07
僕の世界に蓋をしたのは



高校の時から対人関係への不安は無かった。俺は愛想がいいほうだし、なにをしなくても周りが寄って来る。来るもの拒まず去る者追わずの状態を保っていたが、大学では「拒む」事を覚えなければならなくなった。治を目当てに寄って来る奴らの選別だ。


「侑くん、タコパせえへん?」


鈴の音が鳴るような声で話しかけてきたのは同級生の誰か。名前は知らないが顔は見覚えがある。ちなみに全然タイプではない。


「タコパか…」
「10人くらいでやろう思ってんねんけど」
「多いな」
「いっぱいおるほうが楽しいやろ?清水くんちに集まんねん」


その「清水くん」すら誰だったかなという状況だが、あの子やで、と指差された男にはしっかり見覚えがあった。いくつか同じ講義に出ているやつだ。身なりが良いからきっと金持ちで広いリビングでもあるのだろう。


「明日の夜どう?」
「明日…」
「鈴木もこっち来て!侑くん誘ってやあ」


その女の子は、同じ室内に居る鈴木を呼んだ。鈴木が声をかければ俺が参加すると思っているらしい。


「侑、タコパせえへん?」
「さっき聞いた。」
「清水んちめっちゃ広いねんて。お前こういうの1回も来た事ないやろ?」
「……」


確かに俺は大学の同期の集まりなどには参加したことが無い。入学したての頃に一度だけ行ったと思うが、会話もテンションも合わないなと感じてしまったのだ。
唯一鈴木だけは良い意味でも悪い意味でも頭が悪くて、裏表のない良いやつだと思えた。だから鈴木に言われると、あまり頑なに断れないのだ。


「…まあ、予定無いしええけど」
「っしゃ!侑来るって!」
「やったあぁ」


俺ひとりが参加する事になっただけで、この盛り上がり。
嬉しいような悲しいような複雑な気分だ。俺が参加したところで何を聞かれるのかは目に見えていた。「バレーの宮治と双子なんやって?」「高校の時、一緒にしてたんやろ?」「侑くんはバレー続けへんの?」ああ頭がくらくらしてきた。やっぱり行きたくない。


「けどなあ、清水くんちたこ焼き器1個しか無いねんて。誰か持ってる?」
「俺んちの壊れてるわ」
「うち持ってない」
「ああ!ほんなら俺ら買いに行くわ」


その時、鈴木の放った威勢のいい声で我に返った。正確には声のせいではなく、鈴木が俺の肩を組みながら言ったおかげで意識を取り戻した。


「…俺ら?」
「一緒にいこ」
「なんでやねん」
「清水んちどこ?」
「浪速区」


嫌な予感がしてきた。大阪市浪速区の清水の家に行くまでに、たこ焼き器を買う一番便利な場所と言えばひとつしか浮かばない。歓楽街のど真ん中にあるドンキホーテだ。


「ほんならドンキで買ってくわ」
「ええ、俺あのへん行きたないねんけど」
「ええやん別にドンキぐらい」
「……」


鈴木に背中をばんばん叩かれて仕方なく承諾したものの、気持ちはずんと重くなった。ドンキホーテに行くのが嫌なんじゃない。あの周辺はももこの働く店がある、あまり好きじゃない雰囲気の街並みなのだ。





はじめ、その姿を見つけた時は人違いかと思えた。こんな明るい店内に、堂々と顔やら腕から血が出ている女の子が歩いているなんて思わないじゃないか?俺の知らないあいだにハロウィンになったのかとすら思えた。


「…何しとん」


聞きたいのはこっちだと言うのに、俺の後ろを歩くももこが言った。


「こっちの台詞。ちゅうかその傷なんやねん」
「何も無いよ…」
「何も無いにしては派手すぎるやろ」


手を引いてやって来たのは医療品を売っているコーナーで、使えそうなものを適当にかごへ入れていく。そんな俺を見ながらももこは不服そうであった。


「なんなん、自分友だちとどっか行くん違うの」
「帰らした」
「な…」
「もともとタコパなんか興味無かったからな」
「……」


むしろ離脱する口実が出来て好都合だと言える。それに、目の前にこんな姿で現れた知人を無視できるほど俺の心は凍りついていない。
必要最低限の返事をするだけでさっさとレジに並ぶ俺を見て、ももこは追い返すのを諦めたらしかった。





「じっとしててな」


適当に近くのカラオケボックスに入り、買ったものを机に広げた。ももこに自分で血を拭かせているあいだに俺は用意を整えて、頬やら腕の打撲痕を氷で冷やしていく。


「いだっ、」
「我慢して」


とは言ってもこんな傷、痛いもんは痛いだろうと思う。縦に入った盛大な腕の傷はなかなか血が止まらなくて苦労した。消毒してから大きな絆創膏を貼り、痣は見えたら嫌だろうしひとまず包帯を巻いていく。


