不純造形師の恋愛論
冴えない女子大生だった私が、いつしかナンバー2ヒーローと週一で牛丼を食べる仲になった。
そのうち色んな話をするようになり、大学のこととかホークスの仕事のことを話して、彼は食べ物に七味をかけるのが好きだとも知った。私は辛いのが苦手なので食の好みは合わないようだ。
最後に牛丼を食べた日に、私はついつい余計なことを聞いた。彼の気持ちを明確にしたくて。このままよく分からない関係で居るのが耐えられそうもなかったから。そうしたらホークスは私を散歩に誘い「手でも繋ぎますか」と左手を差し出してきた、んだけど。
今になって思う。あの時、素直に右手を出しておけばよかった。その流れで「ホークスのことが好き」って言えていれば、結果がどうであったとしても、今よりはすっきりしていただろう。なんとあの日はあまりにビックリして恥ずかしくて、「ななな何言ってんですか!」と逃げ帰ってしまったのだ。
「……まずかったかな」
冷静になって考えたら「まずかったな」どころじゃない。どう考えても手を繋いだあとはいい雰囲気になって、万が一あちらが何も言わなかったとしても私から告白していただろう。そんな勇気を出せるような雰囲気が作られていた。それを壊したのは自分自身。
だけど好きな人とは手を繋ぐのすら初めてだったから、私は彼の誘いに対し、可愛らしく頷くことが出来なかった。
このところホークスからはおよそ週に一度のペースで連絡が来ている。デートでもなんでもなく、一緒にちょっと高級な牛丼を食べるためだけの連絡。毎回ハズレなく美味しいし、何よりホークスと過ごす時間はドキドキして嬉しくて楽しかった。意地っ張りだから、なかなかホークスの前ではニコニコできないけれど。
そんな可愛げのない私を、もしかしたらホークスも? なんて考えて少し浮かれて、だけど今はどん底だ。最後に会ってから(というか、私が逃げ出してから)三週間経っても、ホークスからは音沙汰がないのだから。
「連絡こない……」
通知の来ないスマホを睨みつけ、ため息とともに鞄に仕舞う。ニュースやネットではホークスの活動が報じられているから、彼の身に何かあったわけではない。わざと私に連絡して来ないのだ。
私から連絡するべきだろうか。でも、あんな去り方をしたのになんて送れば? そんなことを考えながら道を歩いていると、鞄がほんの少し揺れただけでバイブレーションが作動したのかと勘違いしてしまう。
「来てない……」
スマホが震えたのは気のせいで、誰からもなんの連絡も来ていなかった。
私はまた大きなため息を吐いて、先ほどよりもやや乱暴にスマホを仕舞いこんだ。ホークスのことばかり考える自分が嫌になる。すっかり惚れてしまってる。私だけのヒーローなんかじゃないのに。みんなを平等に助けるヒーローなのに。
『午後のニュースです。本日百貨店にて爆破テロの予告がありましたが、二時間ほど前にホークスと他数名のヒーローが犯人と思しき男を確保し……』
街中を歩いていると、女子アナウンサーの流暢な声が聞こえてきた。交差点付近の大画面にちょうどニュースの映像が流れており、ホークスの名前が出たのもあってそちらに釘付けとなる。そういえば今朝起きたら、夜中に書き込まれた爆破予告が話題になっていたっけ。ホークスが解決したらしい。
犯人を確保したのは二時間前、ということは正午ごろ。もちろん仕事なんだから仕方ないけど、三週間も音信不通のくせにヒーロー活動でテレビに映されるなんて勘弁してほしい。
「……はあ」
なに考えてんだろう。そもそもホークスには、毎週欠かさず私への連絡をする義務なんか無いというのに。私が勝手に期待して待っているだけだ。もしかしたら既に他のお気に入りが居て、その子を誘ってご飯を食べているのかも。……想像しただけで苛々してきた。
「あっ、すみませ……」
頭に血が上り始めた時、大画面のニュースを見ながら歩いていた人とぶつかった。私もちょうど画面から目を逸らしたタイミングだったので避けられなくて、イラッとしてしまったけど「いいえ」と返す。そのまま会釈して立ち去ろうとしたが、驚いたことに相手は私を知っているようだった。
「もしかして白石さん?」
なんだか聞き覚えのある声だ。
残念ながら私の望む声じゃない。
しかし声の主は私にとって、全く不都合な相手というわけでもなかった。高校生の時に同じクラスだった鈴木くん。私が初めて好きになった男の子。私に嘘の告白をしてきた人である。
「……鈴木くん」
「合ってた! 雰囲気変わってたから分かんなかった」
「……」
鈴木くんとは最近、偶然の再会を果たしていた。だけどドラマチックで素敵なものとは言い難い。高校の時の嘘の告白を、鈴木くんは心から謝罪してくれたのに、私はそれを突っぱねたのだ。「一生許さない」と言って、彼の心を強く傷付けた。
