ノンシュガー・パラダイス
家から通える距離の高校はいくつかある。一番近い公立は倍率が低くて比較的受かりやすく、だからといって不良が多いなどの悪い噂も無い、とても良さそうな高校。
しかし私はそこを選ばなかった。満員電車に揺られて行かなければならない少し遠めの学校を受験して、無事に合格した。
そして今日は、晴れて通う事になった青葉城西高校の入学式である。
「よかったー、すみれも同じ学校で」
「ほんと!よかった」
「クラスは違うけど隣だし。昼休み遊びに行くね!」
無事に入学式やオリエンテーションを終えた私は、同じ北川第一中学校から進学した友だちと話していた。同じクラスに数人ほど見知った顔があったし、友だちも隣のクラスだから何かあれば会いに行けそう。私の高校生活は紛れも無く良いスタートを切ったようだ。
そう感じたのは彼女も同じのようで、下駄箱で靴に履き替えながら「帰り、どこか寄る?」と上機嫌に誘われた。
「ごめん、実はちょっと行きたいところがあるんだ」
「あれ。そうなの」
「また月曜日に会お!」
何か先約があるわけでは無いけど、私にとってはかなり大切な用事が控えているのだった。
簡単に説明してお詫びをし、友だちにさよならを言ったところで私は一気に方向転換をする。まだ敷地内のどこに何があるのか分からないけど、ざっと見渡せば体育館がどこにあるのかはすぐに分かった。
近づいて行くと体育館が一つだけじゃなく、二つもある事に驚いてしまったけれど。どっちに行けば良いのやら。どっちの体育館に入れば、目当ての人に会えるのやら。
「……あっ」
体育館の前で迷っていた時、向かって左側の体育館に近付く人影を発見した。青葉城西のジャージを羽織っている。だけど体操服ではなくて、部活指定のジャージ。
少し猫背気味の背中、まん丸く綺麗な後頭部は間違いなく私の探し求めていたその人だ!私は大きく息を吸った。
「国見せんぱーーーい!」
自分でもこんなに大声を出すつもりは無かったんだけど、かなりの声量が出てしまい何人かがこちらを向くのを感じた。その中でも一番の勢いで振り向いたのは呼ばれた本人で、目が合った私は嬉しくて手を振った。
「げ……」
相手の声は聞こえていないけど、きっと「げ」と言ったのだろうと思う。そんなの気にしないので私は小走りで駆け寄って、その人のそばに立った。
そんな私を無言で見下ろしているのは、中学校の時に出会った国見英先輩。国見先輩が青葉城西に進学したのを知ったその日から、私の志望高校はココだったのだ。
「見てくださいコレ!私、青城に合格しました」
「あ、そう……」
「青城の制服かわいいですよね!?似合ってますか私コレ!?」
「普通かな」
「よかった!」
会話が成立していない事なんて百も承知だ。でも、国見先輩はいつもこうだから。返事をしてくれるだけマシなのである。しかも私の制服姿について「似合わない」とは言わず「普通」という答えをくれたのは上出来!嬉しくて後をついて行こうとすると、先輩は体育館の中を指さしながら言った。
「ていうか俺たち練習中だから戻るね」
「はっ!邪魔してすみません」
「うん。金輪際邪魔しないでほしいな」
「大丈夫です!私、マネージャーとしてお手伝いがしたいと思ってますので」
「え」
「また仮入部の方法とか教えて貰って見学に来ますねっ」
いくら私でも、いきなりやって来て挨拶も手続きもなく見学しようなどとは思っていない。私は今日から立派な高校生なのだから、ちゃんと段取りを踏まなければならない事ぐらい分かっている。そうしなきゃ国見先輩に迷惑がかかるかも知れないし!
だから今日は国見先輩への挨拶だけに留めておいて、体育館へは入らずに帰宅した。
青城には色んな部活動があるのをパンフレットで見たけど、やっぱりバレー部のマネージャーになりたいな。中学の時は国見先輩の存在を知ったのが遅かったし、マネージャーは募集していない様子だったから諦めた。
高校では必ずマネージャーになって国見先輩のそばで役に立ちたいし、近くで活躍を見守りたい。なるべくずっと一緒に居たい。国見先輩のおそばに居たい!
「……と言うわけで仮入部させていただきます、白石と申します!よろしくお願いします」
入学式から一週間が経ったころ、私は有言実行で男子バレー部に仮入部を申請した。
運動部では特に挨拶が大事だと何かで読んだ事があるので、思いっきり頭を下げて自己紹介をした。すると皆さんは拍手で迎えてくれて、何だかとても温かく歓迎されている。良かった!
