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単純な男だよなと黒尾に笑われ、まあ良かったじゃんと夜久に背中を押され、東京駅からは家に帰るのと逆方向の電車に乗った。バックパックのみでなく大きな鞄を手から下げている俺は車内の皆の邪魔になっていただろうけど、今日は勘弁して欲しい。

駅に着いたてからは、すっかり頭の中に入ったももこの家までの道を大股で早歩きする。
自然と鼻息が荒くなってしまうのは変な事を考えているからじゃない。ただ、興奮はしている。1週間ぶりに会えると言うのもあるけど、ももこのほうから俺に「会いたい」だなんて喉から手が出るほど欲しかった言葉を言われたら。

到着早々1階ロビーのオートロック横にあるインターホンでももこの部屋番号を呼び出すと、ももこがすぐに応答した。


『はい』
「俺!」
『えっ!?・・・木兎?駅ついたら教えてってメールしたじゃん』


あれ、そうだったのかと携帯電話を見ると確かにももこからのメッセージが来ていた。普段マナーモードにしてるし、ここまで来る事に集中し過ぎて気づかなかったらしい。


「わり、気づかなかった」
『大丈夫だけど・・・、入って』
「ん」


ロックが解除されたと同時に俺はロビーの中へ押し入った。
なんか押し売りとか強盗みたいだけどそのくらい急いでるって事。1週間のあいだ電話口から聞こえるももこの声だけでは満足出来なかったし、無理やり触ったりするのは我慢していたつもりだが直接会いたいという欲望は抑えられないのだ。

部屋の前まで来て一応もう一度インターホンを押す、ドアが開くまで俺の心臓は一生分の働きをしているのかと錯覚するほど動いていた。
がちゃりとドアノブが回る。いよいよだ。ゆっくりと開くドアに我慢できずに俺は自らドアを引いた。


「ひゃっ?」
「うわっ、ごめん」


俺がドアを引っ張ったせいでももこがバランスを崩してこちら側に倒れてきた。ちょっと考えたらこうなる事は分かるのに、それが予測できないほど頭がいっぱいのようだ俺は。


「お、おかえり」
「ただいま」


驚いた顔で俺を見上げるももこがいつにも増して魅力的に見えてしまった。いったいどんな顔をして「会いたい」って言ったんだろう。


「入る?」
「うん」


俺を部屋に招き入れて廊下を歩くももこの背中を今すぐ自分の胸の中に押し付けたいけど、我慢。できるのか?


「合宿どうだった?」
「・・・合宿の様子は電話で話したとおりだけど・・・そっちはどうだった」
「私?」


俺に会いたかった?と聞きたいし目の前で「会いたかった」と言われたい。
昨夜あんな電話をしていたのに、ももこはいつも通りの様子だ。俺だけがどきどきして楽しみにしていたのかなと思えてしまう。でも昨日確かに会いたいって言ったはずだ。もしかして幻聴?だとしたらやばい。


「私は、電話でも言ったけど・・・学校行ってきた」
「講義受けたわけじゃないって言ってたよな?何しに?」
「えっと」


電話の時はあんまり聞かないでおこうと思っていたのに、聞きたいことや話したいことがどんどん口をついて出てくる。まずかったかなと思ったけどももこは話し始めた。


「・・・・・・留年、します。って話してきた」
「留年?」
「うん・・・」


ももこはこの世の終わりみたいな顔をして俯いた。


「・・・それで?」
「それで、・・・だめ言えない」
「何で」
「留年だよ?引くじゃん普通」
「引かねえし、て言うか別に今だって引いてない」


約半年弱まともに学校に行かなかったことを考えれば、退学・休学・留年なんて当然俺の頭にはあった事だ。ももこが大学生だと言うのを時々忘れかけていたけど、夜の仕事を辞めることが出来れば次は学校の事を何とかしなきゃなあ、と。図々しいってのは分かっているが。
でもまさか自分から逃げてきた学校のことを話してくれるとは思わなくて、引くと言うより感動してる。


