ホワイトメルトな正午過ぎ
俺はよく落ち着いているとか大人っぽいとか肝が据わっているとか言われるけれど、自分じゃそうは思わない。興味のないことに無関心なだけで、自分が「楽しい」と感じている時以外は生気のない顔をしていると思う。その生気のない顔が、俗に言う「落ち着いている」雰囲気に見られるのだと思う。
そんな俺でも誰かに翻弄されることはある。例えば同じ部活の先輩なんかは行き過ぎた冗談で俺を怒らせる時もあるし、かと思えば急に先輩らしい振る舞いをされることも。
まあ彼らは男性なのである程度扱える(というか、 分かりやすい)んだけど、重大なのは異性のほうだ。今俺の頭を悩ませているのは、恋人のご機嫌が著しく斜めになっていること。
「ひと口飲む?」
昼休みは彼女の席で過ごすのが日課となっていた。 窓際なので二人で過ごしていてもそんなに目立たないからである。
今日も四限目が終わったのですみれのもとへ行くと、いつも昼食時にはにこにこしながら弁当袋を開ける彼女が仏頂面であった。なんとなく今朝からこの調子なので何かあったのかなとは思うが、俺には原因が見当たらない。ご機嫌をとるために俺のジュースを「ひと口飲む?」と提案しても、まだ浮かない表情だ。
「……いらない」
いつもはお菓子とかジュースには飛びつく彼女なのに、暗い顔で首を振った。身体の調子でも悪いのかな、だけど二限目の体育を見学したり休んだ様子はない。
もしも俺が怒らせた場合ならば、俺の質問には回答が返ってこない。場合によっては目も合わせてくれないはず。だけど俺に対しての怒りとか不快感はないので、踏み込んで聞いてみることにした。
「朝から元気ないね。何かあったの」
「なにもない……」
「そう? ならいいけど」
嘘つけ。と、言うのは我慢した。彼女の不機嫌の種が増えてしまうからだ。不機嫌というよりも今は単にテンションが低いというか、落ち込んでいるというか。
とにかく本当に何もないのなら、こんなに反応が悪いはずはない。木兎さんと同じだ。あんなに掴みにくい人でもどこかに必ず原因があり、何かをきっかけに回復する。ただ、女の子相手だとそれがちょっと厄介なだけである。簡単に彼女の機嫌を直す方法に、心当たりがあるといえばあるのだが。
「すみれ、今日もお弁当自分で作ったの?」
「……うん」
「偉いじゃん」
「ん」
すみれは最近料理にハマっているらしく、親と一緒に、あるいは一人で弁当を作っていると聞く。今日もそうだったので褒めてみたんだけど、どうも返事に力がこもっていない。
俺、エスパーじゃないから言ってくれなきゃ分からないんだけどな。でも前にも同じようなことがあって、俺が「言ってくれないならもういい」とイライラした結果、結構大きな喧嘩になってしまった。あの時はもともと俺も悪かったような気もするけど。今回はすみれが一人で落ちているので、俺まで感情的にならないほうが良さそうだ。
しかしどうも気になるのは、すみれが机に弁当を置いたまま動こうとしないこと。食べ始める素振りがないことだ。
「お腹、すいてないの?」
俺はとても腹ぺこなので先に食べ始めているんだけど、なかなか動かないすみれに聞いてみた。
「すいてる……」
「じゃあ食べないと」
「……」
お腹いっぱいなら別に、無理して食べなくてもいい。だけどすいてるなら食べるべきだ。体育だって受けたんだし。
だけどすみれは食べるかどうか迷っている様子で、箸を持ったり置いたりを繰り返している。俺はその動きを眺めながらも手と口を動かした。なんせ、さっきも言ったけど腹ぺこだから。
「……ねえ。私、太った?」
メインの唐揚げを口に入れようとした時、ついにすみれが自ら口を開いた。
