01
これが真似事なら
もっと上手くやれる



目覚まし時計が鳴るよりも前に起きるようになったのは、いつからだろう。
思い出したくもないが、とにかく俺は毎朝7時にセットした目覚まし機能を使う事なく5時ごろに目が覚める。大学までは電車で15分ほどの場所に一人暮らしをしているんだから、男の俺なら1限目の開始1時間前に起きればちょうどいいくらいだ。

それで充分だというのに早起きに慣らされてしまった身体は勝手に起きて、仕方が無いので家の周りを軽く走る。宮侑の大学生生活の朝はいつもこんな感じだ。


「侑くん、おはよう」


大学2回生になった俺はそこそこ学校内に知り合いもできて、あまり退屈しない日々を送っている。今朝話しかけてきた女の子の名前はどうも思い出せないが、俺に用事があるわけじゃないんだろうな、ってのは感じ取れた。ここ1年、こんな奴らばっかりだ。


「なあ、治くんて次いつ帰ってくんの?」
「治かあ…さあ、いつやろ」
「双子やろー!連絡取ってないん?」
「あいつ忙しいもん」


自分で調べろ脳みそ腐ってんのか?というのは心の中に仕舞っておく。最近すぐに苛々してならない。治のことを聞かれると特に。

けど、べつに俺は治と仲が悪いわけではない。少なくとも週に一度は連絡を取り合ったり、お互いどうしてる、こうしてるなどと電話をする事はある。良好な双子としての関係を保っていると言って間違いない。
それでも執拗に治の話ばかりされてしまうと嫌になってしまうのは、色々な理由があるわけで。


「おお、侑おはよー」
「はよ。なんや、ちゃんと起きてるやん自分」
「せやねん褒めて」
「普通やろ」


くだらない話でリラックスさせてくれるこいつは同じく2回生の鈴木、大阪府高槻市の出身だ。現在は実家から大学に通っている、わりと顔立ちが整っていて性格もいいやつ。
昨夜は遅くまでパチンコに勤しんでいたらしく、「明日寝坊すんなや」というメッセージのやり取りをしたので「ちゃんと起きてるやん」という俺の台詞に繋がっている。


「閉店ぎりぎりまで打ってきたわ」
「ほーん」
「相変わらず興味なさげやなあ」
「ギャンブル嫌いやねん」
「そら知ってるけど。今日は大ニュースがあんねんで」


大ニュース?と、聞き返そうとしたときにちょうど始業のチャイムが鳴り始めた。鈴木はいつも物事を盛って話す癖があるからなあ、べつに大した事じゃないだろう。





「侑、ちょお聞いてや!聞いてって」
「なんやねんもう…」


一限目が終わった後も鈴木はパチンコの話を続けようとした。俺、そういうの全然興味ないねんけど。それを知っているはずの彼だがどうも、その「大ニュース」とやらを聞いてほしいらしい。


「それがな、昨日大勝ちしてん。10万やで?やばない?」
「それ大声で言うて大丈夫か?」
「やばっ、いや、そんでな。せっかくやから仲良いやつとパーッと使いたいねん」
「…なにそれ。焼肉でも連れてってくれんの」
「焼肉?ええよもちろん、その後もっとええとこ連れてったるわ」
「何やそれ」


と、聞いた途端に鈴木がにやりと笑ってみせたので、なんとなく予想がついてしまった。
鈴木という男は友だちとしては悪くないが、男女関係においてはスマートじゃない。そんなやつが「もっとええとこ」と笑みを抑えられずに言うならば、きっと俺の予想は正しい。


「風俗いかへん?」


やっぱりだ。キャバクラか風俗のどちらかだと思った。俺はそういう方面に全く興味がないので、素直に顔を歪ませた。


「しょーもな、肉だけでええわ」
「え!?マジで!?お前もしかして経験者か?」
「無いわアホ。そういうの無理やねん。どうせ病気持ちの女ばっかやろ」
「そうかなあ?」


俺だって詳しくは知らないが、色んな男と身体を触れ合うって事は性病を持っていてもおかしくない。例え病気が無かったとしてもドン引きだ。


「なあ、ついてくるだけ!1回だけ!一人じゃよう行かんねん。俺の風俗デビュー助けてくれん?」


それなのに鈴木が食い下がってくる。どうせ金を払うのは鈴木だし、風俗さえ付き合ってやれば今夜は焼肉が約束される。かなり悩むな、どうしよう。
どういう形態の風俗店に行くのか不明だが、行っても何もしなければ良いか。

最終的に「ついてくだけやで」と告げると、鈴木は万歳をして喜んでいた。彼女が出来ない欲しいと嘆いているが、原因は自分にあると理解したほうがいい。





金曜日のすべての授業が終わってから、約束どおり鈴木は俺に焼肉を奢ってくれた。しかも食べ放題じゃない店で。偶然パチンコに買ったからってこんな派手な使い方をするのはどうかと思うが。
しかも焼肉を食べたあとは豪勢にもタクシーに乗り、数々の夜の店が建ち並ぶ街へとやってきた。


「なんでミナミまで出てくんの?京橋でええやん」
「大阪の夜の街ゆうたらミナミやろ」
「…家、遠なるやん」
「タクシー代出すって」


帰りもタクシーを使う気なのか。呆れたけれど鈴木の金をどう使おうが鈴木の勝手だ。
道頓堀から繋がる戎橋からは 大きなお菓子メーカーのネオンが輝いているのが見え、有名な風景が広がる。心斎橋筋商店街は気持ち悪いほど人が多い。観光客も地元のやつも、この時間になると夜の人間達も狭い商店街に溢れかえるのだ。


