05


ぎしぎしベッドの軋む音、目の前では絵に描いたような男前が私を見下ろしながら腰を振っている。その向こうではこのホテルの自慢である、天井一面に張られた鏡にうつる私の裸がだらしなく股を開いているのが見えた。わたし、最高にセクシーだ。

そう感じた瞬間に流星が一番奥までずぷりと入り込んできて、思わず高い声が出た。


「なに?」
「なん、でも…ない…」
「そ?気持ちよがってんのかと思ったのに」


そう言うと私の腕をつかんで起き上がり、今度は流星が仰向けとなった。白い布団の波の中、整いすぎた彼の顔がわたしを見上げながら突き上げてくる。肌と肌のぶつかり合う音が響き、結合部分からはどちらのものか分からない液体が弾けた。


「…あ、りゅ…流星、もう…」
「あー…きもちい」


もうイキそうだ。
そう思った時、枕元に置かれた携帯電話が鳴り始めた。流星のものだ。


「……ん。ももかちょっと黙ってて」
「えっ…出るの?」
「しー、な」


流星は人差し指を口元にやり、いたずらっぽく笑った。体を伸ばして携帯電話を取り、発信者の名前を確認すると画面をスライドさせた。


「…うん。おお。今起きた。うん」


相手はお客さんのようだ。たった今まで元気だった流星が突然寝起きの声を演じ始めたから。

私と一緒にいる時にお客さんの電話に出ること自体は構わない。
ホストという仕事はプライベートがほとんど無く、すべてのお客さんに「彼はわたしを特別視している」という感覚を与えなければならない。だから、いつどんな時にかかってきた電話にも余程のことがない限りは出ているのだ。女のほうが面倒くさいぶん、キャバ嬢よりもホストのほうが大変だと思う。けど。けど、セックスしている時まで出なきゃならないのか。

私の顔に不満の色が見えたことに気づくと、流星は「ごめんね」と口パクしてから電話口に向かって言った。


「今日?俺も会いたいなー、どっかデート行く?」


でもその言葉が聞こえた瞬間、私は理性を失った。今ここで、目の前に私がいて、身体は繋がったままで、それなのに電話に出た挙句、相手の女の子にそんな台詞を吐かれるなんて思いもしなくて。
私は起き上がるとともにずるりと下半身を引き抜いて、にこにこ笑うイケメンの横っ面を張り飛ばした。


「………いッてぇ!」


ごとん、と彼の携帯電話が床に落ちた。まだ通話中になっているかもしれないけどそんなの気にする余裕はなく、頭に来た私は流星に向かって怒鳴ってしまった。


「何なの?いま私とエッチしてんじゃん!他の女と喋んないでよ!」
「…は?何…ちょっ、やべ」


流星はいきなり啖呵を切った私にぽかんとしていたが、やがて私の声が電話の相手に聞こえていると気付いたようだ。慌てて拾った携帯電話の画面は通話中だったけど、「もしもしアイちゃん?今のは…」と彼が話し出すとぶつりと電話が切れた。ざまあみろ。


「……最悪だよ」


とても低く、震える声で流星が言った。


「コイツ太客なんだぞ?切れたらどうするんだよ責任取れんのかお前」
「責任って何?何で私が責任取らなきゃいけないの彼女なのに!」
「彼女なら俺の仕事くらい理解しろよ!」


怒声がびりびりと部屋に響く。
彼が怒るのも無理はない。電話の主のアイちゃんは風俗で働く稼ぎのいい女の子で、流星にとてもお熱だ。働いたお金はほとんど流星に流れていると言っても過言ではない。月に100万円近くは遣っていると聞いたことがある。

その代わり流星はプライベートでもアイちゃんの相手をする。デートをしたり、たぶん、キスぐらいはしているのだろう。心を繋ぎ止めるためには唇の触れ合い程度安いもんだ。

こういう仕事だから理解はできるのだ。でも頭では分かっていても、私の心は追いつかない。


「…二人でいる時の電話なら我慢するけどさ…、エッチしてる時に、他の子に向かって会いたいって言ってるのも我慢しなきゃいけないの?」


そんな拷問に、この世界のいったい誰が耐えられるというのだ。
縄で首を絞められるよりも、きりきりと心を引っ掻かれるほうが余程辛いに決まってる。流星だってそうであるはず。だから彼も「悪かったよ」と優しく私を抱きしめてくれると、思っていたんだけど。


