ハンドメイド・メイデン
学校の休憩時間には、女の子はたいてい同じような話題でもちきりだ。あれこれ話題が移り変わることはあるけれど、結局は一番興味がある内容に落ち着くもの。高校二年の思春期ならばなおさら。そしてグループの中に彼氏持ちが居れば、その話題はもっと限定されることになる。
「すみれは孤爪くんとどうなの?」
「えっ!?」
話を振られた時には手に紙パックを持っていたので、危うくジュースを噴射させるところだった。
「結構長いよね、二人」
「ほんとだよ!いつから付き合ってるんだっけ、孤爪くんと」
友人たちは私のジュースの心配はしておらず、恋愛事情について興味津々の様子。私も逆の立場なら同じように前のめりになっただろうから、何も言えないけれど。今聞かれているのは、私と恋人である孤爪研磨との関係についてである。
「…去年の夏くらいから」
つまり一年弱ほど前からだ。そのように答えると、友人は嬉しそうに驚いていた。
「わあっ!じゃあさ、もうそういう事してるの?」
「え、な…どういう」
「エッチだよ。セックス!」
最後の言葉は小声になっていたものの、教室内でそんな事を聞かれるとは思わなかった。慌てて人差し指を口元にあてると「ごめんごめん」と平謝りをする彼女たち。
分かってるけど、そりゃあ他人の恋バナは楽しいけど。私と研磨の恋バナなんて聞いてもきっと楽しくないと思う。
「…私たちは、そういうのは…」
エッチとか、そういう事はまだしていない。踏み切れないのだ。
私たちは恋人である前に幼馴染で、付き合うまでにもかなり苦労した。自分が抱く研磨への気持ちが、だんだん変わっていった事に戸惑ったりもした。無事に付き合って、手を繋いだりキスをしたりは自然にできるようになったけど。そこから先ってどうやって進めばいいんだろう。
私はもちろん研磨と一歩先の関係を持ちたい。だけど研磨は良い意味でも悪い意味でも安定しているので、会えばゲームをして、別れ際にキスして終わり。外に遊びに行くことは滅多にない。
お出かけが少ないのは苦ではないけれど、屋内に居るならそれこそ気になってしまう。研磨って、私とこのままの関係でいいのかな?という事が。
「…彼女にされて嬉しい事?」
そう言って目を丸くしたのは恋人の研磨、ではなくて同じく幼馴染の黒尾鉄朗であった。私たちが付き合う事になったのも彼の助力が大きい。ので、事ある毎にクロに相談してしまうのである。…研磨はこんなことを他人に相談されたくないだろうけど、自分一人では解決出来そうもないし。
「それって研磨本人に聞くほうがいいんじゃねーの」
「ほ…本人になんて聞けるわけないじゃんっ」
「なんで」
「だって…」
研磨はきっと、私の相談を笑ったり馬鹿にすることは無いだろう。だけどこんなの言えやしない。付き合ってもうすぐ一年経つのに進展してないのは、私に魅力が無いせいなの?とか。研磨はそういう事、したいと思わないの?とか。
「…悩んでるのは私だけかもしれないし」
もしも研磨にとって寝耳に水の話だったとしたら、恥やら何やらで顔向けできない。
「…まあ俺には研磨の気持ちは分かんないし、分かってても俺からは言えねーけど」
「うん」
「男はさあ、単純なのよ。いつもよりちょっと積極的になるだけで、おや?って思ってくれるよ」
俺は世の中の男の代表だ、みたいな顔をしてクロが言った。実際に私の周りで最も平均的な男子の思考を持つのはクロだからいいんだけど。その「いつもより積極的」って言うのがどういうことなのか分からない。
「…積極的にって、どうやって…」
「そりゃあお色気とか」
「お、お色気!?」
「そっち方面だろ?悩んでるのは」
そっち方面、つまりエッチなこと。合っているけどいくら幼馴染とはいえ恥ずかしい。というか照れくさい。
クロが言うには、普段の私からは考えられないような露出をしてみろとのことだ。そんなのがあの研磨に通用するのかどうか、そもそも私の露出度が普段よりも多いことなどに気付くのかどうか。
