ご注文は私ですか
三年生が卒業した学校内は、ほんの少し静かになった。私も半月後には最高学年で、受験生になるらしい。全く実感がわかないし、将来何をやりたいのかも分からない。今はそんな事より目の前の事で手一杯だ。ホワイトデーの今日は、普段よりもお店が忙しいのだから。
「すみれー、次これラッピングして」
「はーい!」
「それ終わったらこっちね、保冷剤を一時間ぶん」
「はいはいっ」
私はいつもお母さんの営むケーキ屋さんの手伝いをしている。「ケーキ屋」と言ってもケーキだけではなく焼き菓子とか色んなお菓子を売っていて、クリスマス・バレンタイン・そしてホワイトデーは稼ぎ時なのだ。私はここでアルバイト…という程でも無いけれど、お手伝いをする事でお母さんからお小遣いを貰っている。
今日ももちろん手伝いに駆り出されている私は、ラッピングの速度と精度がだんだんと高まってきたところ。
「お待たせ致しましたー」
「ありがとうございます…うわ、ラッピング凄い」
「どうもです!」
今、可愛くラッピングしたお菓子を渡したのはサラリーマンの男性だった。彼女さんにホワイトデーのお返しでもするのだろう。お菓子を選ぶ時の様子、ちらりと見たけど嬉しそうだったなあ。
「ありがとうすみれ、そろそろ帰っていいよ」
すっかり暗くなった頃、客足は途絶えショーケースの中身もほぼ無くなった。お母さんはもう一人のアルバイトさんと一緒にレジ締めや片付け等をするらしく、私だけ先に帰るよう言われた。
「うん。分かった」
「あ、そういえばさあ」
「ん?」
「夕ちゃんからお返し貰った?」
エプロンを脱ごうとしていた時に急な質問をされ、ぴたりと手が止まった。
お母さんの言う「夕ちゃん」とはつまり私の想い人、西谷くんを意味している。お母さんはこの間から何かと西谷くんの話題を出してくるのだ。私が西谷くんに惚れているのを知られてるから。
「ゆ……に、西谷くんから?無いよそんなの」
「あれ、そうなの。学校で何もなかったの?」
「ない。席ちょっと離れてるし……」
私は一ヶ月前、西谷くんにバレンタインのロールケーキを渡した。あの時は気が動転していたからよく覚えていないけど、なんとなく私にお返しをくれると言っていた気がする。
だけど今日、学校では何も無かった。会話すらしていない。それでももしかしたら放課後、私が店番をするお店に持って来てくれるかも知れないと、ぼんやり考えていたけれど。結局この時間まで来てくれなかった。
「……そんなに上手くいかないか」
世の中、期待するとろくな事が無いんだな。この年齢で早くもそれを悟ってしまうとは、ある意味ラッキーだ。これから先の長い人生、変な期待を持たずに生きていけるんだもん。
……と、こんな事まで考えてしまうくらいには私は凹んでいた。だってお返し、欲しかったから。西谷くんが好きだから。まさか何も無いなんてなあ。……バレー部の先輩、潔子さんだっけ?あの人にはお返しをあげたのかな。ああ、泣きそうになってきた。
「白石ー!」
コンビニに寄り道でもしてしまおうと思っていた時、背後から大きな声がした。
まだ夜遅くないとはいえ、こんな大声は近所迷惑。だけど全く不快じゃなかったのは声の主が西谷くんだったからで、って言うか急に呼ばれたから驚いて近所迷惑だとか考える余裕もなかった。
「お前っ!なんで、居ないんだよっ」
「へっ!?」
「店に!居ろって言っただろ」
「え」
西谷くんは私に追いつくと、息切れしながら怒っていた。お店に居ろ、と彼に言われた記憶は無い。今日はこの会話が初めてなのだから。
「西谷くん……どうしたの」
「どうしたもこうしたも!コレ」
膝に手をついて息を整えていた彼が、勢いよく姿勢を正して差し出してきたもの。それは今日飽きるほど見た袋であった。さっきまで私が手伝っていたお母さんのお店の袋だ。
「……これ、うちの店の」
「たった今買ってきた」
「えっ?お、お買い上げありがとうございます……?」
「そうじゃなくて!」
西谷くんが物凄い形相で一歩近付いてきた。それに圧されて私は一歩後ろに下がる。が、西谷くんの一歩のほうが大きかった。
「これは白石にやる」
私のすぐ前に西谷くんの手と、その手に持たれたケーキの袋。彼はそれを私にくれるのだと言う。
