ろくでなしハニームーン
一週間前から無音を貫くスマートフォン。それもそのはずで、毎日連絡を取り合っていたはずの彼氏と喧嘩をしているからだ。いつもいつもつまらないことで喧嘩する私たちだけど、今回ばかりは頭に血が上ってしまった。
「二度と連絡してこないで!」
私がそう言い放ってから、勝己がどんな顔をしていたのかは分からない。見ていない。見たくもなかった。彼が言い返してくる前に鞄を持ち上げ、大股でその場を去ってしまったから。
本当ならその場で私を追いかけて「待てよ、俺が悪かった」と謝ってくれれば嬉しかったのだけど。あの人の性格上、世界がひっくり返ってもそんな言葉を吐くわけがない。案の定勝己は私を引き止めることなく、虚しく帰宅してしまったのだった。
そして、それから一週間経った今日。喧嘩の原因なんてもう忘れた。今やそんなことはどうでもよくて、「喧嘩をしていたはずなのに仲直りの素振りも見せてこない」という勝己の態度に怒っているのだ。
だけど私に直接の連絡が無かったとしても、爆豪勝己がどこで何をしているのかはすぐに分かる。スマートフォンでニュースを開けば勝手に出てくるのだ、その名前が。
『……駆けつけた複数のヒーローにより敵は殲滅、被害は最小限に抑えられ……』
恋人はヒーローだ。本のタイトルみたいだし少女漫画の読みすぎかと思われるかもしれないけど、私の恋人は紛れもなく職業としてのヒーロー活動を行っている。市民の平和を守り悪者を退治する、時には自然災害にも立ち向かう誇るべき人間。
だけど、その仮面を被っていない時は私の彼氏。約束の時間に遅れても謝罪をしない、精一杯お洒落した私を見ても何も言わない、挙句の果てには「どっかにセンス捨ててきたのか」と言われる始末。全部あなたのために買い揃えて準備したんですけど?と眉をつりあげた回数は数知れず。
そういえば今回の喧嘩も同じようなことが原因だった。一緒にご飯を食べていた時、私が他のテーブルに座る女の子を見て「あの子可愛いね」と呟いた。それは勝己に聞かせるための台詞ではなく、単純に、思わずそう呟いてしまうほどの可愛い女の子が座っていたのだ。
「…そうか?フツーだろ」
「アレで普通って。目が肥えすぎ!」
「肥えてねーし、あれくらいの女なんかウヨウヨ居るだろ」
「じゃあ私はどうなんの」
雑誌の表紙を飾れるくらいのあの子ですら「ウヨウヨ居る」レベルだと言うなら、私は一体なんなのだ。
もちろん勝己に対して「お前は別だよ」なんて答えは求めていないし、冗談のつもりで聞いただけ。鼻で笑いながら「なんだその質問」と言われて終わりだろうな、と思っていたのだけれど。
「一緒に居てやるだけ有難いと思えや、ブス」
と、私の顔なんか見もしないで言われるなんて思わなかったもんだから。それに対してブチギレた私は冒頭の台詞を吐き、そのまま勝己の前から姿を消したというわけだ。
むしろそれだけで済んだことに感謝して欲しい。場所が場所なら私は勝己をぶん殴っていただろう、普通のパンチは効かないだろうからフライパンか何かを使って。
「……ブスって!ブスって言う!?普通!彼女に向かってブスって!頭おかしい!脳みそ腐ってる!アイツ自分の脳みそ爆破してる絶対!」
「ちょ、すみれ落ち着いて…」
「はっ」
時間も場所も変わってここは繁華街の居酒屋。今は友人に勝己のことを愚痴っていたところだ。成り行きを説明していた私はヒートアップしてしまい、ついつい声を荒らげてしまっていた。
「…ごめん」
「まだ仲直りしてないの?」
「するわけないじゃん!ていうか謝罪もしてこないし!連絡ひとつ寄越してこないんだよ?」
「すみれから連絡してみたら…」
「絶対やだ。いっつも喧嘩の時、私が折れてやってるんだからっ」
そう、過去に数え切れないほどの喧嘩をしてきたけど。毎度毎度私が何事も無かったかのように「今何してる?」とメールをして、勝己が「テレビ」と普通に返信してきて、それで元に戻っていた。
勝己にしてみれば喧嘩と言うよりも、私が勝手に怒っているだけだと思われていそう。それも腹立たしい。
