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眠い。けど、とても気分のいい目覚めだった。インターネットカフェのフラットシートで数時間の睡眠だったにしては上々である。

充電していた携帯電話も満タンになり、でっかいリュックの中には昨日使ったノートや資料がそのまま入っているけどどうにかなるだろう。なんたって今日は一日じゅう黒尾や夜久と同じ講義を取っているから、二人の隣を陣取れば何とかなる。

「これで払ってね」とももかに…いやももこに渡された五千円札で支払いを済ませて外に出た。五千円も要らないっていうのに無理やり押し付けてくるんだもんなあ。そもそも俺に対して違う名前を教えていたなんて驚きだ。

彼女の本当の名前はももこ。ももこが本当のももか。…ややこしい。頭が働かないからまだ寝足りないのかも。


「うおっ!木兎きた」


教室が開くのを待っていた黒尾が俺の存在に気付いて手招きをした。夜久もすでに黒尾の隣に居る。きっと赤葦が何か言ったんだろうなと推測し「おはよ」と言いながら近寄ると、いきなり服を引っ張られた。伸びるっつーの。


「お前!赤葦が心配してたぞ」
「心配?」
「俺のせいで木兎さんが馬鹿な行動に出るかもしれません。ってメッセージきた」


夜久が提示した携帯電話には確かに赤葦からのメッセージが来ていた。これって心配してるって事になるのだろうか。
しかし黒尾も夜久も俺が赤葦に相談したのを知っているので、ももこに関するややこしい事に巻き込まれたのではないかと思っていたらしい。確かに巻き込まれはしたが俺が勝手に朝まで待っていただけと言うか。その結果無事に進展したというか。


「…実は昨日…」


一体どこから話せば良いのか分からないが、ひとまず赤葦と別れてからの行動を報告しよう。そう思った時、充電100パーセントの俺の携帯がピコンと光った。


「…あ。ももこだ」
「誰?」
「ももこ。えーと…ももか」
「へ?」


そうか、これも説明しなきゃならないんだよな。とりあえずメッセージを開くとももこからは『ちゃんと起きた?』と来ていた。


「誰!?あの子?」
「そう。今朝会ってきた」
「言えよ!それを!先に!」
「だってお前らが喋るんだもん」


喋ってんのは主に黒尾だけど。夜久は一限目が終わって教室が空いたのを確認して「入ろ」と声をかけてくれた。夜久が居なきゃ俺たち二人は落第決定だ。





二限目の最中に『起きた。もう講義受けてる』と返信し、『がんばれ』とだけ返ってきたので、いったんそれでメッセージのやり取りは終わっている。そのあと昼までの授業をひとまず真面目に受けてから、やっぱり食堂で問い詰められることになった。


「…じゃあももこちゃんをホストから奪ったって事?やるなあお前」


感心しながら言う黒尾は頬をめいっぱい膨らませてカレーを食べていた。
夜久は相変わらずこの件については黙って聞いているけど、夜久の中でも色々考えを巡らせているかに見える。そして小さく「よかったな」と言うのが聞こえた。やっくんの口からそんな事言われるなんてちょっと感動だけど、俺はまだここで終わりだとは思えないのであった。


「けどまだリューセイの事吹っ切れたのか分かんねえから…」
「そりゃ、あの浮気現場はトラウマだろ」


この二人も日曜日、俺の尾行という名の暴走に付き合ってくれたので一部始終を目の当たりにしている。

流星の浮気現場を三人で覗いていた時に、ももこが突然現れたもんだから俺は大慌てだった。結果的にももこは流星とミレイちゃんとかいう女の子の浮気を知ってしまったのだ。
あんなのすぐに立ち直れるはずがない。ももこの気持ちが完全に流星から離れているとも思えない。


「……まだ色々やらなきゃ」
「何を?もう解決したんじゃねーの。奪ったんだろ?」
「奪ってねえし」
「えっ?告白してねーの」


黒尾はきょとんとした顔で言った。悪かったですね告白してなくて。


「………まだ。」
「まだかよ!光太郎クン意外と慎重だね」
「うるせえな!心の弱味につけ込むような事はしたくないんだよ黒尾と違って!」
「誤解を招く発言はやめてください」


弱味につけ込むような事はしたくない、それは勿論本音だが俺はまだ自分に自信が無いし、拒否されたらどうしようという恐ろしさだってある。それにまだそのタイミングでは無い気がするから。


「とにかくももこがちゃんと立ち直れるまでは、余計な事言いたくない」


仕事のことも流星のことも片付くまでは心労を増やしちゃいけないだろうなぁと。そう思いながら季節外れの冷やし中華をすすっていると、既に昼食を終えて一息ついていた夜久が言った。


