月明かりとポルカ
集中しなきゃって分かっているのに、自然と姿を追ってしまう。気が散ると良くないって分かってるのに、いつの間にか近くを陣取ってしまう。
それならいっそのこと当たって砕けたほうがスッキリするんじゃ? と思うものの、当たる勇気も砕ける勇気もなく。ただ全く意識されないのは悲しいから、分かりづらい行為で伝えることしかできない。汗水流して取り組んでいる部活の仲間に、そんな想いを抱いてしまったのが始まりだった。
「ちくしょー……」
悔しい気持ちとともにボールを床に打ち付けたのは、とある放課後の出来事。普段ならこの時間、体育館では大勢の部員が練習に励んでいる。だけど今日は俺以外に誰も居ない。なぜなら皆、一昨日から四日間にわたる遠征に出発しているのだ。
そんな中どうして俺はこんなところに居るのかと言うと、情けない話だがインフルエンザにかかってしまい、出発の機会を逃してしまったのである。一昨日には熱は下がっていたけれど、必ず五日は安静だったから。他にも俺が菌を移してしまった(あるいは俺に移してきた)部員が数人ほど、今回の遠征に参加できていない。
今ごろみんなは何をしているのだろう。俺がひとりで練習できることは限られている。焦っちゃ駄目だけど焦ってしまうな。
「……あれっ」
今日は早々に切り上げようかと思っていた時、体育館の入口から女子の声がした。誰も来ないだろうと思っていたからびっくりしたけど、現れたのは見知った顔だ。ひとつ歳下のマネージャーが、目を丸くして立っていた。
「白石?」
「お疲れさまです」
白石すみれは軽く頭を下げると、シューズを履いて体育館に入ってきた。服装は制服だ。俺の姿を見て驚いているが、白石がここに居る理由も不明である。マネージャーは遠征に同行しているはず。
「なんでここに……遠征は?」
「それが、風邪引いちゃって……熱が下がらなくて行きそびれまして」
「マジか。俺と一緒じゃん」
俺がインフルエンザにかかったことは知っていたようで、「最初インフルかと思いましたよ」と笑っている。風邪は完治しているらしい。しかし部員のほとんどが居ないのを分かっていながら、どうしてここに来たのだろうか? その謎はすぐに解けた。
「だから皆が帰って来るまでに、備品の整理とか掃除でもしようかと思ったんですよね」
なんと、遠征で部員が居ないあいだに掃除をしようとしたらしい。練習後に毎日掃除しているのに、だ。だけど良く考えれば毎日の掃除なんか五分程度で終わってしまうし、どこか手を抜かれている場所もあるかもしれない。それらをひとりで掃除するつもりか。いや、そんなことはさせられない。
「……それ、俺もやろうかな」
「えっ。瀬見さんは自主練しててくださいよ」
「今までさんざんやってたよ。休憩しようと思ってたとこ」
休憩というか、やめようかと思っていたところだが。細かいことはどうでもいい。思わぬところで白石とふたりで過ごす時間を手に入れてしまった。何を隠そう俺は、ひそかに彼女へ思いを寄せているのだ。
「で、何を掃除すんの?」
「普段みんながやってないところとか……」
「ここ、ほぼ俺らしか使わないもんな」
体育の授業で使われることも勿論あるが、主にバレー部が使う体育館。コートは二面張れるようになっているので結構広い。普段掃除をしてない場所といえば倉庫の中なども含まれるだろう。倉庫はたくさんの備品があって動かしづらいだろうから、やはり女子ひとりではさせられない。
「瀬見さん、ほんとに大丈夫ですよ。埃がきついからまた体調悪くなっちゃうでしょ」
それなのに、白石は本当に自分だけでやるつもりだったらしい。仮にも病み上がりのくせにそれは無いだろう。俺も病み上がりだけど。
「白石こそ同じだろ。さっさと済まそうぜ」
「でも……」
「頑なだな! ひとりでやりたいのかよ」
「い、いいえ」
掃除を協力するために何故か説得することになってしまったが、ひとまず俺はここに居ることを許された。嫌がられたって帰ってたまるか。せっかく白石とふたりきりになる機会を与えられたのだから。
しかし、掃除をするとなれば悠長に喋るような余裕はできず。白石がてきぱきと段取りを決めて動くので、俺もそれに従って拭き掃除やらを徹底した。一階はもちろん二階もだ。白石が女の子だからかは分からないが、普段から掃除や洗濯の手際はいいように思える。そういうところも魅力だよなと思いながら手を動かしていると、気付かないうちに時間が経過していた。
「……げ。いつの間にか暗くなってる」
「え、」
夕日は沈みかけており、時計を見れば下校時刻間際になっている。俺が言うまで白石も気付かなかったらしく、急いで外に目をやった。
「ほんとだ……」
「俺らよっぽど集中してたんだな」
「ですね」
「今日はここまでにしとくか」
結局、ふたりがかりでもこの体育館内を隅々まで掃除することは適わなかった。意外な汚れに手間取ったり、突然現れたゴキブリに動きを止めてしまったからかもしれない。あの時の 姿を白石に見られていなくてよかった。
「すみません。手伝わせちゃって」
「いいのいいの。家どのへんだっけ? 帰り送ってくよ」
「えっ!?」
制服の汚れをはらっていた白石はその動きを止めて、今日いちばんの驚きの声をあげた。そんなに意外そうにしなくても、男子が女子を送るくらい普通では? ……いや、誰かを送ったこととかないけど。申し出たのも今日が初めてだ。俺はなんとかそれを悟られないように食い下がった。
