ヤケドさせないでね
いつからだったかな、率先して掃除や片付けをするようになったのは。そうすれば下校時刻が遅くなるのは分かり切っているのに。暗い道を歩くのはちょっぴり怖いしお腹も空くのに、私はわざと学校に残っていた。男子バレー部と同じ時間に下校するために。
「白石さん!もういいんだよ、毎回そんなに綺麗にしてくれなくて」
今日も部室の掃除や片付けをしていると、二年生の先輩が気を遣ってくれた。
三年生は先日のインハイ予選で負けてから引退してしまい、今は一・二年生のみで部活を行っている。何の部活かと言うと、女子バレー部だ。
「大丈夫です。私が気になるだけなので!」
「ありがとう、でももう部室閉めちゃうよ」
苦笑いしながら先輩が言った。私を潔癖症か何かだと勘違いしているかもしれない。だってどうしても遅めに帰りたかったのだ。少しでもその姿を見たいから。
「…あ。男バレも終わりみたいだね」
そして、計画通りのタイミングであった。私たちが部室を出た時、ちょうど男子バレー部もぞろぞろと出てきたのだ。その中には、居るだけで私の心にぽっと火を灯す人物もしっかりと混ざっていた。影山飛雄くん。クラスも同じ男の子である。
男子バレー部の人たちは、私たちの存在に気付くと「お疲れ様です」と挨拶をしてきた。私たちも頭を下げて応え、そのまま一緒に校門まで歩いていく。私は影山くんの近くを歩くかどうか迷ったけれど、日向くんが自転車を押して現れて彼の隣を陣取られてしまった。
「坂ノ下寄ってく人ー?」
男子の先輩が後ろを振り返りながら言った。この場面にも遭遇したことがある。男バレのコーチは学校近くの坂ノ下商店の人だから、男子は頻繁に寄り道しているのだ。
前にこの様子を見かけた時、影山くんは皆と一緒に坂ノ下商店に入って行った。だから今日もそうなんだろうなと思い、影山くんと一緒に歩ける(二人きりではないけど)のもここまでか、と思っていると。
「影山は?」
「今日は帰ります」
「そっか。また明日な」
「っす」
どうやら今日の影山くんは、寄り道せずに帰るらしい。てっきり皆と一緒にお店に消えるものだと思っていたので、予想外の展開だ。何が予想外って、影山くん以外の全員が坂ノ下商店に入ったせいで、私と影山くんの二人きりになってしまったことである。女子の先輩は早々に自転車を漕いで解散済みなのだった。
「…みんな仲良いね、男バレ」
「そっちもな」
何か話さなくちゃと思って当たり障りない会話を振ってみると、影山くんは案外普通に返してくれた。ただしここから会話を広げるとなると、自力で頑張る必要がありそうだけど。
「…今日、肉まん食べるって言ってたよ皆。影山くんはいらないの?」
そこで私は、駅に向かって歩きながら聞いてみた。さっきリベロの西谷先輩が肉まんの話をしていたから。この前も男子バレー部全員で肉まんを頬張っているのを見かけたし、男子の練習はきつそうだからお腹がすきそうだ。しかし、影山くんは首を振った。
「要らない。そうしたら白石さん、一人になっちまうし」
そして、とても驚きの言葉を放った。あの道で男子全員が坂ノ下商店に入ってしまった場合、帰り道には私ひとりが取り残されてしまうからという理由で、影山くんはお店に入らず残ってくれたのだと言う。失礼だけどそんなことを考えながら行動する人だとは思えなくて、槍でも降るんじゃないかと空を気にしてしまった。
「…そんなの、気にしなくていいのに」
「気にするかどうかは俺の勝手だろ」
「……」
確かに仰るとおりなんだけど。照れ隠しなのか本音なのか。とにかく女子である私を気にかけてくれたことは確かだ。
私は入学当初から彼に惹かれていたけれど、影山くんの中に「男子」「女子」の概念があるのかどうかは正直分からなかったので驚いた。失礼だけど、本当に、それほど影山くんは特別な空気を纏っていた。
「女子のほうは残念だったな」
更に今日は、影山くんのほうからこのような言葉を投げかけられた。女子バレー部はインターハイ予選ですぐに負けてしまったのだ。それを男子も知っているとは思ったけど、まさか「残念だったな」という台詞が出てくるとは。
だけど、せっかく労ってもらっても、私は今回の大会ではなんの活躍もしていない。
「…ああ、うん。私は試合にも出てないけどね」
「そっか」
「それに比べて影山くんは…」
影山くんは最初から最後まで、全部の試合に出ていて凄いね。
と、言おうと思っていた。つい一瞬前までは。
「俺は、何?」
口を噤んだ私を見て、影山くんが言った。