そして何よりそんな単純な手に乗っかって、私との関係をもう一歩踏み込もうとしてくれるのか。
「おじゃましまーす…」
クロに相談してから最初の土曜日、私は研磨の家にやって来た。私が来るのを分かっているからか玄関の鍵は開いており、台所には研磨の家族は居ない。大人たちはどこかに出かけているらしい。
無人のリビングを横目に見ながら研磨の部屋に近付くと、扉の向こうからはゲームの音が聞こえてきた。
「いらっしゃい。そのへん座ってて」
部屋に入ると研磨はテレビ画面を眺めたままで言った。
それはいつものことだから構わない。むしろ今いきなり顔を見られたりしたら、そっちのほうが緊張する。私は言われたとおりに頷いて、研磨のベッドに座った。いつも部屋に遊びに来た時の、私の定位置なのだ。
「……」
私たちはしばらく言葉を交わさなかった。研磨のゲームがひと段落するまでは、邪魔をしないのが暗黙のルールだ。付き合う前からずっと。
しかし今日の私は、邪魔をしないために黙っているわけじゃない。切り出し方が分からないから、黙っているしかないのだった。そんな私はいつもより落ち着きが無かったのか、研磨がチラリとこちらを見て言った。
「何?」
「へっ、」
「何か言いたいことありそう」
ぎくり。と冷や汗をかいたけど、研磨の目は再びテレビモニターを見ていた。セーフ、なのかな、これ。
「…なにもないけど…」
「ふーん」
誤魔化しきれていない気もするけど、研磨は素直に返事をしてゲームを続けた。今はゲームに集中してくれてるおかげで、いつもより観察能力が鈍っているのかも。ありがたいような、気持ちに気づいてほしいような。
やがて五分ほど経過するとステージクリアの音が聞こえ、研磨がゲームの電源を切った。
「お待たせ。コントローラー持ってきた?」
「う、ウン」
「じゃあ始めよ」
そうして慣れた手つきでコードの差し替えを始めた。
最近二人で(と言うよりは私が)ハマっているゲームをするためにはコントローラーが二個必要なので、私は自分のぶんを持参しているのである。で、研磨は私のためにディスクを入れ替え、ゲーム機本体も繋ぎ直してくれている。だけど研磨、今は違うの。そうじゃないの。ゲームをしに来たんじゃないの!
「…け、研磨」
もぞもぞと動く背中に向かって呼びかけると、研磨は動きを止めた。
「何?」
振り向いたその目は「待ってました」と言わんばかりに鋭い。やばい、やっぱり私に普段とは違う思惑があるのを気付かれているみたい。
「……キス!しよ」
「え」
しかし「キス」という言葉が出てくるのは予想外だったらしく、目を丸くした。
「キス…?今?」
「今!」
「いいけど、なんで…?」
そう言いながら、研磨は私のほうを向いてくれた。キスするために。
それだけで嬉しくて心がキュンとしてしまうけど、今研磨の唇に飛びつくわけにはいかない。私は意を決して自分の服に手をかけた。着ていたカーディガンを思い切り脱いだのだ。それを見て、研磨はさらにギョッとした。
「…え。何、すみれ」
「え、ええと、暑くなってきたから」
「クーラー弱い?下げようか」
「ささ下げなくていいっ」
本当は暑いから脱いだんじゃないし、むしろ室温はちょうどいいし。
だけど長袖のカーディガンを脱いだ私の格好は、とても自分とは思えないような服装であった。ノースリーブのワンピース、胸元は大きく空いており裾の丈は短め。渾身のお色気である。こっち向いて研磨、と念を送るものの研磨はゲームを起動し始めてしまった。
「……ッシュン」
そして私はくしゃみが出た。部屋の中とはいえ、この格好では涼しいのだ。お色気作戦でくしゃみをするとは情けない。研磨も呆れ気味でティッシュを投げてきた。
「寒いんじゃん」
「大丈夫だもん」
「一体どうしたの?」
肩越しに話す研磨の声は落ち着いているように聞こえる。つまりいつもの研磨って事だ。私が頑張ってこんな服を着てみても、なんの動揺も見せていないのだ。もっと恋人らしくありたいと願っているのは自分だけ?研磨は私と恋人でいるより、幼馴染としているほうが楽で嬉しいの?