私が眼鏡ではなくコンタクトになって、服装も以前と違う系統だというのに気付かれたのは驚きだ。でも、今回も私が浮かない顔をしていたうえに前回の別れ際がアレだったもんだから、鈴木くんは「あっ」と気まずそうな声をあげた。
「ごめん、なんか……声掛けないほうがよかった……? よね」
「そんなこと……」
どうやらぶつかったのが私だと分かり、咄嗟に声を掛けてしまったようだ。謎のイメチェンをしている私に驚いたというのもあるかもしれない。
だけどこの出会いは好都合だった。鈴木くんの存在は私の心にずっと突っかかっていて、あの日、どうして「許す」という選択肢を選べなかったんだろうと後悔していたからだ。人の良さそうな彼の顔を見た瞬間に思ったのだ、この機を逃すわけにはいかないと。
「私、ずっと鈴木くんに謝りたかった」
私に声を掛けたことを後悔している様子だったけど、鈴木くんの顔色が戻った。
「このあいだ会った時、私ひどいこと言ったと思う……」
「えっ。いや全然そんな」
「あの時はビックリして余裕がなくて! もう鈴木くんのこと、高校の時のこと怒ってない。許さないなんて思ってないから」
思い出すと、もちろんちょっとは悲しい気持ちになるけれど。怒りはない。鈴木くんも、恐らく他の同級生も二度と同じことはしないだろうから。卒業して大学生になった私は、分厚い眼鏡も頑固な心も辞めたから。
「ありがとう……」
「ううん。ほんとごめんね」
「あ、うん。それは全然構わないんだけど」
「けど?」
少しホッとした彼は、なにやら話題を変えようとしていた。しかも遠慮がちに私を見ながら。
「白石さん、失礼だけどその……すごい、前より可愛いっていうか……冗談抜きで」
「え」
「み、見た目じゃねーよ? 見た目が全てじゃないし見た目で選ぶとかはしないんだけど……ごめんちょっとテンパってるわ俺」
「は、え」
早口だけど圧迫感のない喋り方で、自分で言うとおり鈴木くんがテンパっている。私も私で昔好きだった人に「可愛い」と言われてテンパっていた。今は意識していなかったけど、仮にも初恋の相手なのだから。
「連絡先教えてくれると嬉しいんだけどっ……」
鈴木くんがポケットから黒いスマホケースを出した。ロック画面が柴犬の写真に設定されているのが見える。
クラスで会話を盗み聞きした時に話してた。鈴木くんは高二の春、初めてのペットに柴犬を迎えたのだと。その犬がロック画面に居るのを見て、嫌というほど鈴木くんの人となりが伝わってきた。
「……うん。いいよ」
一瞬、ほんの一瞬だけホークスの顔が頭をよぎったけれど、鈴木くんからの申し出を断るほどの気にはならなかった。さっきホークスへの苛々に任せて突っ込んだスマホを取り出すために鞄を開ける。結構奥まで入ってしまったのか、財布とハンカチとポーチしか見えない。手を入れて中を探ってみる。
……なにかおかしい。
「あれ? スマホ……」
「ないの?」
「うそ……鞄に入れてたのに」
隅から隅まで中を漁っても見当たらず、中身をひとつずつ出してみてもスマホがない。大変だ。どこかに落としてしまった。
鈴木くんはしばらく近くの道路をキョロキョロして探してくれているようだったけど、時計を気にし始めていた。きっと用事があるんだ。
「ごめん俺、実は今からバイトの面接で……これ俺の連絡先! 見つかったら連絡ちょうだい」
「あ、うんっ……」
殴り書きのメモを寄越すと、鈴木くんはぺこぺこ謝って横断歩道を渡って行った。アルバイトの、しかも面接ならば仕方ない。遅刻したら確実に不採用だ。
「どこ行ったんだろ……」
鈴木くんの面接結果を祈りつつ、私は今来た道を戻るために方向転換した。もちろん視線は下だ。最後にスマホを仕舞った時は投げるように入れたから、最悪の場合、鞄には入らず地面に落とした可能性がある。
ところが「良い人が拾ってくれていますように」と念じていた矢先、突然目の前ににゅっと何かが現れた。
「コレ探してます?」
大事な大事な私のスマートフォンだ! それにもビックリしてしまったし、スマホを持っていたグローブや声にも覚えがあったので更に仰天した。本日見事に爆破テロを防いだ男、ホークスが私の探し物とともに登場したのである。
「ほ……はっ!? ホークス」
「どうぞ。スマホ」
「ありが……え、どこにありました!? 私どこかに落としてましたか!?」
「そういうわけじゃないけど」
いつもと違ってやや淡々と話す彼は、私の手元にスマホを差し出した。受け取った私はホークスの様子が普段の彼とは違うことには気づかない。スマホに破損が無いかを確認していたから。そんな私の様子も気に障ったのだろうか、ホークスはニコリともせずに言った。
「で、連絡するんですか?」
「え。誰に?」
「さっきの彼に」
「……また勝手に話聞いてたんですか」
「まあね」
過去にこの人は、私と鈴木くんとの会話を聞いていた。私の情けなくて狭い心を見られていた。その代わり立ち直らせてくれたのもホークスなのだけど。
