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鏡にうつる自分はどこからどう見ても美しく華やかに仕上がっていく。プロに髪を触ってもらいながら、自分ではアイラッシュを付けていく作業も慣れっこだ。最後にまぶたや鼻筋にハイライトを入れようとしたところで、セットサロンのお姉さんが言った。


「それ新しいやつ?かわいい」


私の持っているそれは確かに昨夜手に入れた新作のハイライトだった。
美に携わる人はさすがに目ざとい。しかし、毎日通う私が毎日このようにして彼女を指名し、毎日髪をセットしてもらいながら顔を作り上げていくんだから、使う道具が変わったことに気付くのは当然なのかもしれない。


「そう。昨日買ったの」
「買わせた、の間違いじゃなくて?」
「失礼だなあ、快く買ってくれたんだよ」


やっぱり自分で買ったんじゃないのねと、お姉さんはあでやかに笑ってハードスプレーをふり始めた。

欲しいものは、あまりに高額でない限り手に入るのだ。食べたいものは何でも食べることが出来、人恋しい時に相手をしてくれる人は何人か居る。面倒な相手は無視しておけばいいんだし。携帯電話に溜まっている未読メッセージがいくつあるのかなんて、数えたくもない。
めんどくさいことや嫌なこと全部捨てて、同じく新しいリップクリームを唇へ塗りたくった。

スマートフォンなんて便利なものがある中で、私のスケジュール管理は未だにアナログだ。
手書きで書き込んだ今日のスケジュールは『スズキさんと同伴』。スズキさんがどんな人であったか一瞬考えを巡らせた…思い出した。あそこに立っているあの人だ。


「スズキさーん」
「あ。ももかちゃん久しぶり」
「そうですね。1ヶ月くらい?」


スズキさんはサラリーマンで勤続年数は15年、妻子ありのため泊まりの遊びは不可、奥さんに内緒で吸っている煙草の銘柄は赤のマルボロ。まあ、きっと奥さんは喫煙に気付いているだろう。赤マルの煙は臭いんだもん。


「出張どうでしたか?」
「まあまあ。あ、これ欲しがってたやつ」
「わ!やったぁ」


彼の鞄から取り出されたそれは、北海道のお菓子だった。スズキさんが北海道に出張に行くと聞いて、私がお土産に頼んだもの。喜ぶ私の顔を見て彼は満足そうに笑った。


「そんなので喜んでもらえるなんてねー」
「え、なんでですか?」
「普通みんな、あそこのカバンが欲しいとか財布が欲しいとか言うでしょ」


スズキさんがとっても嬉しそうに言うもんだから私もにっこり笑って対応した。お菓子でも嬉しいよ、初めからあなたに高いものは頼まないって決めてるの。

スズキさんと並んで歩きながら、少し恰幅のいいお腹を触って「北海道で海の幸食べすぎたんじゃないですか?」なんて他愛ない話をする。もうすぐ彼の予約した飲食店に到着するかという時に、スズキさんが思い出したように言った。


「あっ、ごめん。煙草切らした」
「奥さんにバラしますよぉ」
「勘弁して…そこで買ってきていい?」


スズキさんは近くのコンビニを指さした。うんと頷ずこうかと思ったけれど、コンビニへ歩きだそうとする彼の腕をつかみ私はそれを止めた。


「待ってて。私が買ってくる」
「ええ?いいの」
「お土産のお礼だよん。あ、ちょっとだけ立ち読みもしてきていい?」
「いいよ。あそこで待ってるから」


と、近くにあるベンチを指さされたのでウインクで返すとスズキさんは照れたように笑った。

2箱くらい買ってあげよう。これでまた彼は「ただ女に貢いでいる」という感覚から離れてゆくんだから。煙草くらい安いもんだ。

自動ドアをくぐろうとした時、中から出てくる誰かと肩がぶつかった。「すみません」と互いに返して私は中へ、その人は外へ。
レジに並ぶ前に雑誌の立ち読みを済ませようかと思って雑誌のコーナーへ行くと、目の前にとても大きな男の人が立っているので目当てのものが見つからない。

