うらやむ色してた
ニュースでたびたび話題になる不倫とか横領とか、大人が引き起こす見苦しい事件の数々を見て、僕は早いうちから「あんな人間にはならない」と心に決めていた。公私混同なんて格好悪い、要領が悪くて割り切れない人間のすることだ。
だから僕は部活の仲間と必要以上に親しくなろうなどと考えていなかったが、例外は意外にあっさりと現れるもので。
「月島くん、一緒に行こう」
朝練の終わりに声を掛けてきたのは、つい最近付き合い始めた女の子だった。
同じクラスだから親しくなったのも理由のひとつだけど、なんと彼女はバレー部のマネージャー。まさか女子マネージャーと付き合う日が来ようとは、誰も予測しなかっただろう。僕だってまだ驚いているのだから。
「一限目って英語だったっけ」
「うん」
「うわあー、当てられる気がする」
付き合いたての白石さんはやや焦っている様子だったが、普段から真面目な彼女のことだからそこまで深刻ではないと思えた。授業も部活もそれ以外も、悪ふざけをせずに取り組んでいるのが白石さんのいいところだ。
まあ清水先輩だって谷地さんだって真面目でいい人なんだけど、何故かあの二人は恋愛対象にはならなかった。と言うか白石さんが「もしかして僕のこと好きなのかな」と思わせてくれたおかげで、僕も彼女を意識するようになったのである。そう思うと僕は、条件さえ揃えば意外と簡単に揺さぶられるタイプなのかもしれない。
「……あ。そういえば私、辞典……」
校舎に向けて歩いていると、白石さんがふと立ち止まった。鞄の中をごそごそと漁っている。「やっぱり無いか」と呟いているので、家に何かを置いてきてしまったのだろう。
忘れ物なんて珍しいな。でも、僕は同じクラスで同じ授業を受けるから何かを貸すのは難しい。ひとまず何が無いのか聞いてみようとした時、別の声が背後から聞こえた。
「白石さん」
それはさきほどまで体育館や部室で聞いていたチームメイトのものだった。影山が片手に英和辞典を持って歩み寄ってくる。もしかして、という僕の予想はあっさりと当たった。
「すんません。昨日コレ借りっぱなしだった」
どうやら白石さんは昨日、自分の英和辞典を影山に貸していたらしいのだ。それを返し忘れていたらしい影山が、軽く頭を下げて白石さんに手渡した。
「あ! そうだそうだ。影山くんに貸してたんだった」
「助かった。今日は自分の持って来たから」
「ううん。わざわざありがとう」
そのやり取りを真横で聞いて、僕が気分を害さないはずが無い。「授業で使う辞書を忘れてきた」だけでも情けないのに、そのうえ僕の彼女から借りるとは何事だ。こいつは僕と白石さんが付き合い始めたのを知っているはずなのに。
が、よく考えたら影山はそんな気を回せるような人間ではないのだった。
「……キミさあ、勉強できないならせめて忘れ物すんのやめなよね」
「あ? 仕方ないだろ。忘れる時は忘れんだよ」
「威張るトコじゃないから」
「威張ってねえし、つーか別に月島に迷惑かけてないだろ」
「は?」
「ま、まあまあ」
嫌味を全く隠すことなく話し続けようとする僕を、白石さんが慌てて制してきた。影山の開き直りっぷりに思わず汚い言葉を吐いてしまうところだったので、止めてくれて助かったかも。
「じゃ、次から気を付ける」
「うん。お願いします」
「ハイ」
影山は再びぺこりと頭を下げて(何度下げても足りないくらいだが)、僕のことなんか目もくれずに去っていった。バレーに関することでしか彼を敬おうとは思えないのに、このままじゃ影山を嫌いになってしまいそうだ。もともと全然好きじゃないけれど。嫌い寄りの普通。
「……あんなやつに貸さなくたっていいのに」
辞書を鞄に仕舞おうとする白石さんにボソッと言うと、彼女は目を丸くした。が、すぐに笑いながらフォローを入れた。
「いいじゃん。それに、また影山くんが補習になったら大変だしね」
「そんなの影山の自己責任でしょ」
「そうなんだけど……うーん、まぁそうだね」
「ていうかさ……」
ていうか、そう。今ので一番引っかかるのは影山の発した言葉だ。
辞書を忘れたのは百歩譲って仕方ないとしよう、それを白石さんに借りたのも一万歩譲って許すとしよう。しかしさっきの言葉には物申したい。「月島に迷惑かけてないだろ」? どの口が言ってるんだよ。
「僕、大迷惑なんですけど」
女の子と付き合ったことでいちいち一喜一憂するほうでは無いけれど、さすがに付き合ったばかりの彼女が他の男に優しくするのは気分が良くないのだ。しかも相手は影山だし、辞書を忘れたというのも腹立たしいし、あんなのがバレーの才能に秀でているのもムカつくし。
白石さんは僕の顔が思いっきり歪んでいるのを見て怖がりはしなかったが、宥めようとは思ったらしく。眉を下げて困ったように笑った。
「……ごめんね」
「白石さんのせいじゃないけど」
「半分は私のせいだよね」
「二割くらいだよ」
「八割は?」
「影山」
「ふふっ」
僕が唇を尖らせているのなんか、彼女にとっては恐怖でも何でもないようだ。それどころか笑いのツボがあったらしくて、控えめに吹き出した。何がおかしいの、って言おうとすると白石さんは片手を挙げた。
「次からちょっと厳しくするから。許して」
挙げた右手で「ゴメンね」とポーズをとってみせると、白石さんはまた笑った。笑顔の理由が分かってしまった、分かりたくなかったけど。僕が影山に嫉妬しているのがおかしいのだ。
「いいけどさ……」
余裕を見せようとして言った言葉も、苦しまぎれの声になっていたらしい。白石さんが再び「ごめんごめん」と慰めるように言うので、僕はよっぽど拗ねてるように見えたんだろうな。