「お兄さん、ガールズバーどうですかあ」


そんな時に声をかけてきたのは同い歳くらいの女の子で、見た目は言っちゃ悪いけどタイプじゃない。しかし可愛いか可愛くないかの二択ならばしっかり「可愛い」に入る子だった。細身を活かした服装で、客引きが天職だろうなって感じ。
でも、ああいう店にはやっぱり惹かれない。そのまま通り過ぎようとしていたが鈴木は感激していた。


「やば、めっちゃ可愛いやん」
「いや絶対ボッタクリやろ」
「ボられてもええわ」
「あほか。さっさ行くで」


客引きの女の子は特に残念そうな顔もせず、次のターゲットを探し始めた。見た目からして金の無い大学生である俺たちには、しつこく声をかけないらしい。安心したところで、未だに顔がゆるゆるの鈴木を小突いた。


「で、どの店行くん」
「ネットで調べてんけど、ここどう思う?」
「俺はどこでもええわ、鈴木の金やし」


どうせ俺はどんな女の子が来たって何もしないんだからと、鈴木の行きたい店に文句を言わずついて行く事にした。

宗右衛門町の通りに入ると一気に夜の色が増し、ネオンの色は派手になり、客引きの数も増え始めた。少し歩くと、何度が訪れたことのある有名なドンキホーテ。この時間は水商売のやつしか出入りしてないんじゃないか?と思うくらい、客層は昼間と違う。
そんな場所を通り抜けてたどり着いた建物の、狭いエレベーターを4階まで上がったところにお目当ての店があった。


「俺、カオリちゃんで!」
「指名するんかい」
「するやろ!侑も好きな子選んでええよ、俺出すから」
「いや誰でもええし」


店に入ってすぐのところにカウンターがあって、鈴木は早速ネットで調べていたらしいカオリちゃんとやらを指名した。指名料だけで数千円。信じられへん。

その後ふたりとも本人確認書類を提示して、店側にコピーを取られた。俺達が18歳に達しているのを確認しているのか。または働く女の子との間でイザコザを起こすなよ、という無言の圧力だろうか?


「鈴木様、どうぞー」
「呼ばれた!やば!先いくわ!」
「静かにしてや頼むから…」


俺だって来るのは初めてだし来たくはなかったけど、さすがに明らかな初心者オーラを出すのはプライドが許さない。鈴木にはさっさと行くように手で促した。


「誰か気になるコ、居てます?」


鈴木を送り出したあとは俺の番となり、男に話しかけられた。カウンターの上には本日出勤している女の子の一覧らしきものがある。めっちゃどうでもいいし、誰でもいい。


「…いや、俺は付き合いで来ただけなんで…誰でも大丈夫です」
「そうですか?ほんならお兄さんめっちゃラッキーやで。人気の子、予約がキャンセルになってもおて今空いてますねん」
「はあ」
「フリーの料金でいけますんで是非」
「えー、じゃあ、はい。それで」


よく分からないが金額は変わらないというので全てを任せる事にし、偶然空いた人気の女の子が相手をしてくれる事になった。
人気って事は見た目は良いんだろうなあ、視界に不細工が入らないならせめてもの救いである。


「ももかさん入りまーす」


通された部屋に待機していると、すぐに外から声がした。ももかという女が今から入ってくる。冷めたふりをしてはいるものの、こういう店の雰囲気は初めてだから緊張してきた。


「こんにちはあ」


やがて、引き戸を開けて入った来たのはやはり同い歳くらいの女の子であった。

第一印象は一言、思ったよりも清潔感がある。そして予想よりも可愛い。さきほどガールズバーだのなんだの言って客引きをしていた女よりも良いというか、どちらかというと好みの顔だ。整形か?そんな事を考えていたらももかという女の子がもう一度言った。


「もしもし?こんにちはー」
「あー…こんばんは。」
「あっ、コンバンワか。時間の感覚おかしなるわ、ごめんなさい」


彼女は明るく笑いながら座り込むと、恒例の行事なのか知らないが部屋の隅にあるティッシュを出した。自分自身と、俺に。
差し出されたそれを受け取ると今度は除菌の薬をティッシュに振りかけ、「手ぇ拭いてな」と言った。なるほど。こうして目の前で、「今からあなたを触る手は汚くないよ」と明白にしているのか。そして、客が汚い手で触ってくるのも防いでいる、と。


「お兄さんめっちゃ若いやんね?いくつ?」
「19やで」
「うわっ!同いやん」
「…自分、プロフィールに18って書いてなかった?」
「ああアレ?あんなもん嘘やで。みんな年誤魔化してるわ」


そのくらいの嘘は皆ついてんで、と彼女は悪びれもせずに笑った。


「私、ももかです。よろしくー」
「よろしく」
「自分、名前は?」
「み…あー…アツム」
「侑くんな。かわいい名前やな」
「そらどうも」


男のくせに可愛いって何やねん、しかも名前が。俺は身長185の巨体だし、可愛い要素なんか見当たらないが。こんな調子で1時間、どうやって過ごせばいいのだろう。


「ほんなら侑くん、どんな事したい?」


…しかし、どうやって過ごせばいいのかという疑問は野暮なのだった。
どうするもこうするも、やる事はひとつ。ここはいわゆる箱ヘルだ。本番行為は絶対に禁止、ただし触るぶんには制限無し。女の子が男のものを触るのも舐めるのも自由、男が射精するのも自由。「どんな事したい?」と首を傾げるももかの姿は残酷なほどに可愛いが、なんと答えようか。