いかされてるものクラブ
毎度毎度「自分が悪い」ということは自覚している。俺は心が狭いから、彼女をなるべく自分だけのものにしておきたいと考えてしまう。そして、そのつまらない独占欲のせいで冷たい言葉を放ってしまったの回数は数えきれない。
何故こんなに心配になり余裕が無くなるのかというと、すみれには俺よりもいい相手が必ず存在するからだ。すみれがどう思っているのかは知らないが、俺はそう思うしそう見える。
「白石さん!」
誰かが恋人を呼ぶのが聞こえてぴたりと足を止めた。俺とすみれは違う部署で働いているけどフロアは一緒なので、昼休憩に出ないかと誘おうとしたのだが。俺が声をかける前に別の男がすみれのデスクに行き、呼ばれたすみれが顔を上げたところだった。
「どうしたの?」
「俺さー、自販機で間違えてボタン押しちゃって。これ飲む? 俺甘いの苦手なんだ」
「えっ! いいの」
そいつは鈴木という営業部の男で、俺やすみれの同期である。
新入社員の時は鈴木も同じ研修を受け苦楽をともにした仲だから、彼に対してこんな感情は抱きたくない。と思っているのに、沸点の低い俺はふつふつと血が燃え始めた。偶然にも鈴木は甘い缶コーヒーを誤って購入し、何故かそれをすみれにあげると言うのだ。しかもそれはすみれの好物で、ほとんど毎日買って飲んでいるのを鈴木が知らないとは思えない。
「ありがとう。今度何か奢るよ」
「全然だいじょーぶだよ。午後も頑張ろう」
そう言うと、鈴木はすみれの椅子にぽんぽんと手を置いて去って行った。
確信犯だな、あいつ。俺たちは交際を公にはしていないけど、同期の奴らは気付いているはずなのに。すみれに声をかけるまでにイライラを落ち着けなきゃならなくて、少し時間を無駄にしてしまった。
「……で、鈴木くんが間違えてコレ買っちゃったんだって。賢二郎いる?」
休憩室で弁当を広げていると、すみれは早速その話題を出した。わざわざ「鈴木に貰った」ことまで説明してくれるのは有り難いのだが、全てを見ていた俺にとっては複雑だ。鈴木からそれを受け取る時、にこにこしながら話していたし。好物だから仕方ないのだろうけど。
「要らない。すみれの好きなやつだろ」
「うん。でも私、もう同じの買ってるし」
しかし、すみれは冷蔵庫の中から同じものを取り出した。朝一番に買った缶が冷えておらず、昼時になるまでここで冷やしていたらしい。好きなら二本どちらも飲んでしまえばいいのに。
「……じゃあ貰う」
でも、くれると言うものを断る気はない。しかも鈴木からすみれの手に渡ったものが最終的に俺の腹に入るのだから、ざまあみろだ。こんな気持ち、すみれに知られたらきっと嫌われるだろうな。
だけど、俺の虫の居所はまだまだ良くはならなかった。
「鈴木がくれたっていうの、俺、見てたんだけどさ……」
「んー?」
どうしてもすみれに話したかったのだ。すみれがどういう意図で缶コーヒーを買い、すみれに渡したのかを。
「あいつわざとソレ買っただろ」
パキッ、と割り箸の割れる音がした。そのまま食べ始めずに静止するすみれ。その目は不思議そうに俺の顔を見ていた。
「……え。なんで?」
「すみれに渡すため」
「なんで……?」
「そんなもん俺に聞くなよ。つーか聞かなくても分かるだろ普通」
本気で気付いてないのだろうか。鈴木は少なからずすみれに好意があるってことに。しかも先ほど鈴木の飲んでいたものはコーヒーじゃない、炭酸飲料だ。とてもボタンを押し間違えるような配列ではない。そんなことにも気付かずに、「間違えて買ったから」と渡されたものを素直に受け取るなんてどういうことだ。しかも俺が見ているところで。
「へらへら受け取ってんじゃねーよ」
続けて俺も割り箸を割ったが、全く上手に割れなくて更にイライラした。そして、思わず舌打ちしてしまったのが良くなかった。すみれからすれば、まるで自分が舌打ちされたかのような気になってしまったのだ。むっとした彼女は箸を置き、そのまま右手を差し出した。
「……返して」
「何?」
「それ返して。私が貰ったやつだから」
「は……」
らしくないピリピリした声だったものだから、俺は言葉に詰まってしまった。しかしすみれは右手を上下に振りながら、より語気を強めた。
「わ・た・し・が、へらへら笑って受け取った飲み物なので自分で飲みます」
怒っている。顔とか声とか空気じゃなく、すみれは頭に来た時、俺に対して敬語になるのだった。
「早く」
「え。ちょ」