国見先輩も優しく迎え入れてくれるだろうかと先輩のほうを見てみると、何やら隣の人と会話をしているのが聞こえた。
「国見の知り合い?」
「北一の後輩。金田一も知ってるだろ」
「ああー…あ。前に国見に告ってた子じゃん」
「振ったはずなんだけどな……」
こんな会話がすぐ近くにいる私の耳に筒抜けだ。国見先輩は何も気にせず話しているけど、お隣の金田一先輩は私の視線に気付いてギョッとしていた。内容が内容なだけに、聞かれてはまずいと思ったのだろう。
でも私は気にしない。先輩たちの言う通り私は先輩に告白して玉砕済みだ。国見先輩が中学を卒業する日の事であった。
あれから一年、私の気持ちは変わらず国見先輩を想っている。人はそれを「しつこい」と言うだろうか。うん、言うだろう。だけどこれだけは言わせて欲しい。国見先輩の近くに居たいのは本当だけど、だからって部活中に現を抜かすつもりは微塵も無いって事を。
「勘違いしないでくださいね!?私、マネージャーの仕事はしっかりこなすつもりですからっ」
「そうじゃなきゃ困るよ」
「はい。お任せ下さい!」
ひとまず先輩は私の仮入部を拒否する事は無かった。最悪の場合は門前払いを食らうと思っていたのでひと安心。今日から先輩たちの指示に従って色んな仕事を覚えて、一日も早く立派なマネージャーにならなくては。
そして、国見先輩に見直してもらってもう一度告白しなくては。
「……生きてる?」
「ハッ」
どれくらいの時間が経ったのか、意識が飛んでいたらしく国見先輩の声で我に返った。ふと時計を見れば部活が始まってから二時間弱が経過している。先輩や顧問の先生に言われるがまま動いていたら、結構な時間が経っていたらしい。そして、気付かないうちに身体は疲弊していたようだった。
「すみません。死んでました」
「なにそれ……」
「いえ、いや、思いのほかハードだったので……ちょっと疲れて」
本当ならば今日は仮入部で、しかも一日目だから端っこで見学しておくだけで良いと言われていた。でも練習している先輩たちにとっては、新入りの一年(しかも女子)がのん気に座って見ているなんて気が散るだろうし。どうせ私は本入部希望だから早く馴染みたくて、アレコレと色んな人の指示を仰いだのだった。
まあ、自身の体力の限界を知らずに動き回った結果がコレだけど。実際に練習している先輩は私よりも動いてるはずなのに、ぴんぴんしているように見える。
「……今日はもう帰れば?」
「え、」
「死なれたら困るし」
「し……死にません」
「たった今死んでたろ」
「もう死なないですっ」
こんなところでボーッとしていたら練習の邪魔になってしまう。実際、私の姿が目に付いたから声を掛けられたのだと思う。
終了まで残り三十分くらいあるし、片付けや掃除もあるんだろうし、途中で帰るわけには行かない。そう思ってボールを拾おうと屈んだ時、国見先輩の声が降ってきた。
「まだ仮入部なんだから、そんな死ぬほど頑張らなくたっていいじゃん」
先輩の声は呆れているようであった。
ルールだけは先輩の迷惑にならないように本で勉強したけど、ルールが分かるのと部員の役に立つのとでは違う。って、分かってるけど。分かってるから頑張りたいのであって。でも、結果的に疲れて最後まで頑張れないのは役立たずだし。役に立てないのにこの場に残られるなんて、それはそれは邪魔だろうけど。
「……今は仮ですけど……このまま私、マネージャーやりたいですから」
「はあ……?」
「前は振られちゃいましたけどっ、それでもいいから近くで応援したいです」
私の気持ち、たぶん鬱陶しいだろうけど本心だから仕方ない。強豪の青葉城西でレギュラーとして頑張っている先輩を、好きな人を支えたいって思うのは普通の事だし。
だからちょっぴり遠いけど私もここを受験したのだ。マネージャーになれば朝は早くなり、帰りも遅くなるけどそんなのへっちゃら。国見先輩を一番近くで応援出来て、手伝える場所がココだったってだけの話。
私の決意が固い…と言うと聞こえはいいけど、頑固で折れないだろうと判断した国見先輩は大きな溜息を吐いた。
「……じゃあ尚更、今日は帰りなよ」
「え、なんで……」
「今バテたら明日の朝練来れなくなるだろ」
そう言って、先輩は帰るように顎で促した。が、ハイそうですかとさっさと帰るわけには行かない。明日の朝練の事まで心配してくれるなんて思ってなかったから、驚いて顎が外れちゃいそうだ。
「……っ来てもいいんですか」
「いや来るなっつっても来る気じゃん」
「来ますけど!いいんですか?」
「しつこいな……入部拒否するよ」
「な!」
じゃあ仕方ない、今日のところは大人しく引き下がって帰宅するけれども。明日も明後日もその次もずっと(とは言われてないけど)ひとまずバレー部に居て良いって事だ。
門前払いなんてとんでもない、国見先輩が私の入部を受け入れてくれた!明日は誰よりも早く来て体育館を綺麗にしておかなくちゃ。
翌日張り切って登校したものの鍵を持っていなかった私が体育館前で座り込んでいたのを見て、国見先輩がまたもや大袈裟に溜息を吐いたのは言うまでもない。