03
彼女はどの星に
鼓動を還したのか



月曜日の講義は2限目からだ。開始に合わせて大学前の駅に到着すると、同じ講義を取っている鈴木と出くわした。先週末に風俗デビューを果たした相方である。


「おはよ!」
「おー」
「金曜ほんまに良かったよなあ…」


鈴木はいまだに風俗で自分についた女の子を褒めちぎっていた。事前にネットで調べて指名までしていたんだから、楽しかったようで何よりだ。
店を出た後は鈴木の感想を聞き、「付き合ってくれてありがと」とタクシー代を貰い、ぎりぎり終電に間に合ったので電車で帰ったのだった。これは鈴木には内緒の話だが。


「侑はどやった?」
「どうって別に…何もしてへん」
「えっ!?」


まるで宇宙人でも見るかのような目つきで、鈴木は俺を見た。
そんなに不思議か、風俗店で女の子と二人きりになったのに何もしていない事が。俺はあのももかという女の子と60分みっちり喋っただけで、身体なんて本当に一切触れていないのだ。風俗嬢には興味が無いし、他の男にも同じように媚を売って身体を触り、触られているんだろうと思うと積極的には動けなかった。


「そういう気分にならんくって」
「ブスやったとか?」
「いや、可愛かったで」
「なんていう子?」


鈴木は携帯電話で検索機能を表示させた。店のホームページを探し始めたので、女の子の顔を調べようとしているらしい。


「ももかちゃん」
「ももか…え!?ももか!?」
「おお」
「それ、この子か?」


見せられた画面には確かにももかが写っていたが、少し過剰な修正が施されているように見える。メイクだって実際に会った時にはここまで濃くなかった気がするが、まあ撮影用なのだろう。


「そう。こいつ」
「嘘やん…俺ほんまはこの子が良かってん…え、指名で埋まってるって書いてたから諦めたのに」
「直前にキャンセルなったらしいで」
「マジかよおめっちゃ可愛いやん…ほんまに何もしてへんのか?」
「しつこいなあ」


ももかは間違いなく容姿が整っていた。身体つきも良かったように思う。整形かも知れないが。

しかし、可愛らしい子・綺麗な子なんて俺は見慣れていて、目が肥えているのだ。中学高校と地元では有名なほうだったし、同じ学校のみならず他校の女子生徒から声をかけられることも多かった。彼女なんて選り取り見取りの状態で、八方美人になりすぎて治に苦い顔をされた事もしばしば。

そういうわけで単なる可愛い女の子が露出度高めの服で現れたって、俺にとっては特別性欲をくすぐられる事も無い。


「羨ましい…」
「まだ言うてんのか」
「ももかちゃん、人気嬢やもん」
「人気って事はそのぶん、いろんな男のモンしゃくってるって事やん」
「それを言うたらお終いやで」


ああいう店で遊ぶなら、そのへんの事情は見て見ぬふりをするべきらしい。
しかし部屋に入ったとたんに目に入ったティッシュやら何やらの生々しい光景は、俺には見て見ぬふりが出来ない。やっぱり風俗遊びは向いてないな。





夕方、帰宅前にコンビニエンスストアに寄ろうと道を歩いていた。家から一番近いコンビニはつい最近潰れてしまったので、少し歩かなれけばならないが。ほぼ毎朝ランニングをしている俺からすれば大した労力ではない。

最近ハマっているジュースを買ってさあ帰ろうとしたけれど、ふと生活用品を買い足さなければならないのを思い出した。
ちょうどドラッグストアがあるから寄ってみよう、と足を止め方向転換した時だ。後ろを歩いていたらしい誰かとぶつかりそうになってしまった。


「あ、すんません」
「いえ…」


軽く会釈をした女の子の頭が見える。たいてい誰が相手でも俺より小さいので、頭を下げられると顔が認識出来ないのだが。普段ならそのままさっさと通り過ぎるはずなのに、何故か俺は立ち止まった。この子、どこかで見たことある気がする。


「…あ。」
「あ」


顔を上げたその子を見ればすぐに思い出すことが出来た。ここ最近で一番インパクトのある場所で出会ったからだ。鈴木と一緒に行った風俗店の女の子である。


「えー…ももか…ちゃん?」
「そうそう。えっと…」
「侑」
「ああ!せや、侑くん。ごめんな」
「いや」


ももかのほうは俺の名前を忘れていたらしい。毎日毎日いろんな男と会うんだから無理もないか。それよりももかが何故寝起きみたいな顔で(つまりは恐らくノーメイク)、更に何故ここに居るのかが驚きだ。


「何してんのこんなトコで」
「家この辺やねん」
「そうなん?店、遠ない?」
「帰りは送りの車があるから」


仕事が終わるのは夜中の3時か4時くらい、その時間は電車がないので店が手配した車で家まで送ってもらえるらしい。そんな便利なシステムがあるのか、それだけは少し羨ましい。
そして今は出勤前らしく、身支度をする前に彼女もドラッグストアで買い物を終えたところだと言う。


「…生活感溢れとんなあ」
「何者やと思てんの、人間やで」
「分かっとうけど」


あの店の中で直視しがたい服を着ていた女の子が、スウェット姿で両手にトイレットペーパーやらを持っているのは変な光景だ。どう見ても普通の女の子である。
しかし、すぐに俺は「普通」ではないものを発見した。


「…それ」
「ん」


ももかが着ているスウェットの首元から、何かがちらりと見え隠れした。
平均的な日本人の肌色に赤紫の痣のようなものが目立っている。鎖骨のあたりだろうか。俺みたいな大学生のガキんちょにだって分かるそれはキスマークだ。


「そういうの、客に付けられんの?」


ああいう店で働いているって事は、それ以外考えられない。素朴な疑問として聞いてみると、ももかは軽く頷いた。


「うん。こういうの好きな人がおんねん。後のお客さんに見られるん嫌やから、なるべくやめて欲しいけど」
「されてる間は我慢しとんの?」
「我慢?」


これも素朴な疑問だった。だっていくら怪しい客はお断りできるからと言っても、自分より年齢が倍以上の男とか、会話が成り立ちそうにない変なやつとか、とんでもない性癖の男だって居るだろう。
そういうやつとあの部屋の中でふたりきり、密着して身体を触り合うだけでなく、肌に唇を這わせられるなんておぞましいと思う。


「知らん奴にそんなんされて、嫌なんちゃうの」


ももかはその質問に即答しなかった。答えられなかったというよりは、答えが見つからなかった様子だ。


「あんまり、仕事中は何も考えんようにしてるから。分からん」
「…あっそう」


そもそも答えなんか存在しなかったのかも知れない。彼女と俺とはきっと、生活する世界が違うのだ。価値観もなにもかも。
だから余計にももかの手にぶら下がっているドラッグストアの袋が、とても不思議に見えたのかも知れない。