「そ、そんなの悪いです!」
「悪くねーだろ」
「だってもう暗いし」
「暗いからだろ。荷物は?」
「……全部そこに置いてます」
「よっしゃ」
隅っこに置いてある学校指定の鞄の隣に、弁当箱が入っているらしき手提げが置いてある。俺が先にそれらを持ち上げると、白石が慌てて駆け寄ってきた。
「瀬見さん、鞄」
「途中まで持つよ」
「だめですっ重いですよ」
「いや全然軽いけど」
「こんな時まで筋トレするつもりですか」
一瞬何を言っているのか分からなくて間が空いてしまった。俺が白石の荷物を持つのは筋トレのためだと思っているらしい。そんなわけないだろ。好きな子にいいところを見せたいからだろ。残念ながら白石には、率先して鞄を持ったのを「鍛えたいから」だと思われてしまったが。
とにかく駅までの十分程度だけ、俺は白石の隣を歩くチャンスを手に入れた。そのあいだになんとか距離を縮めたいが、普段なんの面白味もない俺は気の利いた話題を振ることができない。しかし男らしいところを見せたいし、俺がいかに白石を大切に女の子扱いしているのかを伝えたい。
「帰り道、結構暗いんだな」
その結果、毎日の帰り道がこんなに暗いことに対する驚きを言葉にしてみた。実際これは初めて知った事実だ。夏場ならまだ明るいだろうけど、この時期は危ないのでは。
「そうですね。駅まではこの道一本ですけどね」
「最寄り駅から家までは?」
「ちょっと暗いですけど……」
ほら、更に白石の最寄り駅からも暗い道のりを歩かせている。俺たちが練習を終えてのうのうと寮で過ごすあいだ、冬は寒くて夏は蒸し暑い中を。何分くらい歩くのだろう? 街頭は明るいのか? そこまで聞くなんて怪しまれるかな。
「毎日そんな道を一人で歩かせてるなんて、俺ら優勝しなきゃ罰が当たるかもなあ」
驚くほど流暢に媚びを売るような台詞を言ってしまって、少々恥ずかしいけれど。こう感じたのは本当だ。練習をサポートしてくれる存在に迷惑や面倒をかけておきながら、いい結果が残せませんでしたなんて話にならない。これは自分への尻たたきでもあり、白石へのアピールでもあった。が。
「大丈夫ですよ。駅から家は自転車です」
白石からは気の抜けるような返事が返ってきて、芸人みたいにずっこけそうになった。
「……あ、そう」
自転車だからって寒いもんは寒いし暗いもんは暗いだろ。今どき変質者だってずる賢いのだから、自転車相手でも武器を持って無理やり襲ってくるかもしれないのに。
という俺の心配は顔に出ていたのか、白石がふっと吹き出した。
「瀬見さんって過保護ですよね。二年のみんな言ってますよ」
「え。悪口じゃん」
「悪い意味ではなく! ただあのひとたちは素直に有り難がれない人種なんです」
「はあ」
あのひとたち、というのが誰を指すのかなんとなく分かってしまったのが辛い。同等に辛いのは、俺の心配があまり白石の心に届いていないことだ。俺がどんな気持ちでここに居るか、隣を歩いているか伝わっていない。
「確かに俺は過保護かもだけど」
「かもじゃなくて、過保護です」
「白石のことは過保護にしてるわけじゃないんだけど……」
白石に対しては過保護なんじゃない。とにかく傷付けたくないし大事にしたいし、好きだから俺のことも好きになって欲しい。俺のことをいいなと思って欲しいからだ。瀬見さんって優しい、頼もしいと思われたい。
だから「過保護にしてるわけじゃない」という言い方をしたのだが、白石は不服そうにむっとした。
「なんで私だけ過保護にしてくれないんですか?」
「えっ」
「やっぱり一緒に頑張るチームメイトのほうが大事なんですね悲しいです」
「そういう意味じゃ」
「いいですよ別にぃ、仕方ないですしっ」
とんだ方向に進んでしまった。白石は本気で怒っているわけじゃなさそうだけど、唇をつんと尖らせている。なんて可愛い仕草をするんだちくしょう、じゃなくてじゃなくて。
「あのな、今のは」
「もー。あ、ここ渡ったら改札なんで大丈夫ですよ」
「え……あ、ああ」
「鞄ありがとうございます!」
なんと、横断歩道をあとひとつ渡れば駅に着くところまで来てしまっていた。白石が手のひらを出してくるので、俺は大人しく鞄を渡すしかない。このまま白石の鞄を持っていたら泥棒になってしまうし。
これでもう終わってしまうのか。俺の気持ちなんかちっとも届いていないのに。白石のなかで俺は「バレー部の先輩」でしかないのか。今後それを変えるためにはどうすれば?
「瀬見さん」
「へ」
「明日、掃除の続き頑張りましょうね!」
白石はそう言うと、ちいさく手を振りながら横断歩道を渡って行った。
彼女の姿が見えなくなるまで俺はそこに立っていた。帰ってしまうのが惜しいのではない。そりゃあちょっとは惜しいけど。今、素晴らしいことに気付いたのだ。明日も俺たちは、ふたりで体育館の掃除ができることを!
「……明日も……」
そして、白石は明日も俺と掃除をするつもりで居ることを。綺麗好きで律儀な彼女だからかもしれない、というか絶対そうなのだが、「俺も一緒に」というのが前提になっていた。これは冷静ではいられない。みんなは遠征を頑張ってるって分かっているのに、浮かれずにはいられない。学校までの帰り道を思わずスキップしてしまったなんて、部員に見られたら後ろから蹴り飛ばされるかも。