きみに呆れるのはもうあきた
十七年の人生のうち、今日の私が一番可愛いんじゃないか。そう思いながら鏡を見て、右を向いたり左を向いたりして髪型やメイクを確認した。
何故こんなに手間をかけるのかというと、今日が彼氏と付き合って初めてのデートの日だから。恋人の御幸一也は同じクラスの生徒、と言ってもそこらの男子高校生とはわけが違う。私たちの通う青道高校は野球が有名で、一也はそのキャプテンに就任した。朝早くから夜遅くまで部活に勉強に励む彼の心労は計り知れない。ろくな休日もなく野球一筋の生活を送っているのだ。
そんな一也と恋人関係になれたのは二ヶ月前で、なんと今日が満を持しての初デート。普通のカップルなら付き合った初日とか翌日にでも放課後デートを楽しむのだろうけど、名門野球部はそうも行かない。一也以外の部員もきっとそう。だからようやく巡ってきた今日の日を、一番可愛い姿で迎えたいと思ったのだ。……と言っても午前中はみっちり練習だったらしいので、会うのは午後からなのだけど。
『着いた!』
一也は寮で生活しているので、私は日曜日だけど寮まで迎えに来た。「来なくていい」って言われたけど、一刻も早く会いたかったから。
「どんな顔するかな……」
先述のとおり今日はとびきり可愛くしてきたつもり。半月前から夜のストレッチや筋トレをして体を引き締め、大好きなおやつも我慢した。全ては今日、おろしたてのミニスカートを可愛く着こなすためである。おかげで鏡の前に立った時は「私、イケてんじゃん!」とテンションが上がった。果たして一也のテンションはどうだろうか。野球のこと以外で浮き沈みしない人だから、ミニスカートなんて見向きもされなかったりして。
「……もしかして白石?」
聞こえたのは一也の声ではなく、彼のチームメイトのものだった。去年同じクラスだった麻生くんだ。麻生くんも今から出掛けるところらしく私服姿で、同じく私服の私を珍しそうに見ていた。普段は制服姿でしか会わないから無理もない。
「何してんの。あ、御幸?」
「そう」
「呼んでくるか?」
「大丈夫。もう来るってメッセージ来た」
ちょうどスマホのバイブが鳴って、一也が寮を出たとの知らせがあった。麻生くんは「あっそ」とあまり興味を示さずに、先に駅のほうへ歩いて行った。確かに部活仲間が彼女と過ごす休日の様子なんて見たくないか。
「悪い悪い。監督に捕まってた」
それからすぐに一也が現れ、急いで来てくれたらしく髪が変に跳ねていた。そんな髪なのに顔が良くて背が高いおかげであまり気にならず(後で直してあげるとして)、髪よりも服装に目がいった。私たちは休日に会うのが初めて、つまり一也の私服を見るのも初めてなのだ。
「……私服だ!」
「そりゃ私服だろ」
「私服持ってたんだ」
「そりゃ持ってるだろ」
「いやあ、もしかしてユニフォームで来るんじゃないかなって思ってた」
あれほど野球が大好きな一也のことなので、そんなことも有り得るかなぁなんて思っていたが。「そんなワケあるか」と軽く突っ込まれた。初デートの緊張をほぐすための冗談は大スベリである。
「じゃー行くか」
そして合流するや否や、一也がさっさと歩き始めてしまった。
「今日の服どう?」とか聞いてみたいけど自分から聞くのは癪だし、麻生くん以外の部員も出入りする場所なのであまり見られたくないかもだし。初デートにしては素っ気なくないか? と思いつつ、でも普段の一也そのままだなとも思いつつ。デートだからって変に力を入れないのが御幸流なのだろうか。
「一也」
でも、隣ではなく前を歩く背中に少しムッとして声をかけた。一也は立ち止まって振り返り、どうしたのかと私を見下ろす。言わなくても分かって欲しいけどきっと無理だろう、ファーストキスの時も「しないの?」って聞いたの私だしな。そのくせキスせず解散する日には「キスは?」って聞いてくるし、この男は本当に。
「……手!」
「え?」
「手! 繋ぎたい」
「ああ手ね。はい」
やっぱり全く分かっていなかったらしく、「繋ぎたい」と伝えてようやく一也が手を出してきた。漫画で読む初デートと全然違うな。さすが御幸一也。
でも手を繋げるのは嬉しいので、指をからめてぎゅっと握った。一也もちゃんと握り返してくれたのでホッとしたし、きゅんとした。我ながら簡単に機嫌が直る女だ。そのまま一也のほうに半歩寄って、腕と腕がくっつくくらい近付いて歩こうとした……が。
「あんまりくっつくなよ。歩きにくい」
と、もっともな意見を言われてしまった。二十センチも身長の差のある女に引っ付かれたら、そりゃあ動きにくいだろうけども。
「だって、デート初めてなんだから……くっつけるだけくっつきたいんだもん」
私も負けじと抵抗した。大丈夫、家を出る前に鏡で見た私は過去一番可愛かったんだから。今日ばかりは一也も「仕方ないな、かわいいやつめ」って許してくれるはず。
「そんなこと言われても外じゃくっつけないだろ」
やっぱり一也は一也のままだった。コレを意地悪ではなく真剣に言っているのだから恐れ入る。人気のないところでハグやキスは全然抵抗なくしてくれるのに、ひとたび教室や廊下になると全く触れても来ないのだ。分かりますとも、クラスメートに恋人同士の雰囲気を見られるのが照れくさいとか色々あるんでしょう。でも今は、確かに道端だけど、デート中なんですけど? 何度も言うけど初めてのデート!