「そうだよ。それが普通だろ?それが支えるってことだろ、ホストの彼女なら」


とても冷たい目でそう言われると、もう文句も謝罪も浮かばない。


「………」
「今日もう行くわ。冷めた」


流星は立ち上がると、無造作に散らばった衣服を拾い上げ着替え始めた。冷蔵庫を開けて水を取り出すと乱暴に閉め、そのまま部屋の入口へ。とたんに私の血の気が引いた。


「ちょ、待って…」


こんな状態でどこかに行ってしまうなんて嫌だ。私も急いで服を着て鞄を取り、ぐしゃぐしゃの髪を振り乱しながら彼を追いかけた。


「待ってってば流星」
「静かにしろよ、客が居たらどうすんだよ」
「待って、やだ」


ホテル1階の入口を出たところでやっと流星の腕をつかめたけれど、それはすぐに振り払われた。私に対してこんな力の使い方をされたのは初めてだ。


「…さ…冷めたの?私に」
「冷めるわ。そんな風に言われると」
「……ごめん、もう言わないから…」
「今日は無理」


無理って何が?セックスが?私の顔を見るのも声を聞くのも無理ってこと?金輪際じゃないよね?
ぐるぐると色んなことが頭に浮かび、とにかく名前を呼んで立ち止まらせるしか案が無い。今度は両手で彼の腕をぎゅっと掴んで、もう一度謝ろうと声をかけた。


「りゅ…」
「うるせえよ!苛々してんだよ付いてくんな!」


ところが時すでに遅しで、流星の顔にはいつもの爽やかな表情が消えていた。
あたりを歩く街の人が思わず振り返るほどの大声で言われてしまい、仕方なく流星の腕から手を離すと、そのまま振り向きもせずに彼は歩いていった。途中で、道端に落ちたペットボトルを思い切り蹴り飛ばしながら。


「…………」


私が怒らせたんだ、私は文句を言ってはいけないのに。顔も身体も特別な価値のない私が彼に相手をしてもらうには口答えしてはならないのに。どうしよう?電話で謝ろうか?今日は火に油を注ぐだけだ。どうしたら彼に気に入ってもらえるんだろう。どうしたら、もっともっとお金を稼いで流星に注目してもらえるんだろう。
私がアイちゃんの代わりになれば、アイちゃんのいなくなった穴を埋められるなら、優しくなってもらえるの?


「あのー…」
「!」


突然誰かの声がした。流星じゃない男の声だ。けれど聞き覚えがあって警戒心が無く、すっと私の頭に入り込んでくる声の主とは。


「……木兎」


振り返ると、恐らく私に声をかけるべきか迷っていたであろう木兎が立っていた。
いつも私が活動している夜や、さっきまで居た薄暗いホテルの部屋のイメージが一瞬にして明るい昼間の世界に戻されていく。木兎の瞳の色のせいか、優しい声色のせいか。


「…ダイジョブ?」


声をかけても良かったのかがまだ分からないみたいで、ちらちらと顔色を伺いながら言った。


「……何で居んの…また買い物…?」


その木兎の気遣いとか、今起きた出来事が木兎には微塵も関係ないなんて事は考える余裕が無かったので、このような言い方となってしまった。頭だけは手ぐしで整えながらも私の顔はぐしゃぐしゃだ。泣き腫らしているせいで。それに、ついさっきまでセックスをしていたせいで。


「今日は買い物に来たわけじゃねえけど…」


木兎が何かを言ったような気がしたけど、それは自分のしゃくり上げる声で掻き消された。

私はたったひとりの男を繋ぎ止めることも出来ないんだ、この身体をもってしても。働いたお金を注ぎ込んだとしても。でも、私が自分の何かを犠牲にすればいつも流星は笑っていたし、ちょっと喧嘩をしたって許してくれた。

さっきの電話の相手、アイちゃんに、私という女の存在が知られたら流星から離れていくだろう。余程依存していない限り。取り返しのつかないことだ。


「あの、…ももか……」


私が絶望に打ちひしがれていると、木兎が遠慮がちに言った。そう言えばここは道の真ん中なので、大泣きの私と一緒にいる木兎まで注目されているようだ。


「……ごめん。もう行って」
「え?いや、それは無理」
「なんで」


まさか拒否されるとは思わなくて顔を見上げると、木兎はふざけている訳ではなく真顔だった。


「そりゃあ女の子が泣いてたら…放っとけないのは普通じゃねえの」


少ししか喋ったことはないけど、あまり真剣な話は好きじゃない男なのだと思っていたのに。「教科書どおりの当然の事」とでも言うかのように迷いなく言った。


「…普通なの?」
「俺の中では」
「……そっか」


私には、どうしてそんな事をそんなに真面目に言い切れるのか分からなかった。
女の子が泣いてたら、男はどこにも行かずにそばに居てくれるものなの?過去の恋人も、ついさっきまでセックスをしていたはずの流星もどこかに行ってしまったのに。それは私に何かが足りないからで、男側の気持ちを繋ぎ止めておけない女が悪いのかと思っていた。いや、私はまだそう思っている。それでも木兎の言葉は私の心に響いてしまった。


「木兎の普通が、皆の普通だったらいいのに」


こんなふうに叶うわけのない願いを持ってしまうのは、良くない事だと分かっているんだけど。

満のち空っぽ