いびつなイズム
テレビとか雑誌では、時々「大学生になれば時間に余裕ができて遊べる」と言われている。もちろん人によるだろうし環境にもよるのだろうけど、大学受験前の忙しさに比べれば暇なんだろう。
だから彼氏が無事に大学に合格すれば前よりもっともっと遊んだり、遊ぶのは無理でも会えたりするはず……と思っていたんだけど。どうやら机上の空論だったようだ。
『ごめん、やることあるから今度でもいい?』
この四月に大学生になったばかりの彼氏から、悪びれもせずにこんなメッセージが来た。
今日、学校が終わったら晩ご飯でも食べに行こうと話していたのに。私はまだ高校生だから、親に「彼氏と夜に出かける」と許可を得るのもなかなか一苦労なのだ。事前にお母さんに話しておいて、せっかく「いいよ」と言われていたのだけど。「やることあるから今度でもいい?」って、あまりにも淡白すぎじゃない?
『どんなことですか? 手伝います』
『すみれに手伝える内容じゃないから』
『部屋の掃除とかしますよ』
『俺の部屋は片付いてるよ』
彼氏である赤葦京治は梟谷で出会った一年先輩だから、まだ私には敬語が残っている。そのせいもあってか、なかなか文章では気持ちが伝わってないのかもしれない。ドタキャンされてイラッとしていることが。
それに、向こうも向こうで元々頻繁には会いたがらないというか。去年までは学校でほぼ毎日会えていたとはいえ、受験勉強の邪魔をしないように長時間は控えていた。大学に進学してからも思ったより忙しいらしく、会う頻度が減ったことについては何も言ってこない。
「……会いたくないのかな」
さすがにそんなことはない、と思いたい。私は彼女だもん。付き合おうって言ってくれたのも相手からだもん。まあ、告白されるまでは私のほうがずっと片想いしてたんだけど。
ほんの一年しか変わらないのに、京治くんはとても大人っぽくて素敵だった。今でもそう。でも、知っていくうちに「大人っぽくて落ち着いている」のではなく、単にあれこれ口に出さない人なのだと分かった。最初はそういうところも良いなと思っていたけれど、最近は不満も募っている。特に、会う約束をドタキャンなんかされた日には。
そのドタキャンから二週間、未だに埋め合わせの連絡もない。京治くんも何事もなかったかのようにおはようとかおやすみとか、普段のメッセージを送ってきている。
しかも驚いたことに数日前も、会おうかと約束していたのを「やっぱり無理になった」と先延ばしにされたのだ。習った内容についてその日のうちに調べたいことがあるとかないとかで。勉強を理由にされたら責めることもできず、私は大人しく承諾したのだった。
『もしもし』
その二度目のドタキャンから数日後。
電話の声は彼氏の京治くんで、電話をしたのは私から。会えないなら電話で声を聞くくらいしても罰は当たらないと思って。
でも呼び出し音が鳴り始めて数秒足らずで応答されたので、ちょっとビクッとして吃ってしまった。
「……わ、私ですけど」
『分かってる分かってる。どしたの』
「どうもしない……」
具体的な用事なんかない。あるとすれば「私との予定をキャンセルして空いた時間はいかがお過ごしでしたか」と嫌味を言いたいぐらい。でももちろんそんなこと言えない。きっととんでもない喧嘩になる。
「何してるかなって思っただけです」
だから、極力不機嫌さを出さないように言ってみた。彼女なんだから、いま何してるのって聞く権利ぐらいあるはずだ。
『そっか。今は勉強してる』
「家?」
『うん。あ、あとで架け直していい? 今ちょっとキリが悪くて』
「え……ああ。わかりまし」
ブツッ、とそこで通話の途切れる音がした。
信じられない。まだ喋ってる途中だったんですけど。「待ってますね、頑張ってくださいね」くらい言わせてもらいたいんですけど。
大学生ってそんなに大変? そりゃあ難関大学に合格したんだし楽ではないかもしれないけど、彼女の電話をガチャ切りするほど大変なの!?