だけどせっかくの日だから空気を悪くするのが嫌で我慢した。手は嫌な顔せず繋いでくれてるし、ぜいたくは言えない。
「あ。すみれ、ここ寄っていい?」
都心部に出ると、一也がとある建物を指さした。大きなスポーツ用品店だ。
私は「初デート」に特別な思いを抱いているとは言え、アレをしたいとかココに行きたいという強い気持ちはない。半日しか過ごせないし、どこかに行くのは丸一日空いてる時にしようと思って。だから一也に行きたい場所があるなら、そこについて行くのは全然構わない。
「うん。いいよ」
「そのへんブラブラしてていいから」
「ううん、一緒に見る」
「無理すんなって。外いろよ」
ところがせっかく私も中に入ろうとしたのに断られてしまった。そのへんブラブラしてろと言われても、ブラブラ出来るほどこのへんのこと知らないんですけど。
「……じゃあここで待ってる」
「おう」
一也は私が微妙な反応をしたことにはまったく気付かず、軽い足取りで店内に入って行った。今日一番の明るい顔で。演技でもいいからさっき私と合流した時にもそんな顔をして欲しかったもんだ。
仕方がないので入口横の壁に背中を預け、先日ダウンロードしたばかりのゲームアプリをタップした。適当に時間つぶしのできる内容で、友だちにすすめられたもの。どうせやらないだろうと思っていたけど、皮肉にも役に立ちそうだ。
「あ」
アプリが立ち上がったのと同時に、また一也以外の声が聞こえた。顔を上げるとさっき寮の入口で会った麻生くんが居て、ひとりで立っている私を不思議そうに見ていた。
「麻生くん? 来てたんだ」
「おー。え、中に御幸いたけど」
「うん。ここで待ってんの」
「は!?」
「それが普通の反応だよね」
よかった、私の感覚はおかしくないようだ。デート中なのに私がここで時間つぶしをしている理由を簡単に説明すると、麻生くんは怒るどころか呆れていた。
「いやいやいや……いくら御幸でもそれはしないと思ってた」
「するみたいです」
「今度こそ呼んでくるか」
「いいよ呼ばなくて! 機嫌損ねられたら困るし」
「損ねないだろ。呼んでくる」
麻生くんは私が止める間もなく店内に戻って行った。ありがたいけどちょっと怖い。一也は基本的に感情的にはならないけど、こと野球に関しては、邪魔をされるとあんまり良い顔をしないから。
「……まだ見終わってねーんだけど」
案の定、麻生くんに連れられて出てきた彼の第一声はコレだった。まったくもって納得していない顔。おもちゃを途中で取り上げられた子どもの顔である。
「お前! 俺が言うのもなんだけどそれは良くないぞ」
「分かってるけど今日じゃなきゃなかなか時間作れないだろ俺ら」
「それはそうだけども」
麻生くんが一生懸命に一也を諭している。いい人だなあ。一也もそれに耳を傾けてはいるけど、やっぱり不服な様子が隠しきれていない。ひどいなあ。確かに昼間の時間を自由に過ごせる貴重な日だから、行きたい場所でゆっくりしたいのは分かるけど。うん、ひどいな。
あまり長々と話しても良くないと思ったらしく、麻生くんは「程々にしろよ」と言ってどこかに行った。残された一也は、どうして自分が麻生くんに店から引っ張りだされたのか理解していない。いや、理解はしているんだろうけど腑に落ちてない。
「……いいよ。私、帰るね」
なんか疲れたし、楽しめないな。そう思ってぽろっと口にした言葉で、一也の表情は不満から驚きへと一変した。
「……え」
「私と居る時間勿体なさそうだし」
「は? そうは言ってない」
「言ってなくても思ってるよね」
「思ってねえよ」
一也は驚きながらも怒っていた。私からすればなんで一也が怒るのか分からない。こっちは我慢に我慢を重ねて限界だと言うのに。爆発させずにいるだけありがたいと思ってほしい。
「……スポーツ用品見に来るのは全然いいんだよ。でも、でもっ」
「!?」
しかし、ついに私の目から涙が流れると一也の怒りは消えた。
わざとじゃない。泣くつもりなんかなかった。落ち着いたフリして颯爽と帰ってやりたかったのに、悲しくて悔しくて溢れてしまったのだ。そうなれば冷静になれるまで時間がかかる。ひとしきり泣かないと我に返るの難しいよね、女の子って。だからぼろぼろ泣きながら一也への不満を訴えた。一也から手を繋いでくれなかったこと、今日の私を一度も褒めてくれないこと、しまいには私をひとりで待たせようとすること!
