11
朽ちる術も知らないようなので



怒涛のような数日間。ももこが出勤していないというのに店からは一切の連絡が無く、戸惑っている様子だ。本当にもう行かなくて良くなったのかとももこが実感するには、もう少し時間がかかりそうだった。

ももこの親がお金を借りていたという金融会社の受付窓口はというと、電話をしてみても返済完了との返答しか返ってこない。この電話も俺が隣について「録音しとけよ」と言ったのを、彼女はしっかり実行していた。


「ほんなら引越し頑張りますか」
「うん…」
「なんや、乗り気やないなあ」


ももこの家は運良く賃貸契約の更新月が近かったようで、さっさと退去する事にした。
俺が勝手に指示するせいで従っているが、本当は引越しなんて嫌なのでは?と考えた事もあったけど、どうやらそうでは無いらしい。とにかく色んなことが起こりすぎて頭がついて来ていない様子だ。更に、業者に頼まず自分たちで引越しを行うというのも驚いていた。


「私、あんまし荷物は多くないけど。洗濯機とか冷蔵庫とかめっちゃ重たいで?」
「そのくらい持てるわ」
「え、すご」
「…って言いたいけど、残念ながら無理かも知れんから。助っ人呼んでるねん」
「助っ人?」


俺は元気な19歳だが、例え女ひとりの荷物であっても全てを運ぶのは骨が折れる。数年前に怪我した箇所のおかげで100パーセントの力は出せないかもしれない、と言うわけで手伝いを呼んでおいたのだ。


「それって侑くんの友達とか…?」
「会うたら分かる」
「その人、私と侑くんがどんな関係かって知ってるん」
「知ってるで」


ももこは「えっ」と驚いた。俺たちが風俗店で会った客と嬢の関係だなんて、気軽に言い回れる内容では無いから。


「…引かれへんかな?」
「引かんやろ」
「そうやろか…」


しかし実際そいつは全く引いてない。何から何まで包み隠さず話した末に「しゃあないな」と返事をくれたのだ。


「お、来よった」


その助っ人がやっと現れた。レンタカーを使って来たらしく、車を近くの駐車場に停めたようだ。そして、重い荷物を運ぶための台車まで押してきている。とても優秀なその助っ人は、片手を上げて挨拶をした。


「おう」
「おっす」
「!?」


助っ人の顔を見た瞬間にももこは声もなく混乱した。
それもそのはず、俺が呼んだのは宮治だったのだ。ほぼ同じ身長で同じ顔、同じ声の男が平然と現れればこんな反応をするのは無理もない。むしろ驚かそうと思って何も伝えていなかったので、俺としては満足である。


「あ…え?侑…くん?あ?」
「ぶははっ、ビビってる」
「ビビってる〜ちゃうわ、先に話しとけ言うたやんメンドクサイねんから」


治は大きな溜息をつき俺を小突いた。俺だって話そうかとも思ったが、話さないほうが面白いに決まってる。治が苦々しい顔をするのも想定内だったので、俺は気にせず紹介を始めた。


「俺、双子やねん。こっちはオサム」
「お…治…くん」
「です」


人見知りの治は名乗りもせずに(俺が紹介したからいいものの)軽く会釈をするだけで済ませた。実際、悠長な挨拶を交わしている暇はない。治が居るうちに引越しを終わらせなければならないのだ。


「で?何運んだらええの」
「でっかくて重たいもん頼むわ」
「洗濯機?」
「たぶんソレが一番の難関」


はじめから重いものは自分の役割だと分かっていたらしく、治は黙って頷くと洗濯機のある脱衣所へ向かった。
一応すぐ運べるようにコンセントやホースは抜いて、洗濯機にテープで固定している。それを確認した治は膝を曲げて、「っしょ」と言いながら持ち上げた。


「うわっ、すごい」


ももこは一人で洗濯機を持ち運ぶ治に感心していた。俺もきっと運べるっちゃ運べるが、残念ながら俺の身体は万全では無いので。治は足腰を痛めないよう注意しつつ、玄関にある台車へ洗濯機を乗せた。


「…あの、なんか…ゴメンな」
「何がやねん」
「家族まで巻き込んでもうて…」
「うっさい女やなあ、治は暇人やからええねんて」
「聞こえとんぞ。暇ちゃうわ」


聞こえてるのが分かって言った言葉なので問題ない。それに治が暇だなんて、俺はこれっぽっちも思ってない。治もそれを分かっているが、溜息をつきながら台車を押して一階へ降りていった。


「アイツ今は東京のほうに居てるんやけど。たまたま里帰りしてんねん」
「へえ…?大学で?」
「後で教えたるわ」


細かい話は後でするとして、まずはこの部屋を空っぽにしなければならない。改めて部屋の中を見渡すと、ダンボールが山積みの状態。まだ冷蔵庫だってあるし細かい荷物もまとめ切れていない。今日は久しぶりに大汗をかきそうだ。





「…ほんまに1日で終わってもうた…」
「家が近いしな」


夕方にはすべての荷物を運び終えることが出来た。小さいものは俺の自転車で運べたし、治が引越しのためか大きめの車を借りてきていたお陰だ。
俺の家にも洗濯機はあるので、洗濯機や冷蔵庫はとりあえず契約した安いトランクルームに突っ込んでおく。それも治が全て運んでくれたのである、よく出来た兄弟だ。


「ほんなら行くわ」
「おお、ありがとさん」
「ありがとうございます」
「うん。あー侑、次の土曜やからな、難波の体育館」
「わかっとうわ」


治はそう言うと、最後にもう一度ももこへ会釈をして去っていった。大活躍中のスポーツ選手をこんな怪我の恐れがある事に使うなんて、治の監督に怒られるだろうか?何事も無かったら、まあいいか。
治の姿が小さくなってから、ももこは不思議そうに言った。