「…研磨、私のこれ…何とも思わない?」
ひとりで頑張っている自分が悲しくなってきて、恥を捨てて直接聞いた。研磨は一瞬こちらを振り向こうとしたようだけど、首を動かさずにそのままで答えた。
「…見ないようにしてるから、何とも」
「な…なんで見てくれないの」
「見たら終わりだから」
「終わり?」
私は二人のこれからを始めるために策を練ったのに「終わり」だなんて。後ろ向きな単語に俯いていると、研磨の溜息が聞こえた。
「クロに余計なこと言われた?」
「…へ」
「だからそんなカッコしてんの?」
さすがに研磨に隠し事をするのは無理があるようだ。クロからの助言を受けて今日このような行為に至っていることを勘づかれた。
でも、クロへの相談を無駄にするわけにはいかない。どっちにしたって私は、研磨がこの先私とどうなりたいのか聞きたいのだから。
「…これは…わ、私が…」
私が自分で着てきたものだ。この姿を見て研磨がどう思ってくれるのか気になったから。そして付き合ってからしばらく経つのに、キスより先の事を出来ていない原因は何なのかを探るため。
「研磨が私のこと、彼女だって思ってくれてるのか不安で」
寒くて鳥肌がたっている脚に、涙が垂れた。身体は寒いのに、たったいま目から出た涙があったかくて不思議だ。
「私たち、付き合って長いのに…エッチとか…そういうこと、普通はもうしてるはずなのに。全然してないからっ」
会うたび会うたびゲームばかりなのは全く構わない。研磨と一緒にゲームをするのは楽しい。けど、クラスの皆が恋愛に関する話をした時、急に焦りが出るのだった。私たちって、恋人なんだよね?と。
「…したいの?」
気付けば研磨は完全に私と向き合っており、私の投げたカーディガンを拾いながら言った。
「すみれはおれと、そういうことがしたいんだ」
そして、そのカーディガンを私の脚に置いてくれた。寒そうだって思ったのかもしれない。でもそんな目で見られてしまっては、そんな事を言われてしまっては、またすぐにカーディガンを投げなきゃいけなくなりそう。
「研磨は?」
私が返事をせずに聞き返したということは、私の意見はもう分かっているはず。
私はしたい。研磨と身体を触れ合って、スマホの動画でしか見たことの無いような、そんな世界を一緒に感じてみたい。
それらを目で訴えると、研磨は瞼を閉じた。 私の訴えに対して頷いているようにも見えた。そしてすぐに立ち上がりベッドに腰掛け、さっき自分で膝に置いたはずのカーディガンを払いのける。それにゾクリとして固まった矢先、強い力で肩を押された。研磨の手で、ベッドに押し倒されたのだ。
「け、研磨、っ?」
「言っとくけどそっちが誘ったんだからね」
言いながら研磨は私の上に被さった、いや、跨った。これまで何百回と訪れたこの部屋、何百回と上がったこのベッドで、こんな事をされるのは初めてだ。無意識に身体をガードしていた手は研磨の力で振り払われた。うそ、ぜんぜん動けない。研磨ってこんなに力が強かったんだ。
「………!」
手首を布団に縫い付けられたまま、研磨の体重が自分にのしかかってくるのを感じる。頬に垂れてくる研磨の細い毛。鼻をくすぐる孤爪家の柔軟剤の香り。いつも触っているもの、いつも香っているものなのに、全部初めてみたいな感覚だ。やがて研磨のまつ毛が私の額に触れた、かと思うと唇にやわらかい感触が。
「ん、」
キスなんて、お互いに立っているか座っている状態でしかしたこと無い。ほんの少し触れるだけで終わりのキスしか、経験したことが無い。息が苦しい。こんなに身動き取れない状態で押し付けられるようなキス、現実だとは思えない。
キスされているのは本当に私?そして目の前の人は本当に幼馴染の、恋人の孤爪研磨なのだろうか?
「研磨…や、」
「えっ。いや?」
顔を離した研磨は少し不安そうというか、驚いているようだった。私が望んでいたのはこういう事じゃない、って思ったのかも。
だけど合ってる。これでいい。だから全然嫌じゃない。びっくりしてるだけ。大丈夫、と首を横に振ると研磨は安堵の息を吐いた。
「違うんだ」
「…ちょっと緊張してて、ごめん」
「いいよ。おれもだから」
研磨が私を前に緊張するなんて、と驚いてしまった。だけど確かに研磨の目には焦りの色があり、涼しい室内のはずなのに首筋からは汗が流れ始めていた。研磨が部活以外の時に、それも部屋の中で汗をかくなんて珍しい。
「覚悟できてる、んだよね」
研磨の手が私の手首を離した。そのまま私の顔にかかる髪を横にはらい、表情すべてが彼の視界に捉えられる。いつも研磨には顔だけじゃなく、頭の中も心の中も見られているような気がするけれど。今日はいよいよそれ以外を、すべてを見られる事になるのだ。
覚悟ならあるよ、遅いくらいだよ。と強がってみせると、研磨は自身のシャツを捲り始めた。