だけど私に向かってブスなんて、これが初めてではないのだ。ブスだと思うなら付き合わなきゃいい。ブスとキス出来るなんて凄いですね。そのブスとセックスする時、ブスの私が「もうやめて」って言うのにやめないのはアナタですよね。ブスを相手によくセックス出来ますね!今回ばっかりは勝己が連絡してくるまで、メール一通も送ってやるもんか。
「……ねえ。これ」
とても声には出せない怒りを抑えていると、友人がスマホの画面を見せてきた。ネットニュースだ。酔ってるし怒ってるしよく見えなかったので画面にうんと近付いて見ると、そこには驚きの記事が。
「…スキャンダル発覚うぅぅ!?」
見出しはこれだ。そして大きく掲載された写真には間違いなく私の恋人が写っていた、知らない女の子とともに。これは誰なのか、どこで撮られたのか、そもそも何の記事なのか。震えながら記事を読み上げていくと女の子の正体が書かれていた。
「相手は彗星のごとく現れたニューヒーロー…」
「若っ、まだ十八だってこの子」
「…ていうか…ていうか……、」
どうしてこんな若い子とツーショット写真をすっぱ抜かれてるんだ、こいつ。しかも写真の日付は昨日じゃないか。私と喧嘩している間に、私に連絡ひとつして来ずに、他の女の子とデート?
「……終わりだ」
「え。だ、大丈夫…?」
「大丈夫」
前言撤回だ。勝己が連絡してくるまで私からは何も送らないぞと誓っていたけど、やめにする。私はスマホのメッセージ画面を開いた。
「ぜんぶ終わらせてくる」
そう言って爆豪勝己を呼び出すためのメールを送った私の顔は、相当恐ろしかったらしい。友人は引きつった笑顔で「ガンバレ」とエールを送ってくれた。
◇
「…何で返事してこないわけ、あのヤロー…」
スマホを睨みつけながらの帰り道。あれからもう一度友人に愚痴をこぼしたところで、飲み会(と言っても二人だけ)はお開きとなった。その間に勝己が連絡してきた気配はゼロ。電話も来ないしメールも返って来てない。
まさか本当に私たち、関係が終わってしまったの?というショックも大きかったけど、いかんせん今は少し酔っ払っている。マンションまでの道を歩きながら、大声で叫びまくった。
「ほんっとバカ、サイテー死んじゃえどっか行け消えろクソッタレ!!」
「口がワリィぞ」
「ひぇっ!?」
ところが、突然私の声にうまく被せてきたのは聞き覚えのある男のもの。しかも今、一番聞きたいような聞きたくなかったような人の。嘘、まさかそんなことあるわけない。いや、あるかも知れないけど今ここに居るなんて。
「どこほっつき歩いてたてめぇ…」
ゆらゆらと揺れながら、苛々を隠しもせずに近付いてきたのは爆豪勝己だった。
最初は驚いてしまった私だが、勝己の顔を見ると一気に怒りが復活する。何で勝己が怒ってんの?怒ってるのは私のほうなんですけど。
「…どこでもいいじゃん。ていうか私がどこで誰と何しようがもう関係ないでしょ、モテモテのヒーローさんには!」
私は友人から送られてきたネットニュースのページを開き、勝己の顔面に押し付けた。
いきなり目の前に突き出されたスマホに後ずさりした彼だが、だんだんと画面に集中していく。そして何が書かれているのかを理解した時、青ざめる…かと思ったんだけど、勝己は目が点になっていた。
「…あ?なんだこれ」
「しらばっくれないで!ネットでニュースになってるよ」
「マジかよ……信じるなよこんなもん」
「信じますけど?火のないところに煙は立たないですから?」
こんな写真を撮られているのは事実なのだ。場所がどこだろうと、うら若き女の子と隣り合わせて二人で居たのは事実!そりゃあブスの私なんかより何倍も可愛いし、同じ職業なら話も合うでしょうよ。でも、そんなことするなら私をスパッと振ってからでもいいじゃん。
「……あれから連絡ひとつしてこないし。もう別れたいってことでしょ」
「は?」
「今日だって、私が連絡してようやく今…」
「何言っとんだお前」
「何言っとんだって何」
「俺は何度も連絡したぞ、電話もメールも腐るほど」
