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12月に入り東京はすっかり寒くなった。俺の母校は今年も無事に春高バレーの出場権を獲得したらしいので、赤葦をはじめ後輩たちに激励を送ってきたところだ。俺が居なくても全国大会出場を成し得る事に寂しくもあり嬉しくもあり。


『解散した』


ももこにメッセージを送ると、すぐには既読にならなかった。留年を決めたからって暇を持て余すわけには行かず、彼女は新しいアルバイトを始めたのだ。しかもペットショップの店員という、びっくりするほど平和な職業。

ももこのバイトが終わるまで30分を切っているので、待ち伏せしてみようと思い俺もペットショップへと向かった。ついでに動物と戯れてようかなぁなんて。


「いらっしゃ・・・あ、木兎」
「よ。来た」
「ええっ、恥ずかしいから来ないでって言ったのに・・・もうちょっと待っててね」
「うっす」


相変わらず俺の名前は「木兎」と呼ぶのが呼びやすいのか、それとも照れくさいのか知らないけど下の名前は時々しか呼ばれない。別に良いんだけどお前だっていつか「木兎」になるかもしれないのに、って先走り過ぎかな。

まだこの店でのバイトを始めたばかりなので、先輩たちからあれこれ教えられるのを必死にメモにとる姿がとても健全だ。メイクだって薄いし、髪の毛は派手に巻かれたりしておらずポニーテールがゆらゆら揺れて、スニーカーで走り回っている。
時々手が空いた時にはガラス越しに鳥に話しかけたりして、あいつは本当にももこなのかと俺でさえ驚く事も多い。もちろん良い意味での驚き。


「お待たせ!」
「おう」


奥の控え室から出てきた私服のももこはポニーテールのままだったが、バイト中は黒いヘアゴムだったのに流行りの髪留めが付けられていた。やわらかそうなマフラーに巻き込んだポニーテールを外に出しながら歩いてくる。外はもう暗くて、マフラー無しでは寒いのだ。


「よく働くなあ」
「何かしてないとダラけちゃう気がして・・・」
「勉強もしてるんだろ?」
「まあね」


4月までの残り3ヶ月ちょっと、新しい年度を迎えるまでは自主学習とアルバイトに励むのだそうだ。お陰で今は夜の8時、外は真っ暗で肌寒い。ただ、「さむっ」と鼻をすすりながら俺の右腕にくっついて来るのだけはこの気温に礼を言う。


「あ、ねえねえ。あそこ見ていい?」


ももこが指さしたのは目立つ看板のリサイクルショップだった。
リサイクルショップって言ったら安物の気がするけど、なんて言ったらいいんだろ?ブランド物を売り買いするようなところ。まさか欲しいものがあるとか?ハイブランドを中古で?あ、俺が買えるような値段じゃないから?と色々勘ぐりながら付いていくと、どうやら違ったらしい。


「これの色違いって、どのくらいで買い取ってもらえるんですか?」


カウンターの店員に買取価格を訊ねるももこは、店員の話を熱心に聞いていた。何かを売ろうとしているようだ。
その間俺はあまり馬鹿にされないよう堂々としていたかったが、店内に並ぶ品物の値札を見てぎょっとしていた。中古だよな?中古だろ?アパートの家賃何ヶ月分だよ。


「お待たせ木兎、帰ろ」
「ん。つうかコータローって呼べよな」
「あっ。光太郎、帰ろ」
「うい」


結局何も売ったり買ったりしないままその店を出て、駅に向かって歩き始める。今夜はももこの家に泊まる予定だから同じ方角だ。

再びももこが俺の右腕に腕を通して、「体温高いね」なんて笑いかけてくるのが未だ慣れない。ももこが顔を上げて俺を見るたびにポニーテールが揺れ、まつ毛が揺れ、頬がふっくら膨らんで唇が柔らかそうに潤ってる。
俺はひたすら真ん前を向くことで平常心を保てているけど、もしも身長が同じくらいだったら俺の緊張がバレているだろう。

電車に乗って数駅でももこの家の最寄りに着き、帰り道のスーパーで食材を買って家までの道のりを歩く。なんか同棲してるカップルみたい。赤葦に自慢しよ。

ももこはあまり料理が得意じゃないと言っていたけど、ネットや本で節約料理みたいなものを学んでいるらしく、今夜も携帯電話と睨めっこしながら夕食を作っていた。
何か手伝おうかと思ったけど独り暮らし用のマンションだからキッチンが狭く、俺が居ると邪魔らしい。仕方が無いので部屋に座り、赤葦に『彼女んち』と写真を送って自慢しておいた。(ちなみに、待てども待てども返信は無かった)


「美味しかった〜」
「うん。ごちそうさま」
「凄いよね、節約ご飯なのにお店の味みたいになるの」


ももこは食べ終えた食器を運びながら感心した様子だ。俺も自分のぶんを運びながら、ふと疑問に思った。そこまで節約が必要なほど金銭的に困ってるのか?ああいう仕事をしていたのに。


