そのロマンスは予定済み
既に進路が決まっている人間の春休みは、少し長く感じられた。まさに一般入試に励んでいる人間も居れば浪人が決まった人間も居て、就職するという同級生も。
この歳でひとつの企業に身を置いて正社員として働くなんて尊敬する。俺はまだまだやり残した事がいっぱいだ。もっとたくさんの事を学びたいし、大学ではアルバイトだって試してみたい。高校時代は部活一直線だったから、知らない人間、特に大人とのコミュニケーションが上手く行くのかを確かめなくてはならない。
そしてもうひとつ、俺を好きだと言ってくれた女の子の事をもっと知らなくてはならないのだった。
「会ってくれてありがとう」
「こ、こちらこそっ!本当に連絡くれるなんて」
今、俺に向かって深々と頭を下げているのがその女の子である。白石さんは高校三年時のクラスメート、つい先日まで同じ教室内で過ごしていた子だ。
しかし残念ながら俺の印象にはあまり残っていない。ただ、卒業式の日に告白してくれたのがきっかけで俺たちは連絡先を登録し合ったのだった。告白「してくれた」と言うと語弊があるけれど。
「ぶらぶらして適当なところ入ろっか」
「うん……」
「じゃあ、はい」
俺は自然に手を出した。今日はもう「そういうもん」だと思っていたのである。だけど白石さんは俺の手をじっと見つめたまま動かなくて、意味を図りかねているようだった。
「……えっ」
「あ。ごめんまだ早い?」
「や……っ早いよ早い!私たちまだ友だちなんだから」
「あ、そう……」
それはそうなんだけど、これってかなり恥ずかしい。てっきり今日の誘いを受けてくれたのは前向きな理由があっての事だと思っていたのに。俺も前向きだから誘ったんだし。白石さんは順序を守りたい人間のようだ。俺だって普段ならいきなりこんな事はしないけれど。ひとまず最初は普通に歩く事にした。
「白石さん、もっと喋りかけてくれれば良かったのに。同じクラスん時」
卒業式というタイミングで気持ちを伝えようとしてくれた事はとても光栄なのだけど、俺たちはあまりにも在学中の交流が少な過ぎた。せっかく好きで居てくれたのなら積極的に話しかけてくれればよかったのに。「卒業式での告白」なんてあくまでロマンチックで憧れていただけで、普通にアプローチされればもっと早くに白石さんを意識出来たと思う。
「……何回もチャレンジしたよ。でも勇気が出なくて」
「クラスメートに話し掛けるだけなのに?」
「す、……好きだからだよ……」
ぼそぼそと、語尾を小さくしながら白石さんが言った。自分の足元をじっと見ながら。
またやってしまった。こんなに人の心が分からない人間じゃなかったと思うんだけど。
「……俺ってば無神経」
「そっそんな事ない!そんな事ないから」
「いや、うん……やっぱ無神経だわ」
「私が気にし過ぎなだけかもだから……」
白石さんは顔を真っ赤にして、また消え入りそうな声で言った。卒業式の日も同じような姿を目にした。「白石さんは誰かに告白しないの?」と聞いた俺に、告白の対象が俺である事を告げた時である。
あの時も、そして今もこんなになってまで話してくれるのは大変好感が持てた。もっと知りたいと思わせてくれる。だから今日誘ったわけだけど。
「白石さんて、体育祭の時何やってたっけ?」
まだ意識していなかった頃、白石さんがクラスメートとしてどんな事をしていたのか知りたい。そう思って聞いてみると、ようやく赤面がおさまった。
「短距離走とー……あとパン食い競走とリレーだよ。私、足は速いんだよね」
「あー。パン食い競走一番だったっけ」
「そう!」
「食べるのも速い、と」
「ちがっち、違っ」
少しからかってみただけなのにこの反応。冗談に対する耐性が弱く、意地悪な気持ちが芽生えそう。「これ以上いじめたらどうなるんだろう」っていう気持ちが。幸いそれは、白石さんが話を振ってくれたおかげで落ち着いた。
「松川くんは騎馬戦と綱引きと短距離走。だよね」
「おー。よく覚えてんね、俺もすぐ思い出せなかった」
「へへ……全部チェック済み」
「……へーえ……」
俺の事なら何でも把握してますって事だろうか。自分でも曖昧な事をはっきり記憶されているなんて恥ずかしいけど、同時に照れ臭くって素直に嬉しい。
「……学園祭の時は、松川くんが大道具率先してやってくれてた。本番前に壊れたところとか、すぐ直してくれたりして」
「わー……褒め殺す気?」
「松川くんには褒めるところしか無いよ」
挙句にこんな事を言うのだから、確信犯じゃ無いのだとしたら相当なやり手だ。からかっただけですぐに言葉に詰まるくせに、俺を喜ばせる事は難なく言ってのける。一緒に居るだけで自分は特別なのだと思わされた。それはもう存分にはっきりと。
「……白石さん。俺さ、自分で言うのもなんだけど結構慎重に生きてるんだよね」
「うん?」
「だから、いくら卒業式の告白が印象的だったとは言えすぐには判断できないって思ってた」
だからあの日は返事をせずに、何度かメールのやり取りを経て今日を迎えた。実際に今日会おうと約束を取りつけた時点で、俺の心はほぼ決まっていたけれど。
「けどもう決めたから」
「何を……」
「白石さんの告白、受けるよ」
たった今気持ちは完璧に固まった。我ながら思うけど俺の直感は当たるのだ。白石さんと付き合えば上手くいく。きっと面白おかしい日々が待っている。
俺の気持ちは白石さんにとってこれ以上なく嬉しい事だろうと思ったが、彼女はまたポカンとしていた。
「……受けるって……?」
「付き合おう」
思考停止している白石さんにも分かりやすいように、簡潔に答えてあげる。するとようやく理解した白石さんは、顔中の穴という穴を広げながら手を合わせた。
「……本当に?」
「ていうか、この短時間だけで嫌というほど伝わってきたし」
「え。ごめん浮かれてて……気持ちが抑えられなかったかも」
「そうじゃなくて。いい子だなっていうのが超伝わってきたから」
俺を好きで居てくれてるんだなぁ、というのは勿論伝わった。それ以上に分かったのは白石さんが面白くておかしくて素直で、ずっと隣に居ても飽きない人だろうという事。
「だから、これからも一緒に居たいなぁと」
白石さんはとっくの昔に歩くのをやめていた。歩く事もままならないほど震えているようだ。答える前にうんうんと頷いて、鞄をぎゅうっと握りながら言った。
「……居る」
「よっしゃ。居よー」
「居る……」
「わっ、泣かないで」
「泣くに決まってるじゃんっ……」
こうなるかなぁとは思っていたが予想通り、人目があるにも関わらずぼろぼろと涙を流し始めた。ぼろぼろって言うよりはボタボタ落ちてる。大泣きだ。
これじゃあ俺が泣かせてるみたいだけど、ハンカチを差し出すと大人しく受け取ってくれたので、周りの人は俺のせいでは無いと理解してくれるだろう。
「ご、……ごめん」
「いいよ。拭けた?」
「うん」
しばらくして泣き止んだ白石さんの目元はすっかり赤くなっていた。これから今日もゆっくりデートをするつもりなのに、そんな顔で良いのだろうか。
「付き合うからにはさ、俺の前では笑顔で居てね」
今日はもう仕方ないだろうけどね。と付け加えると、白石さんは何故かまた泣きそうになっていた。しばらくは会う度に泣き出さないか冷や冷やする事になりそうだ。泣いてる顔も可愛いけど、やっぱり笑ってる子が隣に居てくれるほうが嬉しいから。