俺が答える前にすみれが手を伸ばしてきて、そばにあった缶コーヒーを奪い取った。そしてがさがさと手元の弁当を片付けたかと思うと、俺から離れて別のテーブルに移ってしまった。
あんなに怒るなんて思わなかった。いや、俺か。こんなにすぐに機嫌の悪くなる男だなんて思わなかった。自分に驚きである。でも、だって鈴木がわざとらしくすみれに缶コーヒーを渡すからいけないんだ。俺と付き合ってるってことくらい知ってるんじゃないのか? そして、他の男から簡単にものを受け取るすみれにも腹が立つ。俺は間違ってないはず。
……と、どんなに言い聞かせても、冷静になったころにはどっちが悪いのかなんて一目瞭然だった。俺が勝手に機嫌を損ねてすみれを怒らせてしまったのは明らか。謝るしかない。謝りたいけど、くそ面倒な性格のせいで素直に謝りに行けない。
結局、昼休憩のあいだにすみれに声をかけることは出来なかった。
「おっせーな……」
時間は過ぎて、その日の夕方。俺が退社したのは定時をを三十分ほど過ぎてからだったが、すみれがなかなかビルから出て来ない。帰る時にはデスクを片付けているところだったから、間もなく降りてくると思うんだけど。もしかして俺と会わないようにこそこそ帰ろうとしてるんじゃないよな、なんて思ったりもした。
「!」
しかし、すみれはビルの正面玄関から普通に出て来た。同じエレベーターに乗っていたらしき数名も一緒だ。ただ、彼らの顔は知らないので他の階で働く他社の社員だと思われる。そいつらに紛れてさっさと駅まで歩こうとするすみれは、やっぱり今も怒っているみたいだ。
「すみれ」
「何か?」
「何か? じゃねーよ」
わざとらしく他人行儀なことを言うすみれに、またイラッとしてしまったが。落ち着け、ここで俺が怒ったら仲直りなんてできないぞ。
「分かんない? 私、怒ってんの」
すみれは俺を放っていくのかと思ったが、そう言った時には立ち止まっていた。感情任せにならず冷静に怒ることが出来るのは尊敬でしかない。
「……悪かったって」
「賢二郎いつもじゃん。私、ちゃんと他の人とは一線引いてるつもりだよ? どうして男の人のことになったらそんなに突っかかるの」
そしてただ怒り散らすだけではなく、俺を諭したりたしなめるようにゆっくり話した。分かりやすく、誰もが理解できる言い分だ。だから俺は自分の気持ちを話すのがとても恥ずかしかった。
「すみれが……他の男に取られるんじゃないかと」
スーツを着た大の男の台詞とは思えない。我ながら笑える。すみれもこれには少し吹き出していた。
「取られるって何。そんなわけないじゃん」
「あるかもだろ」
「ないよ」
「あるんだよ! すみれは愛想がいいし……まあそれは大事なことだけど……俺が思ってるみたいに、すみれのことカワイイとか好きだとか思ってるやつが他に居るかもしれないだろ」
居るかもしれないというか、確実に一人は居る。鈴木だ。
「……で、そいつが俺よりいい男だったら……」
「私の気が変わるかもしれないと?」
「…………そう」
鈴木はただの同期だが気が利くし、仕事もできるし人当たりがいい。俺自身、入社当時は鈴木のおかげで助かっていた。彼は人見知りの俺にもきちんと話を振ってくれたのだ。すみれにも同じように。そんな器量のある男を、すみれが好きになってしまったら? 俺に勝ち目はない。
「賢二郎って、嫉妬激しいよね」
ところが俺が悶々と悩んでいるのを横目に、すみれはあっけらかんとした様子で呟いた。
「……情けないって思ってんのか」
「うん。とても」
「な……」
「可愛いとも思ってる」
自分より十センチ以上背の高い男に向かってカワイイって、どこがだよ。かなり不服だったけど、とても言い返せる身分ではない。唇を噛む俺を見て、すみれはにやにや笑いながら続けた。
「心配しなくても、賢二郎以上の人なんて居ないよ」
ここまで言ってもらえても、俺はまだ素直に「ありがとう」とは言えない。そもそも許してもらえたのかどうか危うくて、黙り込んだまま突っ立っていた。すみれは俺が説教を受けた子どもみたいに見えたのだろう、「怒ってないよー」と俺の背中を撫で始めた。
「……俺が機嫌取られてる感じなのが腹立つ」
「合ってるじゃん。私が賢二郎の機嫌を取ってあげてる」
「覚えてろよ」
「こわーい」
きゃっきゃと笑うすみれだったけど、怖いのは俺のほうだ。ちゃんとしないと本当に彼女を失ってしまうんじゃないかと思う。すみれの優しさに甘えずに余裕を持たなくては。
……と毎度のように思っているのに、すみれを想う気持ちが大きければ大きいほど俺の理性はすり減っていくのだった。