02
文体の似ない私たち



日課というのは、慣れというのは恐ろしい。初対面の男性とひとつの部屋に閉じ込められて、監視カメラも無い中、なにをされるか分からない状況。部屋の端には一応除菌できるものとか、ローションとか、そういった配慮はされているけれども。

こんな場所で働くなんて絶対に無理。そう思っていたのに1年後の今、「何も考えない」という技を身に付けた。
何も考えずに頭を空っぽにすれば、どんな人の相手だってできてしまうのだ。恐ろしい事に。


「えっ、キャンセルなん」


華の金曜日、出勤した私はげんなりした。今日の予約5本とも指名客だったというのに、そのうち一人がキャンセルしてしまったらしい。あの人、わりと清潔だしマシなほうだったのに。


「ええやん、金曜やし客は入るやろ」
「…でもなあ。フリーのお客さんなんか変な人かも知らんやん」
「それは耐えろや、仕事やねんから」


耐えろ耐えろと言われても、生理的に無理なものというのは存在する。一度ついたお客さんならこちらからNGを出す事が出来るけど、フリーだとそうも行かない。だからってキャンセルになって空いた1時間、誰にもつかないというのは大損だ。

どうかマシなお客さん、マシなお客さんが来ますようにと願いながら待っていたところ、現れたのは同年代の男の子だった。


「ほんなら侑くん、どんな事したい?」


はじめてのお客さんにはまずこのように聞く。何をしたいかされたいか、人によって様々だから。
けれど若い人のほうが難しい。今目の前に居る侑くんのようにあまり自分の希望を言わない人が多いから。


「や、べつに何もせんでええで」
「え?そうなん?」
「うん。喋るだけでええわ」


そう言うと、侑くんは壁にもたれてしまった。何もしなくていいなら、こんなに楽な事はない。しかし60分2万円程のうちの店、侑くんのような若い人からすれば貴重なお金を使って来たんじゃないか。


「お金勿体なくない?払ってるんやろ」
「ええねん。ツレの金やから」
「付いてきただけ?」
「そ、ツレの風俗デビューの付き添い。アホらしいやろ」


アホらしいという彼の意見は最もだった。でもそれに同調してしまうと彼の友人を貶すことになってしまう。世の中には難しい人が多く、自分から誘導したくせに私が話に乗ると怒り出す人も居るのだ。だからその話は軽く笑って流す事にした。


「侑くんは初めてちゃうの?」
「初めてやで。キョーミないもん」
「……ゲイ?」
「ちゃうわ」


侑くんはけらけらと笑って否定した。見たところ背も高く、身体つきはしっかりとしている。顔立ちも整っていて明るい髪色に後ろは刈り上げ、ゲイの外見的特徴が全て揃っているがどうやらストレートらしい。
それなのに風俗に来て何もしないで過ごすとは。ごくごく稀にそういう人も居るけれど。


「ま、そういう事やし気ぃ遣わんでええよ。この1時間は休憩しといたら?」


そう言って侑くんはポケットから携帯電話を取り出した。知らない人と身体を触れ合わなくていいのは確かに助かるが、同じ空間に居るのに携帯電話に集中それるのも困りものだ。
しかし、侑くんの集中は長くは続かなかった。


「…声めっちゃ聞こえるやん」


ふと顔を上げながら侑くんが言った。同じフロアに設けられているいくつかの部屋からは、男女が楽しんでいる音や声が丸聞こえなのである。


「せやな。防音ではないから」
「……」
「嫌?」
「…せやなあ」


と、言いながら顔を歪めていたので彼は本当に風俗店には興味が無い、あるいは嫌悪感を抱く人間のようである。それでもあくまで店に対しての嫌悪しか見せず、私に対しては普通に話しかけてきた。


「ももかちゃん?やっけ」
「うん」
「何でこんなとこで働いてんの?」


けれど質問の内容は、なんとも答えづらいものだった。


「…そういう事聞くう?」
「フツーに気になる」
「なんでよ、今時普通やで」
「まじで?」


こういう店に縁のない人からすれば、そりゃあ不思議なのだろう。特に侑くんはわざわざこんな場所に来なくたって、きっと女性関係には苦労しない。よほど性格が悪ければ別だけど。
でも、そうじゃない人は世間の目から隠れているだけで意外と多いのだ。