でも今の彼は私の味方とは言いがたい。不機嫌な様子で、どこか私を突き放すような話し方をするのだ。その態度に私も腹が立った。元はと言えばホークスのせいで、ホークスがいきなりメールして来なくなったから落ち込んでいたのに。
「鈴木くんが連絡不精な人じゃないなら、連絡してみようかなって思いますよ私は」
だから、思いっ切り当てつけがましく言ってやった。ホークスはゴーグルをしているため目の色が見えないけれど、次に口を開いた時には顔の筋肉が引き攣っていた。
「……へえ。嫌味が冴えてるね」
「あなたが何も連絡してこないからでしょ!」
「手繋ぐのすら拒否られた相手にヘラヘラ連絡できるようなメンタルはさすがに持ち合わせてないから」
「な……」
言い返したい。言い返せない。ホークスの口調は凄くムカつくし思わず拳を握りたくなったけど、彼の訴えはもっともだった。私が逃げたんだ。恥ずかしくて。
「……だって、ホークスがっ……」
あの手を握ったとして、その後は? ホークスが告白してくれなかったら? 私が告白することになる。でも、その答えは? 断られたら? なにより今こんなに怒らせてるのに、付き合えるはずない。
そう思うと涙を抑えることができなくて、真っ昼間の街中だというのにぼろぼろと泣いてしまった。
「はあ……もー泣かないでくださいよ」
「なっ、泣かしたのそっちじゃん!」
「泣かせた覚えないです」
「だって、なんかっ、怒ってる!」
「そう言われればそうかもです」
「私のこと嫌いになったんですか!?」
「好きですよ」
ホークスはティッシュを出しながら、そして周りの目から私を守るように羽根を広げながら言った。
口喧嘩の一部みたいにサラリと言われたもんだから、一瞬聞き逃しそうになったけど。「嫌いになったんですか?」なんて聞いた私も私だけど。今、好きって言った?
「……好きなんですか!?」
「嫌われてると思ってたんですか?」
「いやだってそんな、もしかしてとは思ってましたけど全然言ってくれないから」
「あの時言おうとしたんですけど逃げられたんで」
ばつが悪そうに口を尖らせるので、私が手を繋ぐのを拒否してしまったのは相当堪えたらしい。しかも、どうやら彼の虫の居所が悪かったのはそれだけが原因じゃないようで。
「久しぶりに見かけたと思ったら、男にナンパされて浮かれてるし」
今度はゴーグル越しでも分かった、ホークスの目がちょっと怒っているのが。だけどこっちだって聞き捨てならない。さっきのは知らない男の人とかじゃなくて鈴木くんだし、鈴木くんのことはホークスだって知ってるくせに!
「……ナンパじゃないですし浮かれてないです」
「同じでしょ。俺が来なかったら連絡先交換してたくせに」
「来なくたってどっちにしてもスマホが無かったからっ……」
私はスマホをなくしていたから、ホークスが来なかったとしても連絡先交換なんて出来なかった。
そう言おうとした時、頭の中で何かが繋がる。鞄に入れたはずのスマートフォン。鈴木くんと連絡先交換をしようとしたタイミングで無くなっており、鈴木くんが居なくなったタイミングでホークスがそれを持って現れた。もしかして、いや、まさかとは思うけどこの男。
「……やりました?」
やろうと思えば出来るはずだ。一本一本の羽根を操る彼ならば。
私の問いに対してしばらく睨み合いのような沈黙が続く……かと思いきや、ホークスはあっさりと答えた。
「やりました」
悪びれる様子はない。怒っている様子ももう無くなっている。シレッとした態度への呆れと安心とで、全身でため息を吐いてしまった。
「姑息……」
「姑息じゃなきゃ生き残れないんです」
「姑息姑息姑息! ずるいひどい信じられない!」
「ごめんごめんごめんって……ホントどうしてこんな子好きになっちゃったのかな」
「早くも後悔してるじゃん!」
「してないしてない」
私だってどうしてこんな人を好きになってしまったのかと何度も頭を悩ませたのに! 連絡が来ないからもう愛想を尽かされたか嫌われたのかと思っていたのに! いつの間にか普段の涼しげな顔に戻っている彼は、流れ続ける涙を拭きながら言った。
「念のため聞くけど、白石さんも俺のこと好きなんですよね?」
意地悪ではなく本当の意味で確認したかったのか、ホークスは優しく微笑んでいる。答えなくても伝わっているだろうけどどうしても言いたい。でも喋ろうとしたら絶対泣いちゃう。悩んだけれど、どうせアイメイクはもう崩れているはずだ。
「……っ好きですう……」
しゃくりあげながら言うと案の定涙が出てきて、ついでに鼻水も出そうになったので鼻水だけは我慢した。とんでもなく不細工な顔になっていたに違いない。
「どんだけ泣いたら気が済むんですか」と言いうホークスの顔は、嬉しくて笑ってるのか私の顔がおかしくて笑ってるのか分からなかった。いや、たぶん両方かな。