「…体育館?」
「うん。お前も一緒に行くで」
「え」
「治はバレーボールの選手やねん」
「え!?」


本日二度目のサプライズである。スポーツ観戦が好きなやつなら治の事を知っているだろうが、ももこはスポーツには興味が無いらしい。初めて聞いた情報に目を丸くしていた。


「え、すごっ、マジで!プロ?」
「厳密には違うけど、まぁそんなもん。宮兄弟言うたら何気に有名やってんで、俺が怪我するまでやけど」
「……」


あ、これは言わなくて良かったかもしれない。ももこは俺の「怪我をしてスポーツ選手になる夢をリタイアした」という話を聞くのが、とても辛いようなのだ。
そりゃあ俺だって辛いけど以前ほど気にしていないし、極限まで落ち込んだら後はもう上がっていくだけだ。そんな上がりつつある俺の横で暗い顔をされるのは控えていただきたい。


「オイ。」
「へ」
「ンな顔してる場合ちゃうぞ。まだ全然片付いとらんのやから」
「あ…う、うん」


荷物を全て運び終えたとは言え、今度は俺の部屋がめちゃくちゃだ。
開いているスペースにとにかくダンボールを置いただけの状態。捨てる物を判別するのは間に合わなかったので、とにかく全部を持ってきたのだ。

今からこれらを開けて、要るものと要らないものとに分ける作業。それから片付け。気が遠いな、と思わず乾いた笑い声漏れた。それを聞いたももこは申し訳なさそうに言う。


「…ほんまにええの?」
「うっさいなあ、何回も言うたやん。狭いけどずっと一人で居るよりマシやろ、お前も俺も」


俺だって別に一人で居るのが好きなわけじゃない。楽ではあるけれども。でも、一人になるとどうしようもない事を考える時だってある。そんな時、同じ空間に誰かが居るのと居ないのとではきっと違う。だからいちいち気にすんなと何度も伝えているのだが、ももこは建て前だと思っているようだ。


「……ちゃんとまたお金溜めて、一人暮らしするから…それまでお世話になります」


俺が「いい」って言っているのにこんな事を言うもんだから、顎が外れそうなくらい口が開いた。


「…は?」
「え?」
「出て行かんでええやろ」
「え??」
「追い出すつもりで呼んだわけちゃうで」


わざわざ元の部屋を解約させてここに呼んで、さっさと金貯めて出ていけなんて言うほど俺は鬼じゃない。それに諸々の事情があるし、ももこも察しているものかと思っていたのに。


「…とは?」


つい先日まで現役の風俗嬢だったとは思えないほどきょとんとした顔で、ももこは首をかしげた。何で分からんねん。お前、男を相手に仕事しとったんとちゃうんか。


「……なんなん?お前」
「へっ」
「あほか、お前のこと好きやから俺の顔こんななってんねん!言わせんなクソ」


好きでもない女のために、知らない男に殴られるなんてまっぴら御免だ。最初は自覚していなかったけど、あのとき感じた怒りのお陰で自分の気持ちを悟ったのである。お陰様でその後すぐにボコボコに殴られたけど。まだ残っている傷痕を指さすと、ももこは信じられない様子だった。


「…うそやん」
「俺やってまさかなあと思うわ」


俺は床に座り込んで、一番近くに置いてあったダンボールの蓋をべりっと剥いだ。ももこも続けて隣に腰を下ろし、中身を一緒に取り出していく。そんな穏やかな作業をするうちに、話したい事がぺらぺらと口から出た。


「…自分で言うのも何やけど。俺は高校3年まで全部が上手く行っててん。そりゃあ試合に負けたり上手くいかんかったりして挫折する事もあったけどな、それでもちゃあんと頑張ってたら結果は出てた」


そのまま、少しの挫折を味わいながらでも俺はバレーボールを続けて行くのだと思っていた。


「でも怪我なんてどうしようも無いやん、防ぎようが無い怪我やってあるやんか」
「……」
「自分が世界で一番不幸なんやわって思ってたけど…なんていうの?別に同情とかちゃうけど、なんて言うか」


ももこのほうが俺より可哀想とか、そういう事を思ったわけじゃない。自分より下がいるからって事でも無いけど。


「俺はまだまだ幸せなんかなあって思えたわ。お前にとっては失礼な話かも知らんけどな」


そんな中で生きてるやつを目の当たりにするとちょっとだけ心が動かされてしまったのである。


「…ありがとう」
「何がアリガトウやねん」
「なんか…色々」
「片づけ終わらしてからにしてくれる?」


お礼を言われる意味も分からないし、なんかくすぐったいし居心地が悪くてこんな事を言ってしまった。ももこはうんと頷いて、割れた食器ときれいな食器の分別を続けて行く。割れていたのは数枚だけで、あとは全て大丈夫のようだ。


「侑くん」
「何」


ひとつめの空のダンボールを潰していると、ももこが言った。


「私もなあ、侑くんのこと、好きかもしらんわ」


片付けていた手が止まる。俺のこと好きって、そりゃあ嫌われてるとは思わなかったけど。俺が好きって言ったから?でも、ももこの言い方はもうずっと前から思っていた事を改めて実感したような、そんな言い方だったので混乱した。嬉しさと驚きで。


「…そういう話はコレ全部片してからやで」
「え」
「覚悟しーや、俺キレイ好きやから」


そう告げると慌てて次のダンボールを開き始めたももこは分からないだろう、「好き」だと言われて俺がどんな気持ちになったのかなんてのは。