延長線の春にて
大学生って、もっと大人だと思ってた。アルバイトをしてお金を稼いで、勉強も真剣に打ち込んで、キャンパス内での出会いもあって、デートでは遠くまで旅行に行ったりとか、飲み会でロマンチックな口説かれ方をしたりとか。
そんな夢を抱いて進学した大学ではわざわざ言いふらせるような、素敵な恋はできていない。私を好きだと言ってくれる人は一応現れたし、付き合ってみたりもしたけれど、どうにもその気になれなくて。つい先週、その人にはお詫びをして交際を終了したのだった。
「久しぶり! 大学どーお?」
そんな時に成人式を迎え、私は高校時代の同窓会に参加していた。懐かしい顔触れに各々の会話が弾むなか、私は手にしたスマホが震えるのを感じてそわそわした。別れたばかりの元彼が、電話をしてきたのだ。
「すみれ、どうかした?」
「いや……」
表示された元彼の名前を確認し、首を振りながら画面を下にしてスマホを置いた。せっかくの成人式の日に、別れた人のことは考えたくない。しかも私が彼を好きになれなかったばっかりに、早々に破局してしまったのだから。罪悪感でいっぱいだ。
「あっ。白布くん? 久しぶり」
頭から元彼の存在を消そうとしていると、近くの誰かが男の子の名前を呼んだ。私がその名を聞き間違えるはずがなく、また、顔を忘れているはずもなく。白布賢二郎と思しき人が隣に来たのを見て、私は口を丸く開くしかなかった。
「……あ」
「久しぶり」
白布はびっくりした私の様子に突っ込むことなく、ただ短く挨拶だけを放った。私たちは成人式の会場からそのまま移動してきたので、白布ももちろんスーツ姿。こんなにスーツが似合う人になってるなんて聞いてない。
「ひ、久しぶり」
「座っても?」
「うん。いいよ」
必死に平静を保ちながら言うと、白布は私の隣に腰を下ろした。
なぜ私がこんなにも心臓をばくばくさせて、白布のスーツ姿を直視できずに俯いているのか。その理由は明白だった。
高校時代、二年・三年と同じクラスで、しかもバレー部のマネージャーをしていた私と白布はそれなりに仲がよかった。むしろ私のほうは白布を好きだった。だけど、気持ちがバレたら部活にも学校生活にも支障をきたしてしまう。部活を引退した後はお互いに受験で忙しくなり、結局告白しないまま卒業したのだ。
そして、私はたぶん、まだ彼のことが好き。だから大学で告白してくれた元彼を好きになれなかった。私の中で、白布賢二郎を超える男の子は居ないのである。
「……大学、忙しい?」
「まあまあ。白石は?」
「私は別に……しがない大学生活だよ」
「しがない顔してるもんな」
「なっ! なにそれ失礼っ」
久しぶりで緊張していたけれど、話していくうちに昔のような軽い会話ができるようになった。そういえばずっとこんな感じだったっけ。からかわれて、私が怒って白布がへらへらと笑う、そんなくだらない時間が心地よかったんだっけ。
それを思い返していると、白布はやれやれと肩を落としながら言った。
「やっと力が抜けた」
「え……」
「ずっと余所行きの顔しやがって、澄まして座ってただろ。久しぶりで緊張してんの?」
どきりとした。誤魔化すために空になったグラスを持ち、氷がカランと音を鳴らす。
緊張、するに決まっている。久しぶりに高校の同級生に会えるのは楽しみだったし、私だって卒業してからちょっと垢抜けて、振袖だって店員さんとお母さんが「いちばん似合う」と言ってくれたものを着ている。朝早く起きてプロの人にヘアメイクをしてもらい、今日の私はどう見ても過去一番の華やかさだろう。そんな姿で好きだった人に会うとなったら、そりゃあもう。
「べつに、そういうのじゃ、」
素直になれなくて作り笑いを浮かべた時だ。机に置いた私のスマホが、再び振動を始めた。