「そんなに節約してえのか?」
「え?・・・したいって言うか、今までが派手に使い過ぎてたし」
「ふーん・・・」


吹っ切れた頃に聞いた話だとホストクラブで1晩数万円遣うなんて普通だったらしいから、その時に比べれば随分質素なんだろうなあ。


「だから何か売ろうとしてんの?」
「え、ああ・・・」


アルバイトの帰りに寄った場所のことを話すと、ももこは立ち上がった。
そしてクローゼットを開けると丁寧にかけられた洋服たちが目に入る。下のほうにいくつかのボックスが置いてあり、ももこがそのうちひとつを取り出した。


「これとかこれ、お客さんが買ってくれたやつなの。大学生が自腹じゃ買えないようなやつ」


彼女が指さすものたちは、高そうな鞄とか財布とか。俺にも分かる高級ブランドのロゴが入っているものもある。俺の親だってこんなの持ってないぞ、多分。


「・・・すげえ・・・」
「でも全部売ろうかなって」
「えっ?」


これを全部?お客さんからのプレゼントなら確かに好みじゃないデザインもあるかも知れないけど、こういうのって長持ちするだろうし、大人になればなるほど趣向が変わるかも知れないのに。


「いいのか?そんなに良い物なら使ってりゃいいじゃん。俺べつに気にしねえし」
「いいの」


ももこはボックスをクローゼットに戻し、ぱたりと閉めた。
他の男から貰ったものを使われるのは勿論嬉しくはないけど、嫌な気もしない。元カレとかじゃなくてお客さんからの贈り物なら、なんていうか割り切れる気がする。しかしももこは、それらを使うつもりは無いようだ。


「お金はほとんど遣っちゃって貯金少ないしさ。それに・・・いい加減、光太郎に何かお礼しないといけないから」
「お礼?俺に?」


お礼って一体なんのお礼だ。今日バイト先に迎えに行ったこと?・・・違うか。
けれどももこの表情を見れば答えが出た。ももこの仕事を辞めさせて、流星との縁を切らせた事に対してのお礼だ。


「何か欲しいものある?」


そのように彼女は聞くけれど、お礼をされたくてした事じゃない。むしろ俺のほうが礼を言うべきなのだ。何度もしつこく会いに行ったし、無理やり朝まで待ち伏せしたりした破天荒な俺を好きになってくれたんだから。


「・・・ない。」
「え、遠慮してない?」
「してないっつの、俺に遣うんじゃなくて自分の事に遣えよ。礼なんかいい」


物が欲しくて付き合ったわけじゃない、一緒に居られるだけで構わないから。照れくさいから言わないけど。
俺が遠慮で言っているわけじゃないのを理解したももこは、ゆっくりと隣に腰を下ろした。


「・・・じゃあ、貯めとこう」
「遣わねえの?」
「うん」


ももこは一度腰を浮かせてクッションを俺にぴったりくっつけると、もう一度そのクッションに座る。その時自然に俺の脇へと腕を通して手を繋ぎ、指を5本とも絡ませた。


「いつか、一緒に遣う時のために取っとく」


どくり。この心臓の高鳴りは手を繋がれたせいではない。が、思わずその手を強く握り返してしまうほどの事だった。


「・・・いつかな。いつか」
「いつだろう」
「いつだろうな」


そうやってはぐらかさないと、心拍数の上昇を誤魔化しきれない。でもももこには既に知られているらしかった。嬉しさで緊張してしまった俺の手の力をなだめるように、もう片方の手で優しく包んできたからだ。


「ありがとうね」


左肩が少しだけ重くなる。ももこの頭が置かれたらしい。髪の毛からペットショップ独特のにおいがするけど嫌悪感は無く、それよりも彼女の柔らかい髪が首にちろちろと当たってくすぐったい。人間は誰かの髪が触れるだけでこんなにも幸せな気分に浸れるのか。


「・・・ももこ」
「ん?」
「あのさ、えーと、留年とかって色々大変だと思うけど・・・周りの目とか」
「うん?」


この先、これ以上の感情を持てる相手は現れないだろうと思った。俺が考え無しに行動しても呆れながら笑ってくれる相手は。
そして、ももこに何かが起きた時、俺以上にももこを護れるやつなんかこの世界には存在しない。


「俺はちゃんとももこが好きだから」


だからずっと一緒に居よう。・・・って言いたかったのにそこまで言えなかった。何故か喉がつっかえて、目頭が熱くなってきて。
やばい。もしかして俺、泣いちゃいそう。


「・・・・・・なんで自分が泣きそうなの〜」
「・・・っさい!風呂!」
「はーい、いってらっしゃい」


けらけらと笑ってバスタオルを取り出すももこの余裕っぷりと来たら、俺は一生敵わないんだろうな。「はい」と渡されたバスタオルで真っ先に目元を擦ったのは内緒だ。
・・・内緒にしたいのに、きっとバレているだろうなあ。

こうしてまた一つ、世界に借りを返す