ひらひら桜の下で眠るの
久しぶりの大荷物なので、忘れ物がないか確認するのは大変だ。日焼け止めにカメラに敷物にティッシュとハンカチ、それから財布とスマホは必ず必要。あとは早起きして準備したお弁当がそろそろ冷めてきたので、蓋をして包めば完成する。 ちょうどそのタイミングで玄関のインターホンが鳴らされた。お迎えが来たらしい。
「治、おはよう」
「ん。はよ」
眠気まなこ(いつも眠たそうだけど)で立っていたのは幼馴染で彼氏の宮治だ。今日は二人でお花見の約束をしているのである。
近くで済ませようかなと思ったけれど「知り合いに茶々を入れられたくない」という治の希望により、ちょっと遠出して大阪城公園まで。なかなか大阪まで出る機会も無いし、ふたりで電車に揺られるのも悪くないので私は了承した。
「ごめん!お待たせ」
お弁当を包み終えて終わりのはずが、いつも直前になって忘れ物に気付くのは何故だろう。治を玄関に立たせたままで待たせてしまった。だけど本人は気にしていない様子で片手を出した。
「貸して」
そして私の用意したものたちを全部奪って行った。中身はお弁当だと知っているから、あくまで優しく。
巷で「宮兄弟」と呼ばれて有名な侑と治は、ふたりとも背が高くて逞しい。小さな時から一緒だったけど、いつの間にか私の何倍も大きく育っていた。そして、いつの間にか注目されていた。
そんな双子の片方をずっと好きだったけど、まさか付き合えることになろうとは。未だにちょっぴり信じられない。こうして自ら重い荷物を持ってくれるような人に成長していたなんて。
電車に揺られて数十分、それから大阪環状線に乗り換えるとかなりの人混みだった。今が春休み中で、天気のいい昼間だからかも知れない。きっと同じくお花見に行くのだろう。
そういえば大阪城の周りって、最近色々出来たんだっけな。お花見以外にも楽しめることがあるのかも。…それならこんなに大きなお弁当は作らなくても良かったのでは。
「せっかく大阪城行くんやったらお弁当無くても良かったんちゃう?いっぱいお店出てそうやし」
「何、作るんめんどかった?」
「そうやなくて。たまには出店のジャンキーな感じもええかなって」
治は朝が早くて夜も遅い。ので、寄り道をして買い食いすることも少ないらしい。コンビニには寄っているかもしれないけど。ファストフードとかたこ焼きとか、そういうのは食べ歩く機会が少ないはずだ。こういう時に食べ歩きをするのも楽しいんじゃないかな、と思ったのである。だけど治はあまり興味が無いらしく、首を捻った。
「そういうんは別ん時でええねん。俺はすみれの弁当のが食いたい」
治の声が低くて小さくて、なおかつここが電車内でよかった。静かな場所で誰かに聞かれたら、とんでもなく恥ずかしい台詞。それをこんな真顔で言ってしまうなんて大物だ。
「…嬉しいこと言ってくれるやぁん」
「いつも言うてるやん」
「そうやけどぉ」
そうだけど、周りに人が居るのによくも褒めてくれるものだ。確かに私は料理にハマっていて、自分で言うのもなんだけど同級生に比べたら上手な方だと思う。治はいつも私が何かを作れば「美味しい」と食べてくれるし、私もそれが嬉しくて、もっと作りたいなと思えるようになった。学校のお弁当は基本的に親が作ってくれるから、たまにしか自分で作らないけど。
やっぱり私も意地を張らずに稲荷崎高校に進学していればよかったな、そうすれば二人分のお弁当を持って行って、一緒に昼休みを過ごせたのに。
そんなことを考えていると、電車はすぐに大阪城の最寄りに到着した。駅のホームに着いた瞬間驚いてしまった、ここで降車する人数の多さに。
「…わ。すごい人」
「みんな暇か」
「私らもやろ」
「あ、そか」
この時期に快晴とくればお花見したくなるのは当然だ。だから私たちだってここに居るんだし、しかも兵庫県からわざわざ。
まあ、治もたまの休みなのでこうして遠出するのもいいだろう。それに、少し歩くと目の前には素晴らしい景色が広がった。
「うわー…満開やん!大阪城公園てこんな広かったっけ?」
既に人がごった返しているものの、桜の花はしっかりと見えている。思いのほか綺麗なので自然と足が前に進み、口も動くようになった。
「小学校ん時、ここに社会見学で来たん覚えてる?侑が迷子なって先生がめっちゃ慌ててたやん」
「あいつ昔っから迷惑なガキやってんな」
「治も大概怒られてたで」
…という昔話にも花が咲いた。花見だけに。
小学三年の時だったろうか、わんぱく坊主だった侑が勝手にどこかに行ってしまい、先生が真っ青になっていた記憶がある。侑はシレッと戻ってきたのでよかったけど。そしてその時、治は気にせずにお弁当を食べていた。まだお弁当の時間じゃなかったのに、先生の目を盗んで勝手に。
だけど今日は好きな時間に好きなだけお弁当を食べられる日だ。ふたりきりのデートだから!
