15
翌日、木兎は本当に学校が終わるとすぐに私の家の最寄り駅までやってきた。
駅の周りにある適当なファミレスに入ると、「あっちいー」と言いながら上着を脱ぐ。もうすぐ12月になろうかというのに、木兎の身体はかなり代謝が良いらしい。
「なんか飲も。喉乾いた」
「うん…」
「ももこは?」
「わ、私は…なんでもいい」
「なんでも?ほんとに?すいませーん!」
通りがかりの店員に木兎が声をかけた。
私が木兎の質問に即答できないのはいくつかの理由がある。彼がメニューも開かずに私に質問してきたのもそのひとつだけど、一番の理由はそれじゃない。
「コーラ!」
「じ、じゃあ私もコーラ」
やって来た店員に注文を伝えると、そのまま沈黙してしまった。木兎がわざわざここまで来てくれた事への申し訳なさや、自分の気の小ささに呆れてしまうのだ。
それに、昨夜は緊張してなかなか眠れなかった。流星からのメッセージは無事にブロック出来ているけど、彼が何かの手段を使って私のところに来るんじゃないかと。なんたって流星のバースデーイベントまであと数日なのだ。
「………電話する?」
「え、う…うん」
でも今はとりあえず、働いていたお店に電話をしなくては。いくら何でも連絡なしで辞めるのは良くない、と思うし。電話に出るのはいつも店長やボーイだから美麗ちゃんとは話さなくても済む、と思うし。
「…まだ辞めたくないとか?」
しかし私の沈黙を、木兎は別の意味で受け取ったらしい。
「そんなことないよ。…ずっと続けられることじゃないし、あんな仕事…でも…」
そこまで答えるとまた言葉に詰まってしまった。何でかなあ、お客さんにはあんなに軽々しく話しかけたりプレゼントを貰ったりしていたのに。あの時の私はメイクと髪型で化けた自分に酔って気が大きくなっていたのか。それとともに倫理観が抜けてしまっていたのか。
そんな過去の私はどこへやら、今は携帯電話を握ったまま指を動かせない臆病者になっている。しかも関係の無い人を巻き添えにして。
「電話ひとつ出来ない自分が情けない」
ネガティブな気持ちがそのまま声に出てしまい、ぽろりとこぼした。ちょうど飲み物が運ばれてきたので木兎は何も言わなかったけど、彼がなんとなく眉をひそめたのは感じ取れた。
「……こうやってわざわざ木兎に来てもらうのも悪いし、」
「それは言わない約束だろ。やりたいからやってるだけ!俺の勝手だし」
木兎は飲め飲め!と言いながら自分もコーラを一気に半分くらいまで減らした。
お酒以外のものを「飲め」と言われるなんて久しぶりだなあと思いながら冷たいコーラを飲み込むと、少し頭がすっきりした気がする。もう一度携帯電話を手に取ってロックを解除し、着信履歴の一番上にあるお店の番号を出した。…昨日も一昨日もサボってしまったから、たくさん電話が来ているのだ。
まずはお詫びから、それから予め考えておいた「親にバレました」という理由を伝えて辞めれば良いんだ。それで終わり。
ふう、と深呼吸をするとすでにコーラを空にしていた木兎が腕組みしながら言った。
「ゆっくりで良いよ。電話が終わるまでついてるから」
「…なんで?」
「なんでって…」
私が「なんで」と聞き返すのは想定外だったのだろうか。
だって木兎が私にここまでしてくれる理由が浮かばない、というのは嘘で恐らく私に対して何かしらの感情を持ってくれているのだとは思う。そのくらいは私にだって分かる。それが嘘偽りの無いものだということを、今彼は示そうとしてくれているのだ。けれど、まだ言葉に出すつもりではないらしい。
「…なんでもいいだろ。とりあえず1個ずつ片してくぞ」
「………うん」
こんなふうに接してくれるこの人を私も特別な思いで受け止められる日が来るんだろうか?そうすればどれだけ幸せなのか想像がつかない。
しかし少しだけ明るい未来が見え始めたところへ、突然闇に突き落とされた。
「……あ、」
お店に電話するために握りしめていた携帯電話が震え始める。画面に出てきた名前を見て私は言葉を失った。
「なに?」
不審に思ったらしい木兎が前のめりになって画面をのぞき込む。彼もその名前を見て、音もなく息を呑むのを感じた。
「……流星…」
一番話したくない人からの着信だ。メッセージアプリはすでにブロックしているから油断していた、電話番号を知られているので通常の電話が来てしまったのだ。
「…出るなとは言わねえけど」
「………」
嫌な人、話したくない人、もう終わりにしたい人からの電話なのにすぐに拒否することが出来ない。
一度好きになった人を簡単にシャットアウトできるほど、私の頭は単純では無いらしい。あれほど「もう流星しか居ない」と思っていたんだもん。
今ですら思う、「美麗ちゃんと流星の仲がもしも夢だったとしたら」…
「…で…出て、最後に…お別れして、それで終わりに…しようかな、って」
最後に声を聞くくらいの事は許されるよね。私が直接話して、もう会えませんって言って、最後に謝罪の一言でも言ってもらえれば綺麗に終われるんじゃないか。もしかしたら「一番好きだよ」って言われたりして?そしたら私はどう答えるんだろう。
「……ももこがそうしたいなら…何が正解かなんて分かんねえし」
「………」
目の前に木兎が居るのをすっかり忘れさせるほど、流星からの電話は私を夢の世界へ飛ばす威力を持っていた。何ヶ月も彼のおかげで夢に溺れていたんだから無理もない。
約半年間の時間と、お金と、心と身体を捧げた流星か。出会って1ヶ月に満たない木兎か。今更心が揺れるなんて最低だって分かってるのに、分かってるんだけど、どうしたら良いの?