思わずスマホを投げ付けそうになったのを、すんでのところで堪えることができた。半年前に機種変更したばかりだし、親のお金で買ってもらった当時の最新機種だし。
でもスマホが無事な代わりに、自分の拳を握りすぎて痛くなってきた。何度も何度も時計を確認するのも疲れた。いつ電話が来るかなぁとお風呂も我慢して、ゴロゴロしながら何時間か経過して、気付けば夜中の零時を回っており。
「……架け直すんじゃないのかよ!」
今度こそスマホは投げつけられた。ただし壁ではなく、今日干されたばかりのふわふわの掛け布団に。強く投げたせいでパンッ! とそれなりに大きな音がした。その音で慌てて我慢が傷ついていないか確認する。情けなくって、惨めである。
「はあ……」
結局その夜は折り返しの電話がなくて、私は意味もなく夜更かししただけだった。
翌朝のこと、今日から世間は祝日を含めた三連休。部活をしていない私は大事な用もない。高三の五月なので暇とは言い難いけれど、切羽詰まって勉強に打ち込むほど焦ってもないというか。後から「あの時もっと勉強していれば」と思うのだろうか。でも今の私は受験勉強よりもドタキャン続きの恋人だ。
『家、遊びに行っていい?』
いきなり家に押しかけることも考えたけど、休日だからってそれは迷惑だろうと事前にお伺いのメッセージを送った。
しかし、すぐには返事が来ない。今日は土曜日だから授業はないはずなのに。いつもなら少々返事が無いくらいで怒ることもないのだが、ここ最近積もり積もったものが爆発しそうになった。彼女に返信するのも億劫なのかと。既読すら付けないのかと。自分が切った電話の折り返しをするのも惜しいのかと!
「……出てくる!」
「えっ」
怒りに任せてドスンバタンと廊下を歩き、いきなり家を出た私を親は不思議がっていた。「ドーナツ買ってきてるのに」と言いながら。ああ、そういえば期間限定のドーナツ食べたいって話してたんだっけ。どうしてこんな時に。
そのドーナツと引き換えに、私は彼氏が一人暮らしをしている駅まで電車に揺られてやって来た。このあたりにドーナツ屋さんはないけど、今度奢ってもらおう。そうしなきゃ気持ちがおさまらない。
駅から彼の家までは歩いて十分ほど。まだ三回しか来たことはないけど、難しい道じゃないので場所は覚えている。勢いで来たはいいものの本当に迷惑だったらどうしよう? と最後の躊躇が頭を過ぎった。でもそれも、スマホに何の返事も来てないせいで吹っ飛んだ。なんで休みなのにスマホをチェックしないんだ。連絡が多くないのは去年から分かってるし慣れたけど。こういう時はちゃんとして欲しい。と、私が今怒っているのも気付いてないんだろうな。
もう引き返す気持ちはなくなって、私は大股で一歩を踏み出した。京治くんの家までは途中にコンビニが二軒あり、そのうち一軒目にさしかかる。京治くんも私もこのコンビニのほうが好きなので、「こっちが家のそばなら良かったのにね」なんて笑ったのを思い出した。そして、ふとコンビニの入口に目をやると、見知った顔の男性が出てくるところだった。
「京治くん……?」
反射的に足が止まった。勢いで家まで押しかけようとしていた相手が、ひょっこりコンビニから出てくるなんて。でも驚いたのは一瞬で、すぐに怒りが再発した。
「何してるんですか」
進路を京治くんの家からコンビニの入口に変え、大股歩きをすることほんの五歩くらい。京治くんはいきなり現れた人影に驚いて立ち止まった。そしてその人影が私だと分かると、もっと驚いて目を丸くした。
「すみれ? なんで」
「遊びに行っていいかって送りましたけど」
「え?」
この、悲しいくらいにとぼけた感じ、わざとじゃないんだろうなっていうのが分かる。スマホにメッセージが来ているかどうか、頻繁に確認する習慣がないのだ。男の子だから? いや、クラスのグループに居る男子はそうじゃない。赤葦京治だからこうなんだ。
「あ、ほんとだ。ていうか急にどうしたの」
「急じゃないし! 二回もドタキャンしたのそっちでしょ」
「それは勉強が……」
「電話すらかけ直して来ないじゃないですか! なんなんですか!? 寝ないで待ってたのに……っ」
都内といえど外れの地域でよかった。人混みに居たら指をさされて笑われそうな痴話喧嘩だもの。幸い人通りは多くなく、じろじろ見られることもなく京治くんの前で取り乱すことができた。……ぎょっとした様子のコンビニ店員さんが店内からチラチラ見ていることには、後になって気付いた。
「ごめん。寝落ちてた」
