ドラマチックのあたためかた
テーブルに並んでいるのは、普段使うことのない道具の数々。カールアイロンやアクセサリー、お母さんの化粧台から引っ張り出してきたリップやら何やら。
「荒らさないで」と怒られたけど、こうでもしなきゃ家を出ることが出来ない。今日は私にとって初めて、男の子と二人きりのデートに行く日なのだから!
しかも相手は付き合い始めて一ヶ月のクラスメイトで、お互いの私服を見るのも今日が初めて。初デートの装いがダサかったりしたら振られてしまうかも?なんて余計な心配が後を絶たない。たぶんきっと、そんなことで恋人関係を解消しようとするような人じゃないけれども。
『着きました!』
集合場所に到着したことを伝えるメールは、何故か敬語になった。緊張して緊張して仕方がない。
今日の私を見てどう思われるだろう?褒めてくれるかな、それとも幻滅されるかな。二人で映画を見に行こうねと決めているけどポップコーンは頼むべきか控えるべきか、私は食べながら見たい派だけど引かれるだろうか。
あれこれと新たな不安が浮かんできて、待ち合わせの時間もそわそわしてしまった。
そしてついにその相手が現れた時、私の心臓は胸を突き破りそうなほどに膨れ上がった。
「お待たせしました」
と、こちらも何故か敬語で登場したのが彼氏の五色工くんである。
まだ五色くんのことを名前で呼ぶほどの仲ではない、というか緊張して呼べない。出来れば今日のデートで距離を縮めて名前を呼び合うぞ!というのをこっそり目標にしている。
だけど名前なんてやすやすと呼べたもんじゃない。五色くんの私服姿があまりにも素敵で、頭が真っ白になってしまったのだ。
「…白石さん?」
「ご…ごめん!まだちょっと緊張して」
「え。どうかした?」
「どうもこうも…」
そりゃあ予想はしていたとも。五色くんは背が高いし顔立ちもいいから、きっと私服は何を着ても似合うのだろうと。
「五色くんが、かっこいいからです…」
だけど、まさかティーシャツとデニムだけでこんなに格好いいだなんて思いもよらなかったから。目を合わせるのも恥ずかしくて、五色くんのスニーカーを見つめながらの台詞になってしまった。五色くんも「えっ!?」と声が裏返ったように聞こえる。
「そっ、そういうのいいよ言わなくて」
「だって本当だもん」
「そんなこと言ったら白石さんのほうこそ…」
そこで五色くんの声が止まった。私のほうこそ、何だろう。もしかして私が五色くんを格好いいと褒めたから、五色くんも私を褒めようとしてくれている?しかし、五色くんは続きを言う前にふるふると首を振った。
「…やめとく」
「え」
「可愛いよって言おうとしたけど、それっていつも思ってることだし」
だから言うのやめた、ってシレッと口を閉じているけれど。もう言っちゃってるじゃん、私のことを「可愛い」って。しかも、いつも思っていることだって。
五色くんは自分が全部口にしてしまったことに気付いてないのか、真っ赤の私を見て首を傾げている。そんな様子で見られるのも余計に照れくさくって、私は咳払いをして話題を変えた。
「……えー…え、映画!映画館行こ!」
「あっ、そうだった。行こう」
「駅の反対側にあるからあっち、」
そして私は歩き出した。待ち合わせ場所にしていた駅の北口から、南口にある映画館に向かうために。
しかしそれもスムーズには行かなかった。勢いよく歩き始めたはずなのに、ぐんっと後ろに引っ張られてしまったのだ。出そうとしていた右脚が元の位置に戻り、一体何がどうなって何故引っ張られているのかを確認するために振り返る。…と、後ろに居たのはもちろん五色くんで、引っ張られたと思っていたのは私の右手で、そこに重ねられているのは五色くんの左手。
つまり、手を握られていたのである。
「……ッ!?」
五色くんの大きな手が、私の手を包み込んで今まさに指を絡めようとしている。その光景に驚愕した私は硬直してしまった。五色くんもそんな私に驚いて、握っていたはずの手を慌てて離した。
「ご…ごめん!嫌だった?」
「いやっ嫌じゃない!全然嫌じゃないっ」
むしろ嬉しいし、私も今日はもう一歩近付きたいと思っていたから大歓迎だ。でも五色くんのほうから、こんなにも急に触れてくれるなんて思わなくて。
「繋ご。せっかくだから」
五色くんは、私が恥ずかしさで引っ込めてしまった手を再び取った。
さっきよりも彼の手が熱いような気がする。五本の指がそれぞれ私の指と絡まって、ぎゅうっと力強く握られた。痛いくらいに強く強く、というかちょっと本気で痛くて骨にヒビが入りそう。
「ご、五色く…ちょっと、痛いです」
「え!?わっ、ゴメン」
「い、いいんだけどね?全然いいんだけど、て言うかコレが普通なのかもしれないしっ」
