小悪魔的交換条件
張り切りすぎた。と後悔したのは、両手の荷物がずっしりと重くなってきたころ。
来月行われる学園祭で、私たちのクラスは劇をすることになっている。衣装係になった私は白雪姫に登場するキャラクターの衣装を、予算内でそれらしく仕上げなければならなかった。何度か色んなお店を下見して、今日はようやく調達するための買い物デーなのだ。
「一緒に行くよ」と言ってくれた衣装係の女の子も居たけれど、実は私の都合のせいで一度計画がおじゃんになっている。まもなく中間テストだし、行こうと思っている手芸屋さんは私の家から近いので、丁重にお断りしておいた。
……が、ひとりで買い物をしている今、布って重いんだなあと思い知らされているところ。
「もしかして、白石さん?」
いったん荷物を置きに帰って出直そうかと考えていると、突然視界が陰った。誰かが上か私を見下ろしている、というか覗き込んでいる。聞き覚えのある声だ。顔を上げると、同じクラスの男の子が立っていた。
「……川西くん!」
「合ってた。大荷物じゃん」
「うん……衣装係の買い物で」
「あー」
川西くんは私の返事を聞いて薄い反応を示した。もともと彼のリアクションは大きくないので、これが普通なのだろうけど。
それよりもリアクションに困っているのは私だ。なんたって川西くんは、二年になり同じクラスになってからというもの、私がこっそり恋している相手なのである。そんな人が急に現れて声をかけてくれるとは。私、今日の服おかしくない? 髪の毛ぐしゃぐしゃになってない? 触って確認しようにも両手が塞がっているので難しい。
私が慌てているように見えたのか(慌ててるけど)、川西くんは辺りを見渡してから言った。
「ていうか、ひとりなの?」
「はは……いけるかなって思ったんだけどね」
「衣装係って他にも居るじゃん。呼べばいいのに」
「いやいや、いいのいいの。ほんとは先週行く予定だったんだけど、私のせいで無理になったから」
実は先週の日曜日、買い出しの予定を組んでいたのに、親戚の不幸があって急遽行けなくなってしまったのだ。心配されるのが気まずくて「お葬式で無理になった」とは言えない。遠い親戚だったので、落ち込んだり極端に悲しいってわけじゃないから。……それにしても私がひとりでこれだけの量を持っているのは驚きだったらしく。
「まだ何かある? 買うやつ」
と、川西くんが質問をしてきた。
必要なものは他にもあったはずだ。買い出しメモを見返さなきゃ分からないけど。
「え。えーと……たぶん」
「手伝うよ」
「え!」
メモの内容を思い返していると、川西くんから信じられない申し出が。驚きのあまり跳ね上がってしまい、ショルダーバッグが肩からずり落ちた。
「な、なんで!? いいの?」
「だって俺、学園祭のこと何もしてないし。今日はもう用事終わったから」
「でも」
「とりあえずそれ貸して」
私が返事をする前に、川西くんは紙袋を三つとも持ってくれた。一気に軽くなる両手。袋の重みのせいで、私の手のひらは赤くなっていた。今度は川西くんがそれを味わうことになってしまう!
「重くない……?」
「思ったより重い」
「ごめんね」
「全然。ていうかコレ白石さんひとりで持ってたの凄いね」
なんて言いながら川西くんは、両肘を何度か曲げてみせた。彼にとってはそこまで負担が無いらしい。
川西くんが私を見つけて声を掛けてくれただけでなく、買い出しを手伝ってくれるなんて夢のようだった。しかも、びっくりうっとりしていた私に「次はどこ行く?」と聞いてくれたおかげで我に返ることができた。どこ行く? って、まるでデートをしているみたい。川西くんはそんなこと思ってないだろうけど。
結局その後はお店自体が近かったので、一時間ほどで買い出しを終えることができた。荷物はすべて川西くんが持ってくれている。せめて一番小さい袋は持とうとしたのに、「大丈夫」と言って譲ってくれなかった。なんて優しいんだ。
「ごめんね、忙しくなかった?」
「うん。今日は珍しく部活休みだったから」
はじめは緊張してしまったけど、お店を出てから駅に向かって歩いている時も会話が途切れることはなかった。
バレー部の練習は今日はお休みで、川西くんはたまたま駅前のスポーツ用品店に行っていたらしい。ぶらぶらしてから何も買わずに店を出たところで、私を発見したのだとか。
「これ学校に持って帰ろうか? 白石さん、家から持ってくの大変でしょ」
並んで歩くこの時間が永遠に終わって欲しくない。そう感じていた時、またまた川西くんからの提案があった。