私と白布は同時にそちらへ目をやって、しばらくの間が空く。彼は私がスマホを手に取るもんだと思っていたようだが、もちろんそんなことは出来ない。だって、絶対これは、元彼からの着信だから。
「……電話?」
白布は私の様子を伺うように言った。どうか無視してほしかったのに。
「これは出なくて大丈夫なやつだから……」
「なんで。親とかじゃないの」
「違う」
「画面見てないくせに誰からか分かんのかよ?」
単純に疑問なのと、隠しごとをしているのがバレバレな私に苛ついているのだろう。白布がじろりと睨んできた。こんなふうに問い詰められるような目で見られたら、私はいつも負けてしまうのだった。
「……も、元彼。だから」
ちいさく言うと、私はスマホを鞄の中に押し入れた。まるで元彼のことを隠すみたいに。
「へえ……」
白布はその私の動作を横目で見ながら、興味があるのかないのか分からないような返事をした。
私が誰かと付き合っていただなんて、きっとどうでもいいんだろうけど。ちょっとは気にして欲しい、でもあまり詮索しないで欲しい。頭の中はぐちゃぐちゃだ。その反面、白布はいたって冷静で、頬杖を付いて軽く笑った。
「ようやく彼氏ができたのに別れたのか。前は全然もてなかったくせに」
「……な!? そりゃあ部活が忙しかったから」
「はい言い訳」
「ムカつく! マネージャーなんかやってなかったら私にだって彼氏のひとりやふたり」
そこまで言って、はっとした。私に彼氏が出来なかったのは部活のせいじゃなくて、私の問題だったのに。
「じゃ、やらなきゃよかったって思ってるわけ」
そう、まるで、バレー部なんて関わらなければよかったと言っているかのようで。だけどそんかつもりは毛頭ない。白布だって分かっているはず。なのに、どうしてわざわざ私の弱みを突くようなことを?
「……なんでそんなこと」
私の声は尻すぼみになっていった。しゅんと気持ちも落ちてしまい、晴れ着がずるずると着崩れていくような感覚。
「せっかく久しぶりに会えたのに、なんで意地悪言うの」
白布を責める私だったけど、あいにく自分にも同じようなことが言える。なぜ私は、久しぶりに会えた好きな人の前で、意地を張ってしまうのだろう。どうして素直に嬉しい顔ができないの。
「……せっかく久しぶりに会えたのに、か」
白布は私の言葉を復唱すると、納得したように頷いた。後ろに掛けていたジャケットをハンガーから外し、立ち上がろうとする素振りをする。もしかして、もう行ってしまうのか。どうやって引き止めれば? そもそも私は白布を引き止める真っ当な理由がない。あるにはあるけど、こんなところじゃ言えない。
……などとモヤモヤ考えていると、白布が肩をとんとん叩いてきた。
「せっかく久しぶりなんだし、こんな大勢いるところで会うの嫌なんだけど」
「え?」
「俺、たぶん酒飲むの得意じゃないし」
つまり何を言いたいのか理解できずに座っていると、ついに白布が立ち上がった。しかも、「出るぞ」と私の腕を引っ張りながら。
盛り上がる元クラスメイトは、私たちが店から居なくなることなんて全く気付いていない様子だった。それぞれ昔話に花を咲かせたり、覚えたばかりのお酒に酔ったりしていたから。ちなみに私も白布と同じく、あまりお酒に強くないので「得意じゃない」と言えるだろう。
だけど、だからって二人で同窓会を抜け出すなんて、気が気じゃないんだけど。
「白布……なに、どこ行くの」
「決めてない」
「えっ!? ちょ、ちょっと待って、わ!」
すたすた歩く白布の後ろを必死について行くと、いきなり脚がもつれてしまった。今日は振袖で足さばきが難しいのだ。
よろけた私はすぐ前にいた白布のジャケットを掴んだことで転げなくて済んだけど。思い切りぐしゃっと掴んでしまったので、慌てて手を離した。
「ご……っごめん」
「いや……俺も。悪い、歩きづらいのに」