恐らく数秒の間にあれこれ考えてしまったけど、いきなり木兎の腕がにゅっと伸びてきたので我に返った。
「あ」
その手は私から携帯電話を取り上げて画面をじっくり眺めたあと、どこかのボタンを押した。…たぶん、着信拒否をしたのだ。
「……やっぱりヤダ。」
そして、木兎は携帯の画面を下に向けて机に置いた。
「木兎、ちょ…」
「もうアイツとは連絡取らないで欲しい。…俺が言う権利ないけど、」
机に置いた携帯電話が再び振動を始める。
「…もう流星とは終わりにしてくんね?」
「…………」
しばらくは振動音だけが響いた。1分間ほど鳴ったのだろうか。そのあとは諦めたらしく音が止んで静かになる。
木兎にも私にも正解は分からない。けど、電話をこのまま取らずに終わりにするのが一番良いのだと思った。木兎がそれを望むなら、たぶん。
「……じゃあ、木兎が…消して」
「うん。…連絡先?」
「連絡先も、だけど」
ぜんぶ木兎に消してもらおう。流星の連絡先も、流星との思い出も、嫌だったことも嬉しかったことも全てまっさらにしてもらおう。木兎がそれを望むなら、それが一番いい。
「木兎が…流星の代わりに…彼氏になって」
誰かを忘れるための代わりになれなんて、ふざけてる。けれど木兎は無言で頷いて、私の携帯電話から流星に関わるすべての情報を削除した。
◇
あれから何とか「辞めます」という電話をすることが出来た。
事前に木兎と打ち合わせしたとおり、親に内緒で夜の仕事をしていていたのがバレてしまったという理由を使うと店側はすんなりと理解した。田舎から出てきた女の子はこういう事が多いらしい。地元に強制送還を食らう子も居るのだとか。
幸い美麗ちゃんはお客さんと同伴するとかでまだお店には居なかったので、この電話を彼女に知られることは無かった。少なくともリアルタイムでは。
あとから私が辞めたことを知るのだろうけど、美麗ちゃんの連絡先も消してしまったからもう連絡は来ないと思う。
「…じゃー今日は帰るけど…」
「うん」
全てを終えてファミレスを出ると、もう夜の9時前になっていた。あのあと気が抜けた私たちは一気にお腹が空いてきて、晩ご飯を平らげたのである。
「ももこ」
別れ際に木兎が私の名前を呼んだ。
…そういえば今日から木兎は私「彼氏」という扱いだ。半ば無理やり彼氏にしたようなものだけど。何かしら心のよりどころと言うか、「1人ではない」という状況にしておかないと不安で不安で仕方なくて。ものすごく失礼で、この上なく最悪だと思う。自分でも分かってる。
「……前も言ったけど。俺は流星みたいにカッコよくないし、お金もないし運動しか出来ないようなやつだけど」
淡々と、しかし力のこもった声で木兎は話していく。
「俺は、ももこが嫌がるような事は絶対しねえから」
「………」
そんな自分のことしか考えてない私の何が良くて、こんなふうに言ってくれるんだろう。それが疑問で疑問で仕方ない。
「信じてないだろ」
「分かんない…」
正直、本当に分からなかった。自分の気持ちも分からず木兎のことも全部を信じることができず、中途半端な状態で私たちは恋人同士になった。それでもいいと言ってくれるから。
「何かあったら絶対連絡して」
「…うん」
「絶対だかんな」
「うん……」
「絶対!」
「わ、わかってるよ」
私が答えると木兎はひとまず満足したらしかった。駅まで一緒に行くよと伝えたけど「1人で帰れるし!」と言われてしまい、ファミレスの前で解散するという恋人らしからぬお別れの仕方。流星や、その前の彼氏とはこうして別れる時に手をつないだりキスをしたりしていたけど木兎は腕の一本も私に差し出さない。
その代わりに目で訴えてくるのだった。「俺がついてるよ」と。
「………おやすみ」
まだその視線には素直に応えることが出来なくて挨拶だけになってしまったけど、木兎は笑って「おやすみ」と返してくれた。
もどかしく愚かしく