「侑くんは大学生?」
「おお」
「ふーん。たぶんな、大学の同級にも居てるで。風俗嬢」
「嘘やん」
「ほんまほんま。大学生とかOLさんとか、お金無い人けっこう働いてるもん」


実際うちの店だって大学生がお小遣い稼ぎで働きに来ているし、がっつりハマって大学中退なんて人も居る。
たったの1時間、ひとりの男性を相手にするだけで最低でも7〜9000円も貰えるのだ。この金額は女の子の容姿によってランク付けされるけど、指名が付けば更にプラスだし、金銭感覚がおかしくなって当然だと思う。


「ももかちゃんも大学生なん?」
「…なんで?」
「なんでって、別に深い意味ないけど」
「内緒」
「なんやそれ」


初対面のお客さんにそんな事を話す筋合いは無いし、常連の人にだって話していない。言われへんなあ、と誤魔化していると侑くんは話を変えた。


「ていうか、めっちゃキモイおっさん来たらどないすんの?それも舐めるん?」
「うん。」
「うげえ」
「ちゃんと消毒してからやけどな」


先ほど私たちもきちんと消毒を終えている。私の手はとっても綺麗だ。それでも彼にとっては、物理的に除菌されているだけでは全く意味がないらしいけど。


「…いやあ…無理やな」
「侑くんて潔癖なん?」
「ちゃうけど…ごめん」
「ええよ。普通は無理やもんなあ」


理由はどうあれ仕事としてここに居る私に配慮しているのか、侑くんは言葉を濁していた。それでもやはり伝わってくる。「俺、こういう店無理やわ」というのが。それを表情に出さないよう頑張ってくれているのが。


「危ないヤツとか入ってこんの?」


鼻の下を指で擦りながら侑くんが言う。そろそろこっちが申し訳なくなってきた。


「それはダイジョブやで。さすがに不潔すぎる人とか怪しい人は、ボーイが入店拒否してるもん」
「なんや。そういうの出来るんや」
「誰でもどうぞって訳ちゃうよ。受付で身分証出したやろ?アレ必須やから」
「あー…」


夜の店ではありがちだけど、侑くんは目の前で身分証明書のコピーを取られるのはほぼ初めてだったに違いない。しかも顔写真付き。何の悪さもしないのに疑われている気分になっただろう。
でも、そうでもしなきゃ大変なのだ。誰が何をやらかすか分からないから。


「…ほんまに1時間、喋ってるだけでええの?」
「うん」
「もったいな〜」
「せっかく人気嬢に相手してもらうチャンスやのに〜って?」
「そういう意味ちゃうけど」


受付で誰かに聞かされたんだな、私がわりと人気である事は。けれどもう分かっていた。この人は私がいくら整った外見できれいな声で誘惑したとしても、例え私がお金を詰んだとしても指一本触れてこないであろう。


「…ま、ええわ。私も喋ってるだけなんは楽ちんやもん」
「せやろ。ええやん」
「やな」


幸い侑くんはもう私を無視して携帯電話を触ることは辞めていた。静かになると周りの部屋の声が聞こえてしまうからだろうか。


「…で、なんで風俗で働いてんの?」


しかし、なぜだか答えにくい質問を再び投げかけてくる。そんなに気になるのか、答えてやらないけど。


「何でやと思う?」
「んー…ホスト。」
「はは、そういう子も居てるわ。鋭いなあ自分」
「ももかちゃんは違うんや?」
「私なあ…私か…んー」


やはり侑くんのような人は接客しづらい。心が読めない。そして会話の誘導が上手く、冷めた振りしてコミュニケーション能力に長けている。こういう人からの質問をはぐらかすのはいつも大変だ。


「…やっぱ内緒。」
「ふーん」
「どうせ興味ないやろ?」


頼むからそれ以上聞かないでくれという気持ちを込めて言ってみると、彼は「ないなあ」と笑った。 この1時間、早く過ぎてくれないかなあ。