「そんな」
なんで、さっきまで私に嫌なことばかり言ってたくせに気遣うようなことを言うんだろう。調子が狂う。
高校の時もずっとこうだった。私を馬鹿にするような態度、かと思えば本気で叱ったり心配してきたり、なのに突き放したり。全くわけのわからない彼の言動には悩まされたものだった。おかげで白布を好きになった高二の日からもう、四年が経とうとしているのだから。
「……俺、本当は成人式も同窓会も嫌だったんだ。そんなことより勉強してたい」
白布は、今度は私の速度に合わせてゆっくりと歩きながら話し始めた。
「でも、白石が居るかもしれないと思って」
どきりとして、思わず止めそうになった足を必死に動かした。だってまだ分からないから。白布が何を言いたいのか。
私だって今日、白布が居るかもしれないって思ってた。だからヘアセットだけじゃなくて、メイクもプロの人に頼んだんだし。お母さんには無理を言ったと思う、お金がかかるから。
「……けど大学で彼氏が出来たなんて知らなかったよ」
「わ……別れたけどね」
「向こうは未練たらたらなんじゃねーの。成人式の日に電話してくるなんて」
「私は未練ないもん」
「悪女かよ」
「うるさい! だって」
と、そこで私は口を止めた。続きを話せば白布にすべてを知られてしまう。だけど、ふと隣を見上げれば白布がとても澄んだ瞳で私を見つめていた。
「その人のこと好きになれなくて……他に、好きな人がいるから」
こんな時になってどうしてそんな、真剣な眼差しを向けてくるの。私が過去にあなたを好きだと自覚してしまった、懐かしい眼差しを。
「白布のことが……」
好き。
そう言ってしまう前に、私の息は途切れた。ここまで言っておいて怖くなったから。白布が私をどう思っているのかなんて分からないのに、私だけが彼を好きだったらどうしよう。しかも白布は私が話すのを聞いて、大きなため息をついたではないか。
「卒業して二年も経つのに? 頭おかしいんじゃないの」
「な……」
「って、俺も自分に言い聞かせてたけど」
ゆっくりと足を進めていたはずの白布は、そこで立ち止まった。つられて私も足を止め、白布のうつくしい横顔を見上げる。革靴を履いているせいかちょっと背が高くなっていて、心なしか声も低くなって、落ち着いて見えるのに瞳の奥が燃えていた。
「確かになかなか忘れられるもんじゃないよな。好きになったやつのこと」
そう言うと今度は、その燃えるような瞳で私の姿を捉える。これはふざけて私を笑っていた時の彼じゃない、真面目な話をする時の白布だ。おまけに話題が話題なもんだから、私は背筋をぴんと伸ばして硬直した。
「言うのが遅くなったけど、俺、高校の時からおまえのこと好きだから」
それから、信じられないほどやわらかな口調で想いを告げられた。
高校時代の私は白布のことを好きで、でも言えなくて、そのまま卒業して悩んで苦しんで二年が経ち、違う人と付き合って、結局白布を忘れられなくてすぐに振ってしまった。こんなに私を苦しめた人が、今度は喜ばせてくるなんて! 嬉しくて気が抜けてしまい、せっかくのメイクが目元から崩れていくのを感じた。
「……二年遅い」
「そっちこそ遅いだろ待たせんなよ二年も」
「そっちじゃん!」
「しかも他の男と付き合いやがって」
白布はポケットに手を突っ込むと、中からハンカチを取り出した。こんなものを持ち歩くような紳士に成長していたなんて、それもまた私の心臓を深く貫く。ハンカチは私の顔の前に突き出され、私はそれを受け取って目元に当てた。
「二年ぶん、埋め合わせしろよ」
涙を拭いていた私は、白布がどんな顔でそう言ったのかは見えなかった。だけどハンカチを私から引ったくり、ポケットに戻したその手で私の手を引いていくのを見れば、なんとなく想像は出来てしまった。