「木兎はちゃんと学校行ってるし、留年とか考えられないでしょ」
「いや・・・病気で仕方なくって話も聞くし、別に何も思わないけどな?」
「私は病気じゃなかったもん」
「けど立派な理由だろ」


俺はそう思うのだが本人は違うらしい。ももこが頑固な女の子だと言うのは短い期間で充分に分かった。俺がフォローしようとしても素直に受け入れないのだ。


「・・・違うよ、私のは。甘えだよ」
「克服したじゃん」
「私が自分で頑張ったわけじゃ・・・」
「俺と!だろ」


とうとう俺も痺れを切らしてももこの肩を掴んでしまった。反動でももこの髪と、瞳に浮かぶきらきらした光が揺れる。まずい、触らないように気を付けていたのにまた俺はこんな事を。気付かぬうちに力が入っていたのかももこは少し顔を歪めた。


「・・・・・・痛い」
「げっ!?ごめん」
「ううん」


嫌悪感を丸出しにして手を払いのけられるかと思いきや、ももこが自分の手を添えた。小さくてあたたかい。そして、俺の予想に反して力強い。


「・・・触ってて」
「え」


俺の頭はあまりたくさんの事を考えられないし先を読むことも出来ない。だから、このまま触っておくことを許されるとは思わなかった。はらりと柔らかい髪が揺れて俺の手に触れる、くすぐったい。


「木兎」
「・・・なに?」


ももこは俺の手を肩から離すとそのまま両手でぎゅうと握った。小さくて薄っぺらい手で、ごつごつした俺の手を。

ももこは俺の名前を呼んだあとしばらくその手を見下ろしていたので、俺からは彼女の頭部しか見えなかった。それでも何かを言おうとするために息を吸っているのが分かる。何度か息を吸い、やっぱり諦め、を繰り返した後でやっと一際大きくももこの肩が上がった。


「・・・・・・会いたかった」


言葉が何度も頭の中で反復される。俺に向かって今ここで、会いたかったって言った。握られた手に添えられたももこの手に更に力が入る。俺も力を込めて握りたかったのだが、驚きのせいで気の抜けた声になってしまった。


「お・・・れ、も」
「木兎に言わなきゃいけない事がある」


そんな俺の力の無い声には反応を見せず、ももこが続けた。ぴりりと走る緊張感。聞く体制になるためごくんと唾を飲み込んだ時、ももこは初めて顔を上げた。


「・・・わたし、木兎が好き」


上手にメイクを施しているわけでも髪がセットされているわけでもない部屋の中のももこ。しかし、愛の言葉を発しながら俺をまっすぐ見上げる姿はこれまでで1番素晴らしい。ももこはずっと手を握っていたが、俺はゆっくりとそれを解いた。手なんかじゃ満足できなくなったからだ。


「・・・やっぱり今更だよね?さんざん振り回しといて最低だって分かってるんだけど、でも私」


言葉の続きは聞こえてこない。顔を思いっ切り俺の胸に押し付けられたんだから無理だろう、強引過ぎるって怒られるのは後にする。今そんなこと気にしてらんねえもん。


「やっと聞けた」
「ぼ、ぼくと」
「・・・やっと」


胸がいっぱいってこの事を言うんだろう。ももこが俺のこと好きだって言った、目の前で! ぎゅうぎゅうに締め付けているももこの身体がもぞもぞ動いたので身体を離すと、ももこは小さく咳をした。危うく窒息死させてしまうところだった。

ももこの息が落ち着いたのを見て俺はもう一度彼女の手を取った、今度は極力優しく、を心がけて。


「・・・俺、ずっと我慢してた事あんだけど」


でも興奮が頂点まで達した俺が力加減を繊細に使い分けるなんて、出来るはずも無かったのだ。
ももこは俺が何を我慢していたのか、言わなくても分かってくれたらしい。小さく頷くとそっと目を閉じて、俺が手を握る力を強めても何も言わなかった。そして長い時間をかけて顔を近づけ、やっと唇が重なった時、今度は向こうから手を握り返されたのだった。

ライト、フラッシュ、スパーク