仕方が無いので少しだけ店内を回ってもう一度雑誌のコーナーに戻ってきた。…まだ居る。周りにはほかの立ち読み客も居て、私の入り込む隙間は無さそうだ。


「おっせぇーよ!まだか」


そこへ、大きな声とともに誰かが近づいてきた。その声にもちろんビックリしたが、前に立つこの人も驚いたらしい。雑誌から顔を上げて通路を振り返った。


「うるせーな!もうちょい待って」
「いや買えよ」
「今月きついんだよ…」
「さっさとしろ、夜久がキレるぞ」


と言いながら、背の高い男は…と言っても両方大きいのだが、コンビニの外からこちらを睨んでいる茶髪の男をちらりと見た。あの人だけあまり背が高くない。さっきコンビニの入口でぶつかってしまった人だ。
茶髪の彼も私に気づいて、先程のことを思い出したのかぺこりと頭を下げられた。


「どこ見てんのアイツ…あ」


そして、黒髪の男は私の存在に気づいたらしい。そして、立ち読みをしている彼の連れのせいで私が雑誌を読めずに困っていることも。


「木兎。邪魔」
「ぁんだとォ!?」
「俺じゃねえよ、お姉さんが困ってんの」
「え」


やっと立ち読みをやめた彼は、髪の毛をブリーチしているのだろうか?とても綺麗なアッシュグレーに染まっていて、しかしその髪色のわりに彼自身は繊細そうではない。その人も私が後ろに立っていることに今気づいたらしく、慌てて頭を下げられた。


「うわっ、すんません!」
「木兎うるせー」
「早く言えよこういう事は!」
「こんな美人に気付かないのが悪いわ。ね、お姉さん」


私にばちりと目を合わせて言ってきたこの人はなかなかの曲者だ。私が「美人」だと言われても特別浮かれるような人間でない事を分かっているらしい。立ち読みをしていたほうの男は雑誌を閉じ、その場で読むのを諦めて購入する事にした様子。


「ちぇー、仕方ねえな。買って帰るか」
「あっ」


しかし、彼の持つそれは私が読もうと思っていた雑誌だった。棚を見渡してみるが、この店にはもう在庫が無さそう。


「…もしかしてコレ読みたいの?」


私の様子に気づいたアッシュグレーの男が言った。


「うん…でも別のとこで読むからいい。どうぞ」
「そお?ありがとう!」
「う、うん」


普通は女の子に譲ると思うんだけど。ためらいも無くお礼を言われたので私も拍子抜けした。


「お前レディファーストって知らねえの?」
「あァ!?」
「や、ほんと大丈夫だから」


この辺りには他にたくさんのコンビニがあるし、家の近くにも恐らくあるだろう。誰かを遮ってまで絶対に今読みたいわけじゃない。


「…じゃあお言葉に甘えて」
「うん、どうぞ」


そう言うと、彼は白い歯を見せて「ありがと!」と笑った。背が高いので歳上にも見えるけど、とてもあどけない表情だ。ってことは同い歳くらいだろうか?

会計を済ませた彼らがコンビニを出てから私もレジに向かい、赤のマルボロを2箱買ってスズキさんのところへ戻った。


「お待たせ」
「おかえり…あっ、ほんとに買ってきてくれたの。ありがとう」
「いいよ、今からご馳走してもらうんだし!」


食通のスズキさんとの同伴はいつも楽しい。美味しいご飯屋さんに連れてってもらって、好きなだけ好きなものを食べさせてもらえる。たらふく食べた後にはそのまま私のお店に直行だ。終電までには帰してあげるから許して欲しい。
ちゃんと私、家で待ってる奥さんには申し訳ないなって思ってるもん。

その感情は現在使われておりません