため、仕事を必死に頑張った。から回って先輩に笑われた事なんて気にしない。気疲れしてテレビも見れずに寝落ちしたって我慢我慢。一週間後には太一に会って、いっぱい甘えるつもりだから。
「一ヶ月ぶりだなあ……」
待ち合わせ場所には十五分も早くに到着してしまった。なんせ久しぶりだから楽しみで、早くに目が覚めてしまったのだ。着る服は一週間ずっと考えていたからスムーズに決まったし、昨夜念入りにケアをしたからメイクも巻き髪も手こずらなかった。笑えるほど気合が入っている。
「あ!」
指定された場所で恋人の姿を見つけるのは容易かった、太一は背が高いから目立つのだ。
しかし手を振ろうと片手を挙げた時、太一の隣に見知らぬ女性がたっているのが目に入る。私は思わず手を引っ込めた。
誰? 気付けば近づくのをやめて、その場に突っ立って二人を眺めていた。
「……」
何を話しているのかは聞こえてこないけど、同い歳くらいの綺麗な人。身長も私と同じくらい。その人が喋るのを聞き取ろうとして、太一が少しだけ身体をかがめているのが見えた。私にするのと同じように。それが何故だかとてもショックで、私は拳を握ってしまった。
「……あ。あの子?」
その時、太一の隣の女の人と目が合った。すぐにその人は私の存在を太一に知らせ、彼の目がようやくこちらを向く。何故か気まずい気分になったけど、見つかってしまっては仕方ない。
「あ、すみれ」
「おはよ……えっと……?」
「同期の子。たまたま会った」
「佐々木ですー!初めまして」
佐々木さんと名乗った女の人はにっこり笑って挨拶をした。何この人、めちゃくちゃ華があるじゃん。太一との距離もなんとなく近いし。さっき太一を見ていた時の目もキラキラしていた気がする。
この人あれじゃん、絶対あれじゃん。と、嫌な予感ばかりが頭を過る。証拠も何も無いのに、勝手に嫌な事ばかりを考えてしまう。
「じゃあ俺たち行くから」
「はーい。楽しんでね」
太一が挨拶すると、佐々木さんはあっさりと手を振って去って行った。…が、そんなに早く引き下がったからって私の疑いはまだ晴れない。
「……さっきの人」
「うん?」
「太一の事気に入ってる……?」
こんな嫉妬はみっともないだろうと思う。でも最近会っていなかったから余計に心配で気になってしまうのだ。
太一は少し意外そうに瞬きをして、でも落ち着いた声で言った。
「心配?」
「そ、そんなの当たり前じゃん」
「へえ。俺もそんな心配されるようになったかあ」
「なにそれ!呑気な」
「だーいじょうぶだって。あの人は他に彼氏いるよ」
「でもっ」
一度疑ってしまったら簡単に引き下がるのも悔しくて、私は食い下がってしまった。
あの人に彼氏が居るのと、太一に興味を持たれるのとは別問題だ。それに例え今の佐々木さんが太一に気が無かったとしても、別の女性社員は?これまで仕事の忙しさで忘れかけていた不安がどんどん溢れてくる。
「太一、ぜったい会社でモテてるじゃん……」
私はそれが心配で心配で仕方ない。しかも太一は優しいから、女性をないがしろにする事は無いだろう。そしたら女性が勘違いをして、太一をどんどん好きになってしまったら?
私なら太一みたいな人が居たら絶対に好きになる。だって太一はすっごく格好いいんだから!
「そんな事ないと思うけど……」
「モテるもん!優しいしかっこいいんだから当たり前じゃんかっ」
「褒めすぎ……ていうか大丈夫だからもう少しだけ我慢して」
「が……我慢!?」
彼女が不安になって心配してるのに我慢しろとはなんだ。ショックで言葉を失って、でも怒りが爆発して大きく息を吸いそうになった時、太一は次の言葉を発した。
「俺、研修終わってからの配属先、すみれの勤務先近くの支社に希望出してるから」
予想外の事に私は吸った息を止めた。そして怒りの声を乗せる予定だった息に、驚きの声を乗せた。
「……そんなの出来るの!?」
「や、内緒の予定だったんだけどね」
「えっ、なんで」
「サプライズしようと思って」
確かに太一の会社では、新入社員の研修先は本社になっているけれど。その後の配属先に希望を出せるなんて聞いてなかった。県外になることは無い、という事しか知らされていなかった。まさか私の職場近くにしようとしてくれているなんて。
「そしたらもっと気軽に会えるじゃん」
こうやっていちいち休みの日に予定を合わせなくても。と、太一が私の手を取った。一ヶ月ぶりに触れる太一の手はやっぱり大きくて安心する。めちゃくちゃ嬉しい。けど。
「安心した?」
にこりと笑って見下ろしてくる太一を、満面の笑顔で見上げる事ができない。さっきあれだけ疑ってしまった手前、すんなり笑えるほど私は素直じゃないのである。
「……まだしてない」
「あれ」
「まだ機嫌悪い」
「うそ。まいったな」
「参るの早いよ」
「だって笑ってるほうが好きだもん」
それなのにそれなのに、太一は私を笑顔にする言葉ばかりを吐いてくる。そんな事言われたら嬉しくて顔がほころぶに決まってるじゃん。
その私のほころんだ顔を見て太一はまた笑った。
「ニヤけてる顔が好きなわけじゃないよ俺」
「ニヤけてません!」
「ニヤけてたけどなあ」
そういう自分だって今は充分ニヤけ顔ですけど。私は太一の笑った顔もニヤけた顔もどっちも好きですけど。
そんな私たちだから、今日は二人ともニヤけたまんまで街中を歩く羽目になった。いくつになっても彼氏とのデートってニヤニヤが止まらないな。太一が私の職場近くに配属されてくるまでに顔の筋肉を引き締めておかなくては。会社の人に、私のゆるゆるで情けない顔を見かけられないように。