勝己の顔は驚くほど歪んでいた。怒りじゃなくて、たぶん呆れている方の歪み方で。しかし私だって勝己に負けないぐらい顔を歪めている自信がある。電話もメールも腐るほどしたって、そんな履歴はひとつも無いからだ。
「…うそ」
「嘘じゃねえ」
「だ、だって届いてないもん一通も!着信履歴だって残ってないしっ」
「だろうな。何度電話しても着拒のメッセージ流してきやがってふざけんなよ」
「ちゃっ、え?」
着拒、つまり着信拒否。確かに便利な世の中、もちろん私のスマホにだってその機能は備わっているが。それを行使したことなんて無いはずだ。半信半疑でプライバシー設定を確認してみると、あら不思議。
「……着信拒否してた」
「クソだなお前」
「な…だ、だって!あの日はすっごく傷ついて、ワケわからなくなってたぶん無意識に」
「んーで彼氏様からの電話もメールも拒否設定か?それじゃあせっかくの謝罪も伝わんねえよなあ」
さっきまで私のほうが強気に出ていたはずなのに、今は思わず後ずさりしている。勝己がずいずいと前に進んでくるからだ。しかも、彼の口から信じられない単語まで出てきた。
「……謝罪?」
本当に今、「謝罪」って言った?単語の意味、分かってる?聞き間違いだろうか。
ポカンとしている私に痺れを切らした勝己は溜息をつき、鞄の中から何かを取り出した。かと思えば、それをいきなり山なりに投げてきた。
「ん」
「わっ」
危うく落っことすところだ。うまくキャッチしたそれを見下ろすと、袋の中で上品に巻かれたリボンが見えた。
「…なにこれ」
「オメーがあの日ふらふら歩きながらキャッキャ騒いどった店の商品だわ」
「え!」
「何が熱愛だよクソッタレ」
と、言いながら勝己は足元の何かを蹴り飛ばした。
この紙袋、喧嘩をする前に寄ったお店で「これいいな」って言ったやつ。覚えていたんだ。というか聞こえてたんだ。
聞けばあの写真、同じ現場に居合わせただけの新人ヒーローと偶然隣り合わせに立っているところを撮られただけなのだと言う。勝己も一応人の心を持っているので新人に何かを教えるか助言していた時に、ちょうど目が合ったタイミングでシャッターを切られた、と。よくよく見ると写真の背景はぼやけていて、確かにデートっぽくはない。背景が加工されていのるだ。本当は何の変哲もない現場だったらしい。
「…じゃあ…別れる気、ないの?」
「ったりめーだろ!つか俺は別れるだのなんだの一言も言ってねーだろ」
「え、で、でも!だって!私のことブスとかなんとか散々」
別れるか別れないかは置いといて、間違いなく勝己は暴言を吐いたのだ。私に向かって!仮にも彼女なのにブスだって!それを問い詰めると、勝己はだんだんと勢いをなくしていった。
「…だからそれは……ワルカッタデスっつう意味のアレだろソレが」
バツが悪そうに喋る姿は何度か見たことがある。自分が本当に悪いと感じている時の爆豪勝己は大体これだ。でも今回はそんなので誤魔化される私ではない、アレとかソレとかで納得してたまるものか。アレってドレだよ。
「ドレがドレなの」
「……っアレだよ!分かれや!」
「分かんないんですけど!」
「だからお前はクソだっつうんだよ!」
「あーまたそんなこと言う着信拒否してほしいの?しようか?寂しくなるよ大丈夫?」
「好きなだけしてろ!」
「分かりました今からします何もかも拒否しますからね今度こそ謝る手段無くしますからね!?」
すっかり暗くなった道端でこんな痴話喧嘩、近所の人には申し訳ない。私たちは互いにぜえぜえ息をしながら言いたいことを言い、気の済むまで睨み合った。馬鹿らしい。本当に。結局似たもの同士じゃん。
「………あほか」
「そっちでしょ」
「どっちもだろ」
「あーようやく自分もアホだって認めた」
「てめーには負けるけどな!」
ご自慢の八重歯を思いっきり見せつけて叫ぶと、勝己は踵を返して歩き始めた。私のマンションの方角へ。それから何も言わずに空いている手を突き出してきた、パーの状態で。
ああ悔しい、本当に嫌い、この人は絶対何度か脳みそを自爆させているはずだ。そうじゃなきゃこれだけの言い合いをしてもなお、私と手を繋ごうなんて考えられるはずが無いもの。