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コートが無くては外出できないほど、本格的な寒さとなってきた12月。お母さんから届いた荷物の中に入っていた手袋が私の指先を護ってくれている。以前までの私なら、このように受け取ったものを素直に着用していたかどうか。

今日久しぶりにやってきたのは自分の通う大学だ。校門をくぐる事すら緊張してしまうけど、ここを一歩踏み出せば私は元通りの自分になれる…ための、第一歩になる。と思うので、大きく深呼吸をした。
そしてさあ進もうと思ったタイミングで、ポケットの中で携帯電話が震え始めた。


『午後練!』


メッセージの相手は木兎光太郎からのものだ。
大学でバレーボールをしている彼は1週間、宮城県に合宿に出向いている。
どうして宮城県なのかは全然分からないけど、何人かで写った写真が一緒に送られてきた。木兎もかなり背が高い方だが、やはりバレーボールをしている人の中では目立たない。

けれど写真の彼も実物と同じように、周りの人を引き込むような明るい笑顔をしていたので、私もちょっとだけ笑みがこぼれた。それが更に勇気に繋がったような気がして「がんばれ!」と返信し、今度こそ校門をくぐる為の足を踏み出した。





「俺はそのままのももこが好き」


あの日、あのとき私の部屋で聞こえた声の続きは、実は自分のしゃくりあげる声ではっきりとは聞こえていないのだった。
ただ木兎がぼろぼろ泣き始めた私を見て慌てた様子だったのはとても印象的だ。自分の意見をしっかり言ってくるくせに、私がそれを受け止めきれずに戸惑ってしまうと必死にフォローをしてくれる。


「な・・・泣くほどの事か?ごめん俺、言わないほうが良かった」
「・・・ううん。言ってくれて良かった」


だって、信じられないほど嬉しかったから。ただお節介で鬱陶しかった男の人がいつの間にか、その発言のひとつひとつで私をここまで突き動かすなんて思わなかった。


「・・・けど」
「けど・・・?」
「もうちょっと・・・」


もうちょっとだけ私の気持ちの整理がつくまで待っていてほしい。我儘で勝手なお願いだとは思っているけどこれまで散々勝手な事をしてしまったので、最後の最後のお願いとして。
その様に伝えると木兎は「もちろん」と笑い、握っていた私の手を離した。

手を握る事すらきっちり線引きしてしまう器用な人だったなんて驚きだ。大雑把で豪快に見えて本当はとても色んなことを考えている繊細な人。私とは逆だなと思うと自分が更に恥ずかしくなってしまうが、それを自嘲する余裕が出来ている事にびっくりした。





たくさんの考え事をしながら過ごしていると、あっという間に夜になっていた。

昨夜作り溜めておいたカレーを食べながら考えるのは木兎の事で、バレーの仲間とどんな風に過ごしているのかとか、いつか試合を観に行ってみたいなと思う。
私が応援すれば力が出るのかなあなんて彼女みたいなことを考える。私は一応、恋人なんだけれども。とても失礼なお願いで木兎を私の恋人にしてしまった。過去の男を忘れ去る為の代わりになれという、勝手極まりないお願い。

そして今、更に勝手な事を考えている私に木兎はどんな反応を見せるだろうか。出来ることならこのままずっと一緒に居たいなんて。

そろそろだろうか、と携帯電話に目をやるとタイミングを見計らったかのように電話が鳴った。
1週間の合宿で木兎は毎晩私に電話をかけてくる。今日が合宿最後の夜、明日の夜に東京に到着するらしいので会えるまでにはあと丸1日かかるようだ。


「もしもし」
『もしもーし!』


私が応答するとすぐに大きな声が聞こえてくるのも慣れてきた。木兎は電話口で静かに喋る、という事はしないらしい。
そんなところも笑えてくるほどには気が楽になったので、今日も声には出さずに口元だけがゆるんだ。


「疲れた?」
『どうだろ?ちょっとだけかな・・・飯食う前までは疲れてたけど』


1日じゅうバレーをする、という日が6日も続いているのに「ちょっとだけ疲れた」なんて恐ろしい体力だ。それがご飯を食べればすぐに回復してしまうのも、信じ難いなあと苦笑いしていると今度は木兎からの質問が来た。


『今日は何してた?』
「・・・きょうは・・・」


この1週間、こうして電話をする時には互いの1日を報告しあっている。
私は親に電話をしたり、大学の友だちと久しぶりに連絡を取ったりした事などを昨日までに報告していた。そして今日の報告はこれ。


「・・・大学行ってきた」
『えっ?超久しぶりじゃねえの』
「うん。今日は講義で行ったんじゃないけど・・・」
『そうなんだ?』


木兎は、具体的に何をしに行ったのかまでは聞こうとしない。たぶんそう言うのは私から話すまでは聞かないようにしているのかも。変なところで気を遣う人なのだ。こういうところも木兎の魅力なんだろう。

会えなくなって1週間、電話で声を聞くことは出来るものの、やはりいつもそばに居た人が居なくなるのは寂しいものだった。木兎が私のそばに居るようになったのはつい最近だというのに。あまりにも一緒にいる期間が濃すぎたものだから。


「・・・明日、いつ帰って来る?」
『エッ!!?』
「え、なに?え?」


何か変なこと言ったかな。
木兎はびっくりが収まらないらしく電話口で咳き込みながら言った。


『ももこのほうからそう言う事聞かれるの、初めてだったから・・・』
「そ・・・そうだっけ」
『そうだよ。受動系女子だろ』
「なにそれ」
『いま作った!』


わははとやっぱり大声で笑われるので、思わず携帯を耳から離す。ラッキーだったのは、おかげで私も思わず吹き出してしまったのを木兎に聞かれずに済んだことかな。

こういう事を、できるなら電話越しではなくそばに居る時に話したい。なんて言うのはやはり我が儘だろうか。あれほど自分勝手なことばかり言っていた私と、色んなことを我慢して一緒に居てくれた人に。


「・・・明日・・・夜、もし疲れてなかったら…」


会いたいな、と残りの5文字を言うことは出来ない。
木兎の気持ちをまだちゃんと受け止めてないし。電話じゃなくて直接言いたい事だし、だからそれまで我が儘は封印しておこうと口をつぐんだ。・・・ら、木兎が私の言葉を奪った。


『会いに行くよ』
「あ、え!?」
『行くけど。会いてえもん』
「・・・・・・・・・」


あ、今、初めて木兎に何かを言われてどきんと心地の良い音が鳴った。


『遅くなるかもだから、眠かったらべつにいいけど。そしたら明後日行く』
「・・・・・・・・・」
『あり?もしもし?』


しばらく自分の心臓が鳴り響いていたので、木兎が喋っているのを聞き取れていなかったかも知れない。だから、木兎が「明後日」という提案をしてくれたのは無視をしてしまった。


「・・・わたしも」
『ん?』


どうしようもない自分の欲だけが、胸の奥の奥の奥のほうから湧き出てきて止まらない。だってもう、木兎は私にとって誰かの代わりじゃないんだもん。


「私も会いたい。木兎に」


そう言うと、電話口からは携帯電話を床に落っことしたらしい音が聞こえた。

紙一重を越えさせて