緊張感のない愛情
友だちの延長で付き合ったような私たちは、世間一般で言う「付き合いたてのラブラブ」な状態を経験していない。
花巻は高一の時から同じクラスで席が近く、趣味が合ったことから仲良くなった。高二の時には花巻に彼女が出来たりもした。けどほんの数ヶ月で彼らは別れ、周りからは「白石が邪魔したんだろ」なんてからかわれたり。人の恋路を邪魔するわけがないっつーの、大体私は花巻のことなんて何とも思っていなかったんだから。
高三の春、「そろそろお前ら付き合えよ」と言われ、花巻が「それもそうだな。付き合う?」とみんなの前で告白してくるまでは。
「花巻ー、かえろ」
月曜日、毎週この日は部活が無いので花巻と一緒に帰ったり宿題したり、寄り道したりしている。今日もいつもの感じで声をかけたけど、花巻は片手を挙げた。
「ごめん、俺ちょっと用事あんだわ」
「そうなの?何?」
「なーいしょ」
「ナニソレ。まぁいいや、帰るね」
「ういー」
花巻は私に隠しごとをしない。していたとしても詮索したことが無い。裏表ない性格だというのは知っているので、やましいことは当然無いと思っているからだ。だから「内緒」という今の返答も、つまらない冗談だと思っていたのだけど。
「え、花巻くんに告白するの?」
ぴたりと足が止まった。五組の前を通った時に、教室の中で女の子の声が聞こえたのだ。しかも到底聞き流すことのできない内容。
誰が誰に告白するって?私は思わず廊下に張り付いて、教室内から自分の姿がみえないように隠れた。
「うん。今から会ってくれるの」
「でも彼女いるじゃん」
「いるけどさあ、全然ラブラブって感じじゃないしイケるかなって」
「それは分かる」
聞こえてますけど。
まさか私に聞かれてるなんて思ってないよね、だからこんなことが言えるんだよね。私だって自分たちが傍から見てカップルに見えるだなんて思っていない。あまりにも友だちの期間が長かったし、未だに苗字で呼び合っているし。
「花巻くん、あの子のこと好きなのかな?あんまりそうは見えないよね」
極めつけはコレだ。ぐさぐさ心に刺さる言葉を簡単に言ってくれるじゃないか。
でも不思議と腹は立たない。だって、彼女の言うことはもっともなのだから。花巻は果たして私を好きなのかどうか。今まで一度だって「好き」と言われたことが無いんだもん。
「……私だって知りませんけど…」
好かれてるのかなんて知らない。少なくとも嫌われてはいない、と思うけど。付き合ってるし、毎日メールをしているし。嫌われてないよね。好きなんだよね?でもさっきの子のほうが可愛くて、花巻のことを「花巻くん」なんて呼んじゃって、いかにも護ってあげたくなるような雰囲気だ。
急に不安になった私は帰るのをやめ、スマホを取り出し電話を鳴らした。相手は花巻貴大だ。
「………」
出ない。今は告白劇の真っ最中だろうか。
て言うか、女の子に呼び出されているのを秘密にしているなんてどういうこと?もしや告白を受ける気か、あいつ。
不安と怒りとショックが繰り返しやって来て頭の中はパニックだ。きっと私の表情もめちゃくちゃに違いない。どうしても花巻を直接問い詰めなければ気が済まないので、私は待ち伏せをすることにした。花巻が使用する駅の前で。
「あっ」
恋人の声は、意外とすぐに聞こえてきた。私を見つけてビックリしている声。女の子からの呼び出しを受けて告白されたにしては、早い登場である。
「白石!何してんの」
「それはこっちの台詞ですけど」
「いや俺の台詞だろ」
「花巻こそ、学校残って何してたの?」
私は単刀直入に聞いた。いつもと同じ軽口を叩くような流れで。
だけどそこで花巻は言葉に詰まったのだ。それが信じられなくて、でもショックなのを顔に出すのは悔しかったので、私は大袈裟に言ってみせた。
「…言えないんだあ。私、彼女なのに」
「言う必要が無いことは言わない主義なの俺は」
「言えばいいじゃん。恋人って隠し事を始めたら終わりなんだよ知ってた?」
「恋人」のように振る舞うのが苦手な私が言うのもおかしいけれど。今、花巻が正直に言ってくれなかったのは悲しかった。言う必要が無いなんて、そんなことあるわけないじゃんか。だって私たち、付き合ってるんだよ。
「今日はやけに恋人ぶるじゃん、どうしたの」
極めつけには花巻にこんなことを言われて、頭にきた。恋人ぶるって言い方、何。正真正銘の恋人じゃないの、私たち?