その時点で頭の中には期待がふくらんだ。だけど、まだ思い上がる事はできない。本人の口から聞かなくちゃ。どうして私のためにわざわざこれを買って、走って追い掛けてくれたのかという事を。
「ホワイトデーだから」
しかし私が聞く前に、西谷くんが言ってくれた。思い描いたとおりの言葉を。私は嬉しくて嬉しくて夢みたいで、泣くのを我慢しながら両手で受け取った。
「ありがとう……」
「いんだよ。お返しなんだから」
「……うん」
「好きなやつだろソレ」
西谷くんが袋を顎で指した。私は西谷くんに好きなケーキの種類を知られている。だから中身が何なのかすぐに分かった、ザッハトルテだ!まだ覚えていてくれたんだ。そしてみるみるうちに蘇るバレンタインデーの記憶。「お返しするから店に居ろ」と確かに言われたのを思い出した。店に居ろってそういう意味だったのか。
「……好き」
「な!しっかり覚えてたんだぜ」
「やばい……もう……好き」
「そんなに好きなのか?一気に食うなよ太るぞ」
違うの西谷くん。確かにお母さんのケーキならいくらでも食べられちゃうくらい好きだけど、今はそういう話じゃなくて。もうこの気持ちを抑えるのは無理だなあって思っちゃって。三年生になったらクラスが変わってしまうかもしれないから、伝えるなら早く伝えなくちゃと育ててきた気持ちが。
「私、西谷くんが好き」
中の箱が崩れないように気をつけながらも、私は袋をぎゅうっと握って言った。
「……えっ?」
「いきなりこんなの困るって分かってるけどっ、ほんとはずっと前から好きで」
西谷くんはぽかんとしたままそこに立っている。ただお返しを渡してくれただけなのに、私は舞い上がり過ぎだろうか。でももう止まらない。勝手に口が動いてしまうのだった。私がいかに西谷くんを好きで、このお返しが嬉しかったかを語るために。
「だから、あの、クリスマスとか……ロールケーキの事とか嬉しくて……今日だってほんとにお返し貰えるなんて思ってなくて……欲しかったけど、まさかって」
「お、おお」
「……ちょううれしい」
最終的には感動の言葉はこれしか出て来ず、「ありがとう」と私は頭を下げた。
信じられないくらいに嬉しい。バレンタイン、勇気を出して渡してよかった。お母さんのおかげだ。
「そっか。まあ喜んでもらえて良かった」
「……うん。ごめん急に」
「なんで?俺も白石の事は好きだぞ」
もじもじと袋をいじっていた私の手が止まり、一瞬息をするのも忘れた。今のは空耳か、それとも彼の言い間違いか私の聞き間違い?
「……え?」
「じゃなきゃわざわざお返しなんて……あ、先輩の潔子さんは別だけど……潔子さんには二年の男全員でお返ししたから」
「ウ、ウン?」
「個別で渡してんのはソレだけだ」
そう言って、西谷くんは私の持つ袋を指さした。
潔子さんというのがバレー部の先輩で、とても美人なんだというのは前に聞いた。潔子さんという人にバレンタインチョコを貰ったらしい事も聞いた。でも、その人には他の人と一緒にお返しを渡したのだと言う。西谷くんが個人的にきちんとお返しをしたのはコレだけ、つまり、私にだけ、
「俺ら、付き合う?」
混乱する私の耳に続けて聞こえてきたのは、更に私を混乱させる一言。しかもすごく低くしっかりした声で、とっても真剣な顔で。
「…ッええ!?」
「俺もお前のこと好きだし」
「えっ、待って急にそんな展開」
「あ!おばさんにも許可取った方がいいって事か?そうだよな、よく考えたらママさんバレーで世話んなってるし……うん。そりゃそうだ」
「え」
西谷くんはブツブツ言っていたけれどやがて納得したように頷き、顔を上げた。目が合った私は硬直し直立不動になる。けど、西谷くんが私の片腕をがっちりと掴んだ。ケーキを持っていないほうの腕を。
「よっしゃ。戻ろうぜ!」
「え!?」
「直談判!」
何の直談判!?と聞く前に、西谷くんが今来た道を走り出してしまった。腕を掴まれている私もつられて走り出す。私の予想が正しければ、今からお母さんに交際の申し出をするつもりだ。
シャカシャカ揺れるケーキの袋、中身がどうかぐしゃぐしゃになっていませんように。そして私のお母さんが、恐らく反対する事なんて無いのだろうけど、それをご近所のママさんに言いふらしたりしませんように。