が、突然だったのと、全く脈絡のないことだったので俺は咄嗟に返事ができなかった。なんせ、しつこいようだけど俺は腹ぺこなのだ。
「……え?」
「今朝、お母さんに太ったって言われた」
「そうなの?」
「で、体重計乗ったら二キロ増えてて」
「ああ、だから食べようとしないんだ」
「太ったのかな……」
合点がいった。すみれは太ったのを気にしているらしい。
女子って体型のことでこんなに気分を左右されてしまうのか。なんていうか、失礼だけど「その程度で?」と思ってしまった。でもすぐに、そう言えば木兎さんも「そんなことで?」という内容で気分の上がり下がりがあるのを思い出した。そうだ、悩みの種やきっかけは人それぞれだ。まさか木兎さんとの関わりが彼女との交際にまで役立つとは思わなかったが。
「顔はそんな変わらないと思うけど」
「顔以外は?」
「脚とかも全然」
「お腹は?」
「んー……分かんない。大丈夫じゃない?」
とは言ったものの、お腹までは見せてもらわなきゃ分からない。だけど少なくとも見えている部分は変わらない気がする。もともとガリガリでもなければ太ってもいない標準体型なんだから、多少の体重の増減くらいどうってことないと思うんだけど。
「ちょっとくらい太っても全然気にしないけどね、俺は」
そう言いながら、俺は気にせず唐揚げを食べ進めた。だって全部本音だから。太っているのに「太ってないよ」とか言ってるわけじゃない。気にしないから気にしないと伝えているだけ。でもすみれは腑に落ちていない様子だ。
「……でも顔とかまん丸になったら絶対おかしいじゃん。私、もともと丸顔なのに」
すみれは両手で自分の頬を覆っていた。顔の肉のやわらかさを確かめるように。
確かにすみれは丸顔だけど、そんなに気にすることか? と言おうとした時、俺はちょっぴり気付いてしまった。なんか、前より少しだけ丸くなってる気がする。
「……顔、触っていい?」
「え。どこ」
「あご」
俺は箸を置いて手を伸ばした。すみれは少し身体を離したものの俺の腕の長さには及ばず、あご肉を俺に摘まれてしまった。少し力を入れるだけで彼女の肌にしずんでいく俺の指。そして、見れば見るほど「あ、丸くなったな」と分かってしまうすみれの輪郭。何でさっき気付かなかったんだろ。
「……ほんとだ。ちょっと柔らかいね」
「うそ、やっぱり!? どうしよう」
「いいじゃん別に。いまの顔も好きだよ」
というか、よっぽどのことが無ければ外見ですみれを嫌いにはならないと思う。その「よっぽどのこと」すら浮かばない。なんだろう。例えばめちゃくちゃ不潔になられたら、もしかしたら好きでは居られないかも。でもほんの二キロ太っただけでは、俺に嫌われようだなんてまだまだ甘い。
「……ほんとに好き? かわいい?」
「うん」
「いままでは?」
「もちろん好きだよ」
「いまは?」
「かわいいし好きだよ」
こういう面倒くさいやり取りも嫌いじゃないし、すみれの顔を見るに機嫌は直りかけている。「好き」って言えばすぐに浮かれてしまうので、なるべく言わないようにしてたんだけど。つい言ってしまったな、やわらかいあご肉が可愛くて。
「……へー。そうなんだ、ふうん」
すみれは満更でもないというか、むしろ相当響いたらしく目を細めていた。にやけるのを我慢している顔だ。そして、箸を握って弁当をつつき始めた。
「あ、食べるんだ」
「食べるよ! 勿体ないじゃん」
「そうだね。せっかく作ったもんね」
俺はすみれが弁当を食べるための理由を付け足してあげると、「そうでしょ」と言いながら白米をいきなり口にした。どうにか「好き」「かわいい」という褒め言葉は使わずに機嫌を戻してみせたかったんだけど、しばらくはこれらに頼ってしまいそうだ。