たくさんのお花見客の中に少しだけスペースがあったのでシートを敷き、私たちは腰を下ろした。いよいよお弁当のお披露目である。
「こっち、治の」
「おお〜…すご」
「足りる?」
「足りんかったらそのへんで何か買うわ」
「買うんかい」
「足りんかったらやんか」
多めに作ってきたつもりだけど、これはもしかしたら足りないかもな。まあいいか。治は割り箸を割って「いただきます」を言うと、卵焼き(今日は上手に巻けた)を口に運んだ。
「…うまい」
「ほんま?」
「ほんま。天才」
そう言って治は次の一口を、また次をとぱくぱく食べて行った。口が大きいから減るのが早い。その大きな口の中でもぐもぐ噛むと、治の頬がぷくりと膨れる。高身長の宮治を「可愛い」と思える貴重な瞬間である。
「…はよ食べーや」
あんまりにも可愛いのでジッと見ていたら、治は見られていることに気付いたらしい。はよ食べろって言われても家で味見したし。それに、治のこと見てたいし。
「後でええねん。食べてるとこもっと見せて」
「なんやそれ」
「やって、私が作ったもん食べてくれてんの嬉しい」
「お前も食うてまうぞ」
「デザートやな」
「恥じらっとけソコは」
さすが、食べながらでもしっかり会話のキャッチボールをしてくれるのは治らしい。侑と治は小さな時からお喋りが好きだった。うるさくて怒られたのは数え切れないほど。まあ、今ではちょっぴり澄ました男に成長しているが。
「お腹いっぱい?」
そのうちお弁当を空っぽにした治に聞くと、彼はゆっくり首を振った。
「…腹八分目ってとこ」
「うそやん。やっぱ足りひんかった?」
「いける」
もう一度首を振ると、治はお弁当箱を片付け始めた。「ごちそーさん」と合わせる手のひらも昔とは大違い。だけど同じなのは、食べ終えた瞬間に彼の目がウトウトし始めたことである。
「眠たなってきたな」
「子どもか」
「欲望に忠実やねん。なあ、膝貸して」
「えっ」
膝貸して、の意味が一瞬分からなくて聞き返したけれど、治は私が返事をする前に寝転んだ。私の太ももに頭を乗せて。いわゆる膝枕!
「お、治」
「あー…ちょうどええわコレ」
「ちょっと」
治に膝枕をしたことが無いわけではない。二人きりの時はわりと甘えて来たりする。だけどここは人が沢山いるし。誰も私たちのことなんて注視してないだろうけど、少し恥ずかしい。…でも嬉しいので、治の頭を無理やりどかす理由にはならない。
静かになった治はうつくしい寝顔を私に向けたまま、すうすうと息をしていた。食べた直後に寝るなんて本当に子どもみたい。こんなに大きくて格好良くて頼れるのに変な感じ。かわいいなあ。自然に笑えてきて、治の頭を撫でてみた。ちょっぴり乾燥している硬い髪質。男の子ってかんじだ。
「…治くーん」
「何」
「あ。起きてた」
「目ぇ閉じてるだけやで。何?」
「ううん。なんもない」
寝てるのかなと思って呼んでみただけだった。治は目を閉じたまま「ふうん」と呟き、また寝る体勢に入る。頭、撫でてるの鬱陶しいかな。そう感じて手を引っ込めてみると、すぐに治が薄く目を開いた。
「もうちょい撫でといて、頭」
「え」
「気持ちええねん」
治って意外と、子どものように甘やかされるのが好きなのか。思わず吹き出しそうきなったのを堪えて、だけど笑顔になるのは我慢できなかったので、私はニヤニヤしながら治を撫でた。高校が違うとはいえ小さい時からずーっとずーっと一緒だったのに、私って治のことがどれだけ好きなんだろう。
「…寝そう」
「ええよ、寝ても」
「脚、しんどない?」
「しんどなったら起こす」
「ん」
そして、治はとうとう本当に眠りに落ちそうだった。だんだんと静かになり、腹式呼吸が深くなる。お腹の上に乗せられた手を軽く握ってみると、その手に少し力が入った。まだ寝てなかったみたい。でも、握り返してくれながら治は言った。
「…むっちゃ幸せやな、これ…」
ほんの一言なのに、最後のほうはむにゃむにゃとしていて呂律が回らなかったらしい。たった今握られたはずの手もダランと力が抜けた。お昼寝開始である。
幸せやなって言ってもらえるこっちのほうが幸せ者だ。「そうやなあ」と答えた私の声はもう聞こえてないだろうけど、近くで小さな子どもが騒いで治が目を覚ますまで、私はずっと膝枕をしていた。お花見に来たのに全然桜のことなんて見てないな。治は花より団子だし、私は花より治だし。