「……べつに。何もない」
「そー?」
「帰るわ」
「オイオイ電車一緒だろ、一緒に帰りゃいいじゃん」
「歩いて帰るもん」
「白石っ」
ずかずかと歩き始めた私の腕を花巻が掴み、ぐいっと強く引っ張られた。同時にクラクションの音が鳴り、それは自分に向けて鳴らされた警告だと気付く。私、頭に血が上っていて周囲のことを見ていなかったらしい。
「…赤信号」
「ご、ごめん…」
花巻が引っ張ってくれなければ、車に轢かれるところだった。…元はと言えば飛び出したのはコイツのせいなんだけど!だから素直にお礼を言えず、私たちの間には気まずい空気が流れた。
「…知ってるんだろ、その様子だと。どこで聞いたのか知らないけど」
先に口を開いたのは花巻だった。ようやく告白のことを話す気になったようだ。
「聞こえたの。五組の子たちが話してたから、花巻に告白するとかなんとかって…」
告白するとかしないとかは、その人の自由だからなんとも思わない。ちょっと首を傾げたくなるけれども。だけど私が引っ掛かるのは、告白のことでは無い。
「…私たちがラブラブじゃなさそうだから、イケるんじゃないかって言ってた」
「イケるとは?」
「押せばあんたと付き合えるんじゃないかってことでしょ」
「ああ…ふーん」
花巻は興味なさげな返事をした、ように聞こえた。まるで自覚があったとでも言いたげではないか。彼女が居ながら、女子に告白される隙があると認めているように聞こえる。
それって凄く悲しいことだ。花巻はどうして私と付き合ってるんだろう。周りに乗せられたから?それだけ?
「で、何、もしかして嫉妬してた?」
私の気持ちも知らないで、花巻は顔を覗き込んできた。弱みを見せるのは悔しい。咄嗟に私はそっぽを向いた。
「してないし調子乗らないで」
「乗ってねーよ。気になるんだもん」
「何でそんなこと気にすんの」
「そりゃあ好きだから」
花巻を押し返そうとしていた手から、力が抜けた。今まで聞いたことのない単語が、彼の口から発せられたからだ。
「…好きなの?」
「じゃなきゃ付き合ってなくね?」
「え、いや、でも」
「何」
「だって……」
好きだなんて言われたことない。友だちみたいなノリで付き合っていたから。私も照れくさくって、好きとかなんとか言ったことないし。まだ、手も繋いだことないし。ただ一緒にいるだけの男と女って感じで。何より花巻は私に触れようとかキスしようとか、そんな素振りすら見せられたことが無いのだ。
「…花巻は私のこと、そんなに好きじゃないのかと思ってたから」
じんじんと腕が熱くなってきた。花巻がまだ、私の腕を掴んでいるから。花巻の手が熱いから。そして、どうやら私自身も熱を放ち始めた。
「周りに言われて仕方なく付き合ってんのかと、思ってたから…」
本当はあのとき嬉しかったのに、花巻が軽く「付き合う?」と言ってきたのに対して「じゃあそうする?」としか返せなかった。私だけが花巻のことを好き、という構図は嫌だったから。でもそうじゃなかった。花巻は私のことを好き、らしい。
「白石はどうなの?」
「わ、私は」
そんなこと、いちいち聞かないでほしい。付き合ってるんだから分かるじゃん。だけど花巻の目がいつになく真剣で、はぐらかすのは無理だった。
「…好きじゃなきゃ付き合ってない」
「それさっきの俺の台詞」
「し、仕方ないじゃん同じこと思ったんだからっ」
「素直じゃねーな」
「可愛くないって?」
「んーん、なかなか可愛い」
また初めての言葉に硬直してしまった。まさかそんなことを言われるとは、というか思われているとは。
「…な、か…かわっ、かわいい?誰が」
「白石が」
「う、嘘!そんなの今まで一言も」
「可愛いって思えなきゃ付き合ってないよ」
真面目な顔して言う花巻が別人みたいで、言い返すことができない。言い返す必要なんか無いんだけど。だって恥ずかしいんだもん。素直に「嬉しい」って笑うことができない性格なんだもん。
結果、「あっそ!」と言って無理やり終わらせたのだった。可愛くないな、私。どこが可愛いんだろう。
「ちなみに告白、断ってきた」
「あ…あ…当たり前でしょ!私たち付き合ってるんだから!」
「だよなー」
「浮気したら張り倒すから!」
「はは、こえー。しないよ絶対」
何故、浮気を絶対しないと言いきれるのか不思議だ。私はこんなにも見栄っ張りの意地っ張りで、まだ恋人らしいことなんてひとつもしていないのに。
でも花巻があの子の告白を断ってくれたのは嬉しくて仕方ない。浮気をしないって言ってくれたのも嬉しい。可愛いって言われたのも好きって言われたのも全部。
…あと、私が初めて「好き」って言ったとき、すごく嬉しそうな顔をしていたのも。