「ん。これで隠れるやろ」


手際よくこれらの事を進めていく俺を見て、はじめは拒んでいたももこは感心しているようだった。


「…慣れとんなあ、傷の手当て」
「昔っから怪我ばっかりやからな。スポーツやっとったし」
「へえ。やから朝、走ってるん?」


いつだったかランニングの途中、朝のコンビニで出会ったのを思い出す。バレーボールをやっていたから走っているわけではない。走ろうとしなくても、身体が勝手に起きてしまうのだ。


「……まあ。その名残やな」


自分からスポーツの話を出しておいて卑怯かも知れないが、俺は話をはぐらかそうとした。大学の同級生にだって詳しくは話していないのだ。


「今はやってないの」


しかし既に聴く体制に入っているももこは、包帯を袋に戻す俺を見ながら不思議そうに言った。


「…してへん」
「そうなんや。侑くん、身体大きいから運動向いてそうやけどな」


ぐさりぐさりと、ももこは聞かれたくないことを突っ込んできた。
しかしカラオケボックスの二人しか居ない空間で、ももこはただの興味本位で聞いているわけじゃ無いように見える。俺に双子が居ることも知らず、俺が有名な高校を出た事も知らない。そこで俺がどれほどの努力をして名声を手に入れて、そのあと何が起きたのかも知らないのだ。


「故障してん。カッコ悪いやろ」


俺は淡々と述べた。ももこが息を呑んで室内に緊張が走るのを感じる。伝えないほうが良かったかも知れない、けれど俺もこれを誰かに言うのは久しぶりで、口に出すことで少しだけ胸がすっとしたように思えた。

しかしそんな俺とは逆に、ももこは聞いてはいけない事を聞いてしまったような、居心地の悪そうな顔をしていた。


「……ごめん」
「べつに」


謝られる事でもないし、謝られたら俺のほうが悪い気分になる。早々に話を切り替えなくてはと、ゴミをまとめた袋を机に放りながら言った。


「次、そっちの番やで」
「…え?」
「その怪我なんかおかしいぞ。女の子の顔殴るなんて普通ちゃうやろ」


俺は俺の言いたくないことを話した。次はまだ明かされていないももこの話を聞く番だ。
そもそも何故こんなところに居るのかと言うと、ももこが傷だらけの姿で俺の前に表れたせいである。ひとりで勝手に転んだのか?そうは見えない。誰かに殴られたのか?それなら誰に、何が理由で?自分が悪いのか、誰かの勝手な都合なのか。問い詰めたいことは山積みだ。


「ええねん。ほっといて」


でもももこは俺と目を合わせないようにして、小さな声で言うのみだった。


「…分かった」


本当はとても気になるが、誰にだって言いたくない事のひとつやふたつあるだろう。話したくない事まで無理やり聞きたくはない。言いたくない気持ちは理解できるからだ。
でも、だからってハイそうですかと終えることは出来ない。


「ほんならせめてコレ」
「え」
「連絡先。」


携帯電話を机の上に置き、ももこにも出すように言った。ももこは手に持った携帯電話と俺とを交互に見て、どうするか迷っているようだった。


「なんやねん?金にならんやつに連絡先教えんのは嫌か?」


そう言うと、ももこはやっと観念したらしく携帯電話を差し出した。カツアゲでもしているような気分だ。が、俺に連絡先を教える事自体は嫌では無さそうに見える。俺を自分の問題に巻き込むのが嫌なのだろうか。
俺からすれば消毒も包帯も湿布も買ってやった上にカラオケ代も負担するんだから、もう充分に巻き込まれているけど。


「…ん。」
「ヨシ」


互いの連絡先を交換し、画面に「ももこ」の名前が追加されたのを確認してから携帯をポケットに仕舞った。
ももこも俺の名前が表示された画面をじっと眺めているが、焦点があっているのか定かじゃない。顔を殴られて頭がおかしくなったか?


「…よう知らんけど、変な気ィ起こすなや」


知ってるやつが怪我をするとか死んでしまうとか、そういうのは気分がいいものじゃない。ももこは小さく頷くだけで返事をしなかった。


「おい。何かどうしようもなく困ったら言えよ」
「……なんで」
「なんでもクソもあるか。ほんならお前、なんでそんな怪我しとんねん?」


その質問にはやっぱり答えられないようで、ももこは結局黙り込んだままカラオケを出たのだった。

そんなに言えない何かがあるのだろうか。俺が数年前にぶち当たった壁より高い物なんて、この世に存在するとは思えない。

俺は高校を出れば当然どこかのチームに入ってプロになるのだと思っていたし、いくつものチームから声は掛けられていたのに。今、日本代表として活躍する治のような姿を俺も全国民に見せつけてやれると思っていたのに。
たった一度の怪我でそれが叶わなくなった俺よりも、辛いやつなんかこの世に居るのか?