好きな子と手を繋いで歩くのなんて初めてだから、分からない。もしかして世の中の恋人たちは、皆こうして痛みに耐えながら手を繋いでいるのだろうか?そんな馬鹿な話はあるわけないのに、本気でそう思ってしまうほど私は気が動転していた。でも、それは五色くんも同じだったようで。
「…いや、ごめん…俺こういうの初めてで。手とか繋ぐのも…なんか、加減が分からなくって」
五色くんは焦っているようにも見えたし、心無しか嬉しそうにも見えた。それを見て私も嬉しくなってしまった、たかが手を繋ぐだけのことに戸惑っているのは彼も同じなのだなぁと。
「…私も、男の子とデートとか行くの初めて」
「え。本当に?」
「本当だよ。言ったじゃん、付き合うのも五色くんが初めてなんだから…」
一ヶ月前、付き合うきっかけになったのは五色くんからの告白だった。男の子に告白されたのももちろん初めて。更に私も五色くんのことが元々好きだったから、両想いなんだと知ってからの毎日は学校が楽しくて仕方がない。
「じゃあ…付き合うのが初めてで、今日が初めてのデートで、手を繋ぐのも俺が初めてってこと…だよね」
五色くんは指を折って数えながら言った。
「そうだけど……?」
「俺も全部初めてだから。いろんな初めてのこと、一緒に楽しめるんだなぁと思うと…」
「……思うと…?」
一体どんな心境で、何のことを話しているのかは分からなかった。だから続きを話してくれるのを待っていたけど聞こえてこない。ふと顔を見上げれば、五色くんが沸騰しそうなほどに湯気を出していた。
その真っ赤な顔を見て、私もなんとなく分かってしまった。五色くんが沸騰しそうな理由。
「……ごめん!いや初めてのことって別にそんな変な意味は無くてその健全なことであってそういうアレじゃっ」
「だ、大丈夫!大丈夫だからっ」
「まじ俺ほんとゴメン最低だ…」
赤かったはずの五色くんが真っ青になっていく。これはいけない、私は全然気にしていないのに…というのは嘘だけど、少なくとも悪い意味では捉えていないのに。
「あ、あのね。私も楽しみだから、ほんと気にしないで…」
「ごめん…」
「いいんだよ!二人でいろんなことしよう」
青白くなっていた五色くんの顔をなんとか肌色に戻したところで、ちょうど映画館に到着した。チケット売り場に並び、座席を選んで隣同士の二枚を購入する。五色くんはスタッフさんに話す口調もカタコトになっていた。
「とりあえず、初めての映画」
そう言ってまだ緊張が解れていない五色くんにチケットを渡すと、五色くんはゆっくりとそれを受け取った。
「…うん」
「あと、ほら!初めての売店」
「ソレにも初めてって付けるんだ」
「えっ、おかしいかな?」
「ううん。おかしくない」
などと言いながらも少し笑いそうになっている五色くんは、売店の列に並び始めた。
そうだ、売店に誘ってみたはいいけれど何を注文しよう?ポップコーンのことを五色くんに聞くの、忘れてた。
「白石さん、映画館でポップコーン食べるの許せる人?」
ところが私が聞きたかったことを、五色くんが話してくれた。同じことを考えてた!
「許せる!むしろ食べた…え、五色くんは?」
「一緒!俺も食べたい」
「わあー」
しかも、五色くんも私と同じ感覚の持ち主だったのだ。映画の好みも合うし飲食についての考えも合うし、おまけに格好良くて優しくて照れ屋さんで可愛いだなんて何ひとつ欠点が見当たらない。しかも五色くんは私に何を飲みたいか確認すると、飲食代をすべて支払ってくれたのだ。
「じゃあコレ、初めての奢り」
店員さんから商品を受け取って嬉しそうに微笑む姿は、今から観る映画の内容よりも印象に残ってしまうだろう。
「ありがとう」を伝えたいのに口を開けば不細工なニヤニヤ顔を晒してしまいそうで、私は顔を伏せてしまった。だけど嬉しい気持ちは伝えたい。その結果、隣を歩く五色くんの腕にしがみつくという行為に及んでしまった。
「…初めての腕組みっ」
「わっ!こぼれるこぼれる」
「ひゃ!ごめんっ」
「はは」
何やってるんだ私、文字通り興奮しておかしくなっている。おかげでポップコーンがいくつか床に落ちてしまった。近くの店員さんに頭を下げると「お気になさらず」と笑ってくれたけど、失態だ。恥ずかしい。だけど嬉しい、今から無言で映画を観るなんて耐えられるのか分からない。隣にはこんなに素敵な男の子が座っているのに。
だけど、その男の子はすっかり凛々しい横顔を私に見せてスクリーンを眺めている。それから私の視線に気づくと少しだけこちらを向いて、
「じゃあ、二時間後」
と優しく笑うものだから、私も大人しく映画に集中しなければならなくなった。映画はもちろん楽しみだったし、見たいんだけど。それより今は五色くんの顔をたくさん見たいなぁなんて、また笑われてしまうかな。
映画を見終わってからもデートは続く予定だけれども、今日はいったいいくつの「はじめて」を体験することになるんだろう。そんな期待と緊張を胸に抱きながら、映画のオープニングに入り込んだ。