「え……!?」
「俺どうせ学校に帰るし。ついでに」
「で、でもそんな悪いよ」
「いやどこも悪くないよ」
「悪いから! 私が持って行くからっ」
「頑なだなあ……」
本来なら私が家に持ち帰り、週明けに登校する時に持っていくつもりだ。確かに持って帰るのも大変だし、それをまた学校まで持って行くのも大変だけど、川西くんだけに頼むわけにはいかない。第一、川西くんは衣装係じゃないんだし。
だけど川西くんは私に荷物を渡そうとする素振りを見せず、他の案を考えていた。
「じゃーもし白石さんがいいなら、今から一緒に行く? 学校」
「……え、い、いいけど」
「一緒に持っていこ」
「いいの!?」
「だから俺、どうせ学校に戻るもん。寮だから」
私はテンパっているので要領良く考えられないが、川西くんの言うとおり。川西くんは学校の敷地内にある学生寮に住んでいるので、この後は学校に戻るのだ。私がついて行こうが行かまいが関係なく、行先は変わらない。
川西くんだけに荷物を頼むのは忍びないからよかった。という気持ちと、もう少し川西くんと一緒に居られる! という邪な気持ちが同時に芽生えた。
「……じゃあ、そうする……」
「そうしよー」
川西くんは、あまりテンションの上がり下がりはなさそうだ。表情の変わらないまま白鳥沢行きのホームに向かい、電車が来るのを待っている。両手に荷物を持ったまま。それが申し訳なくて仕方ないので、改めて「付いてきてくれてありがとう」と言おうとしたのだが。
「なんか、無理やり付いてって迷惑だったかな。ごめん」
先に川西くんに、付いてきたことを謝られてしまった。
全然迷惑じゃない、むしろ万々歳だしデートみたいで楽しかったのに! でもそんなこと言えない、上手くフォローする台詞を探さなきゃ。結果的に私の口からは、あまり気の利かない言葉しか出なかった。
「そっ……そんなことないよ」
「ならいいんだけど」
「ほんと助かったから。川西くんが持ってくれて」
「力持ちだからね、俺」
その時ようやく川西くんが軽く笑ってくれた気がして、私はほっとした。手伝われるのを遠慮しすぎたせいで、彼の気を悪くしていたら……と心配していたから。
「俺、試合とか練習があるからってあんまり学園祭の仕事こないんだけどさ」
「うん」
「衣装係に入ってもいい?」
向かいのホームに電車が近づいてきたせいで、聞き逃すところだった。
川西くんをはじめ、バレー部のレギュラーやベンチ入りしている人たちはあまり学園祭の仕事が振られないようになっている。学校としてもクラスとしても、バレー部が成功するのを望んでいるから。だから思ってもないことを聞かれた私は「え!?」と素っ頓狂な声をあげた。
「あ、だめ?」
「だめじゃない! だめじゃないです」
「よかったー」
時々こっちに目をやりながら話す川西くんは、やっぱり表情が変わらない。本当に「よかった」と思っているのか不思議なくらい。そして、その変わらない表情のまま続けた。
「俺ずっと白石さんのこと気になってたけど、やっぱ正解だった」
これは空耳? だとしたらこんなにはっきりと聞こえるわけない。独り言? いや、独り言なら今、川西くんが私を真っ直ぐ見ているわけがない。
「……」
「あ、そういう理由で衣装係になるのって良くないか。でもやる気はちゃんとあるんで」
川西くんは私が口を半開きにしているのに気づかなりふりをして、涼し気な顔で話している。同じ衣装係になってくれるなんて嬉しくてたまらないし、今ここに川西くんと一緒に居る事実すら踊り狂って喜びたいのに。その嬉しさ喜びを表現しなきゃ。歓迎だよ、一緒に頑張ろうって伝えなきゃなのに。
「……衣装つくるの、ちゃんと手伝ってくれる、なら」
川西くんは私が「ちゃんと手伝ってくれるなら」なんて条件を出すのが意外だったようで、「へ」と漏らすのが聞こえる。ああ、全く可愛げのないことしか言えなかった。 後悔。反省。最悪。嫌なやつじゃん、私。ずしんと落ちた気分につられて思わず目線を落としていた。川西くんの次の言葉が聞こえるまでは。
「白石さんが指示してくれれば頑張るよ」
びっくりして思い切り顔を上げた時、『電車がまいります』のアナウンスが流れた。それでも、そのアナウンスと重なってはいたけれど確かに聞こえた。川西くんがちょっぴり吹き出す声が。
隣に立つ川西くんは私と目を合わせると、「だから衣装係、入れてよ」と首を傾けてみせた。断れるはずがない。選択肢はひとつしかない。私が「うん!」と答えた声はちょうど電車の音にかき消されてしまい、川西くんはまたまた吹き出した。