やはり悪びれた様子なく、京治くんはこの反応。「ごめん」と本気で感じてないのではと思ってしまう。誠意が感じられない。嘘でも眉を下げて冷や汗かいて謝ってほしい。それに、寝落ちてたなんて理由にならない。
「……起きた時に一言でも送ってくれればいいでしょ」
「目が覚めたの朝五時で……」
朝の五時、と聞いて思わず言葉に詰まってしまった。
京治くんが勉強していたのは本当だろう。知らぬ間に眠ってしまうほど疲れているのも本当だろう。その状態で朝五時に目覚めたなんて、気持ちのいい眠りだったとは言えないと思う。でも、でも私だって昨夜は辛かったのだ。電話をかけ直してくれると思って待っていたから。でも、来なかった。
「……それで? 今は楽しくお出掛けですか」
だから気持ちの整理が付けられず、ついこんな口調になった。嫌味ったらしく「お出掛け」なんか言っちゃって。ここ、コンビニなのに。
だけど京治くんはこういう方面にも鈍感なのか、全く動じることなく答えた。
「まあ……楽しくお出掛けといえば、楽しくお出掛けしてるんだけど……」
「……否定してくださいよ」
「だってコレ買い出ししてたから」
そう言うと、カサっとビニール袋の音がした。中身が私に見えるように広げられたそれは大きくて、しかも私の好きなアイスとかお菓子ばかりが入っている。さっき食べ損ねた期間限定ドーナツが霞むくらいの量だ。
「……なんですかこれ!」
「お菓子」
「それは見たら分かります」
「だって今日、すみれが泊まりに来る約束じゃなかった?」
「え……」
コレをどこの女と食べる気だとか、自分のために買い込んでるのかとか、色々言ってやろうと思っていたが。他の誰かのためではないらしい。しかし、それに安心するよりも先に思考が停止した。
今日、泊まりに行く約束なんかしていたっけ。そういえばどこかの週末に行くと話した記憶はある。いつのことだっけ。
「……今日でしたっけ」
「だと思ってた」
「え、うそ」
急いでスマホを確認する。いつもカレンダーアプリに予定を登録しているはずが、お泊まりの予定は書かれていない。
確か最後に泊まるとか泊まらないとかのメッセージを交わしたのは先月だ。ここ最近のドタキャン騒動(騒動になっているのは私の中だけだろうけど)の前。
今度はメッセージのやり取りを遡っていく……と、あった。先月末に『じゃあ来月の三連休で来る?』というメッセージが。それに嬉嬉としてスタンプで応じる過去の私。確かこの時は間もなく昼休みが終わるというタイミングで、その場でカレンダーに登録していなかったんだ。しかも午後の授業が体育の一キロ走測定で、残りの半日をぐったりして過ごした記憶。
「……ほんとだ!」
「あ、よかった。あってた」
「ドタキャンされすぎて今日の予定が生きてることを忘れてました」
「それは本当に申し訳ないと思ってるよ」
相変わらず淡々とした言い方だけれども、ようやく面と向かって謝ってくれた。もちろん謝罪の意思はあったんだろうけど、この人の場合、文面だけじゃ分からない。顔を見ても分からない時があるくらいだ。それが原因で私が機嫌を損ねてしまうことがあるので、本人も気にしているみたいではあるけど。
とにかく今日、私は怒って急に押しかけてきたつもりだったのに、京治くん側は私を泊める準備が整っているようだ。
「どうする? 着替えとか準備してからもう一回来る?」
「……」
「部屋着ならうちにもあるけど」
ほんの一瞬だけ迷った。必要最低限の荷物しか持ってきていないから。
着替えはもちろん替えの下着もない。充電器……は彼も同じ機種だから大丈夫。親も京治くんのことはよく知っている、むしろ気に入ってる様子だから問題ないはず。私が無理を言って泊めてもらったことにすればいい。さっき家を出た時の私の勢いを見れば、娘が彼氏と喧嘩して仲直りしたことぐらい予想できるだろう。
というわけで、悩んだのは本当に一瞬であった。
「……このまま行く」
「そうしよう」
京治くんは私の返事を予測していたらしく、すぐに片手を出してくれた。この道を二人で歩く時、毎回手を繋いでいるからだ。
大学生になれば時間に余裕ができるはず、私の相手をしてくれる頻度も増えるはず。そう思っていたけど、なかなか上手くは行かないらしい。構って構ってと言うばかりではいけないな、と分かってはいるけれど。そうこうしているうちに私自身も受験に精を出す時期が来る。そしたらもっと会えなくなるだろう。今のうちに大人にならなくては。
あと、京治くんに「スマホの通知はちゃんと見て」と言っておかなくちゃ。