「ちょっとでも一緒にいたいのに、別行動させようとするし」
「それはすみれが一緒に見ても退屈だろうと」
「退屈じゃないもん!」
これが何度目かのデートならまだ分かる。毎回毎回どこに行くのも密着したいとか共有したいとかは思わない。でも初めてなんだから! せっかく学校以外で過ごす時間なんだから、普段の一也がどんな感じなのか知りたいのに。私のことも知ってほしいのに。会話なんかなくても、興味のないグローブやバットを眺めるだけでも、それでもいいのに。
「一緒に居られるだけで楽しいもん」
また、涙が頬をつたうのを感じる。せっかく張り切ってチークを塗ってきたのに台無しだ。
「……ゴメン」
「ほんとに思ってる?」
「思ってる……」
さすがの一也も彼女の泣き顔を見るとまずいと思ったらしい。見たことがないほどバツが悪そうにしている。こんな姿を対戦相手の高校に見られたら絶対に舐められるだろう、それほど申し訳なさそうな顔。そんな一也を見たら怒るのも馬鹿らしくなってきて、自然と涙が引っ込んだ。言いたいことをひととおり言えたのも理由のひとつ。
「……はあ。じゃあこの話は終わりにしよ!」
「えっ。終わりでいいの?」
「せっかくのデートなのに長引かせたくない」
せっかくのデートだからこそ言うのは我慢しようとしてたわけだけど、無理だったから。せめえぱっと終わらせたい。
一也は本当に私の気持ちが落ち着いたのか心配らしく、ちらちらと様子を伺っている。でももう本当にスッキリしたので、今度は私が誘うように手を出した。
「入ろう」
入るのはもちろんスポーツ用品店。一也はてっきり私がもう別の場所に行きたがると思っていたらしく、入口と私とを交互に見た。
「……えっ?」
「まだ見足りないんでしょ」
「足りねーけど……」
「じゃあホラ」
差し出した手を急かすように振ってみせると、ようやく一也が前に出た。今度は望みどおり何も言わずに手を繋いでくれて、今度こそ並んでお店に入る。なんの色気もない道具やウェアがディスプレイされる中を歩くのは、ちょっと変な気持ちだけど。一也が「ホントごめんな」と呟いてくれたのでよしとする。
「いいよそんなに謝らなくて」
「いやあ、頭上がんねーな……」
「そう思うなら私のやりたいことにも付き合ってよね」
「何? やりたいことって」
一也は何か難しい要求をされるのかと思ったらしく、少し身構えた。高いものを買えとか高い入場料のテーマパークに行きたいとか言い出すと思われたのだろう。でも違う。そりゃあいつかはって思うけど、今は全然そんなんじゃない。
「くっつきたい」
ただ一也とくっつきたい。学校じゃできないくらいに長く近くぴったりと。
それを聞いて、一也は何度か瞬きをした。「そんなこと?」と思われたか、「それは無理」と思われたか。返ってくる言葉が怖くなってきた。
「外じゃくっつけないって言ってるだろ」
そして、やっぱり一也らしい回答が返ってきた。一気に落胆だ。
「……分かってるし! いいもん手繋いで歩くだけで今日は十分だから」
「カラオケかどっか入らないと」
「え」
この流れだと普通に断られると思ったのに、まさかプラスアルファの提案があるとは思わなくて耳を疑った。
「じゃなきゃくっつけないし、寒いだろ?」
それどころか今になってようやく私の首から下に目をやって、服のことを言い出したのだ。今日の私はニットのミニスカート。気合を入れて着てみたものの少し冷えるなと思っていた。とはいえ可愛く見せるためなら我慢できる程度の気温。なのにこの人、いつの間に私が寒がってることに気付いたんだろう。というか服、見てたんだ。
「……服装なんか見てないと思ってた」
「見てるけどあんまりジロジロは見れねーだろ、脚出してるし」
「そ、そうだけど」
改めて「脚出してる」なんて言われるとかなり恥ずかしい。思わず手を握る力が強くなってしまい、照れが一也に伝わってしまったらしくて小さく笑われた。
「もうちょっとだけ付き合って。さっさと見て回るからさ」
一也が握った手を引っ張って、私を少しだけ自分のほうに寄せた。さっきまで私が怒って一也がヘコヘコしていたくせに、こんなにもあっという間に優位に立たれるとは。ムッとしてしまったけどこのあと二人きりになれる場所に行けるのだと思うと、これまでのことなんてどうでもいいくらい幸せな気分になった。やっぱり私って、簡単な女だなあ。