続きの言葉は言えやしない。だって影山くんが試合に出られているのはラッキーでも何でもなく、彼の努力の実力あってこそなのだから。私は単純に「凄いね」と思っているけれども、影山くんからすれば失礼に当たるかもしれない。だから、続きは誤魔化すことにした。
「…や、なんでもない」
「気になるんすけど」
「なんでもない!それよりさ、男子はこんな時間まで練習して気合入ってるね」
「白石さんこそ、こんな時間まで残ってるのは気合入ってるだろ」
別の話題で盛り上げるつもりが、また私は言葉に詰まってしまった。
影山くんは、私が練習熱心だから遅くまで学校に残っていたと思っている。でも、そうじゃない。確かに練習は最後まで参加していたけど、もっと早くに帰ろうと思えば帰れるのだ。
「私のは、気合とかじゃなくて…」
ギリギリまで何か用事を見つけて残っている理由は、影山くんと同じ時間に帰りたいからである。会話はできなくたっていい。坂ノ下商店までの道のりを、何メートルか後ろから眺めているだけでもいい。むしろ、それで良かったのだ。
それが今日は偶然影山くんだけが寄り道をしなかった。だからこうして二人で歩いている。あまりに想定外だったので、何の話題も用意していなかったのが悔やまれる。こんなことなら影山くんも坂ノ下で肉まんを食べてくれれば良かった。いや、一緒に帰れるのはもちろん夢のように嬉しいんだけど!
「あの」
「えっ!はい」
ぐるぐる考えごとをしていると、影山くんが急に話しかけてきた。いちいちビクッと反応してしまって恥ずかしい。が、影山くんは私のことなんて見ておらず、ある場所を指さしていた。
「寄っていいすか。肉まん食いたい」
駅の手前にあるコンビニだ。そこで肉まんを買うのだと言う。当然私は拒否するつもりなんて無い、けど。
「…やっぱり食べたかったんだ」
「さっきは要らなかった」
「ふうん…」
坂ノ下商店では「要らなかった」のに、ほんの五分程度歩いたコンビニでは肉まんを「食いたい」。この短い間に彼の胃袋のスペースが大きく空いたとは思えない。それならさっき買い食いをすれば良かったはずだ。他の部員と一緒に。でもそれを断って一緒に帰ってくれているなんて、そんなのドキドキしてしまうじゃないか。そのドキドキの音は幸いにも、コンビニ内のBGMでかき消すことができた。
「…白石さんは?」
「え」
「何も食べねえの」
「あ、うん。ダイエットしてて」
「だいえっと」
まるで珍しい単語を聞いたかのように影山くんが復唱した。ダイエットをしているのは本当だ。と言っても過度なものじゃなくて、買い食いや間食を我慢しているだけ。
「そんなの必要ないと思うけどな」
影山くんは無事に購入した肉まんを開けながら言った。またドキッとする一言を。
「…そ、そうかな」
「だって、食わなきゃ部活で体動かないだろ」
「……」
思わず「そっちですか」と突っ込みそうになった。
「痩せる必要なんか無いのに」という意味で言った言葉じゃないのか。まあそうだよね、彼からすればダイエットなんて馬鹿らしいだろうな。食べるものを我慢する、イコール部活に支障が出るってことだ。バレー部で身体を動かすんだから、食べものを控える必要はないってこと。
「…って、いうのもあるけど」
半分くらいまで食べ終えた影山くんが、ぼそっと言った。
「けど?」
「ダイエットなんかしなくてもいいんじゃね」
「え……、そう!?」
「……」
影山くんはもぐもぐと肉まんを食べ続けている。私が聞き返していることに答えるつもりがあるのか無いのか分からないような表情で。やがて最後の一口を放り込んで入念に噛み、ごくりと飲み込んで、ようやく口を開いた。
「…明日も一緒に帰りませんか」
…質問の答えになってない。
でも不思議とそれを指摘する気にはならなかった。影山くんはじっと地面を睨んでいたけど、わざと私の顔を見ないようにしている気がしたから。だって、そうじゃなきゃ今、彼が居心地悪そうに唇を尖らせている理由とは繋がらない。そんなふうに顔をしかめながらも「一緒に帰りませんか」と誘ってくれる理由とは、到底繋がらないのだ。
「…うん。帰る」
「あざす」
「男子が終わるの、待ってる」
「おう」
本当は今日も昨日も最近はずっと、待っていたんだけど。男子バレー部の集団を、後ろからちらちらと眺めているだけだったけど。影山くんが一緒なら明日はいつも以上に部活を頑張って、帰りに肉まんを食べてしまおうかな。
だって私は影山くん曰く、「ダイエットなんかしなくてもいい」みたいだし。