「…すごいね。お前」


突然喋った夜久に俺も黒尾も注目する。いつも彼は俺と黒尾がうるさくて収拾がつかなくなった頃に、やっと仲介に入るような人なので。


「そお?」
「俺には無理だ。木兎みたいな事」
「夜久が褒めるなんて珍しいジャン」


黒尾はからかい半分の口調だったが、こいつのコレは予想外の事に驚く自分を隠している時のものだ。俺だってびっくりした。やっくんが俺を「すごい」などと言うとは。
既にうどんを食べ終えた夜久はトレーを持って立ち上がる。去り際にとても嬉しい言葉を残して。


「赤の他人を卒業だな。」
「………」


そうか、このあいだももこから「赤の他人」と言われてしまった事を悩んでいた俺だけど。正真正銘「他人」という一言では済まされない関係まで進む事が出来ているに違いない。…他人じゃないならもっと踏み込んでもいいんだろうか?





すべての講義が終わる頃、俺の疲れは頂点に達していた。徹夜だったから仕方ない。こくりこくりと船を漕ぐ俺を何度も起こしてくれた友人たちに感謝である。

黒尾は「泊まってく?」と聞いてくれたけどさすがに週に何度もお邪魔するのは黒尾の親に申し訳ないので丁重に断っておいた。それに黒尾、または夜久と一緒にいるとももことのメールに集中できない気がしたから。


「…い・ま・終わった…と」


帰りの電車で、今日一日を無事終えたことをももこに報告する。
俺は単に講義に参加してなんとなく内容を理解しておけば良いんだけど、ももこのほうは大丈夫だろうか。まず仕事を辞めるという電話をするって言ってたし、ミレイちゃんとの関係とか、流星からしつこく連絡を受けていないかとか、色々気になることが目白押しだ。

メッセージを送ってから移り変わる車窓の景色を眺めていると、だんだん夕日が沈んでいくのが見えた。あれが昇っていた時、つまり今朝、ももこと過ごしたほんの少しの時間で俺は彼女の心を掴むことが出来たろうか。なんて自分らしくないことを考えていると、手の中にある携帯電話が震えた。ももこからだ。


『今夜はゆっくり休んでね』


…俺の事しか書かれてないな。ちゃんと起きたか、とかゆっくり休めよ、とか。そんな事どうでもいいからももこの話をしたいのに。


『夜、電話したいんだけど』


あまり気の利いた言い回しの浮かばない俺はストレートに希望を伝えた。
ももこが俺の事を考えてくれるのは嬉しいけど、ももこの周りの色んなことを解決するのが先である。それを見届けるのも俺の義務だと思うから。頼まれてなんかいないんだけどさ。





親元を離れて一人暮らしの俺は大量の野菜に大量の肉を突っ込んで焼き、大量の米とともに食う・という夕食を終えた。なんだかんだ白米さえあればなんでも美味しく食べられるのだ。自分の味覚があまり繊細じゃなかったのは救いかもしれない。

腹が落ち着いてからいよいよ携帯電話を取り出して、交換したばかりの「さくらももこ」という名前を押す。
…さくらももこ。これがあいつの本当の名前か、と物語の主人公みたいに物思いにふける余裕は無い。とりあえず通話のボタンをタップした。画面が発信中に切り替わる。ももこは出てくれるだろうか?と、俺の心の準備が済む前にすぐ通話中になった。


『もしもし』
「あ!も…もしもし。俺、木兎」


電話越しに声を聞くのは初めてだ。今朝、面と向かってあんなに図々しいことを言ったのに電話になるとなぜだか緊張してしまう。
何を話そうとしたんだっけ。どうして俺は「電話したい」と伝えたんだっけ。


「えっと…今朝はアリガト」
『なんで木兎がお礼言うの?』


ももこの声にあまり元気がないのは機械を通して聞いているからだろうか。それとも寝不足だから?流星を引きずっているから?でもまさか、ここで流星の名前を出せるほど俺の神経は太くない。


「…あの、あれだよ。アレは…仕事は?辞められた?」


とりあえず、仕事先には電話で辞めることを伝えると言っていたので聞いてみた。これもももこをこっちの世界に戻すために必要なことだから。


『……ごめん。まだなの』
「え」
『お店になんて言ったらいいか分からなくて…急だったから、色々』
「………」


それもそうだ。単に店に電話するって事じゃない。ももこの居た店にはあの女の子も働いているのだ。うまく言わないと面倒な事になりかねない。


『ごめん』
「いや……」


どうしたらいいんだろう。俺は完全なる部外者だけど代わりに電話をするとか?それこそ親みたいじゃないか。
親でも彼氏でもない木兎光太郎に出来る事は何なのか。たったひとつだ。


「…明日暇なの?」
『えっ?…ひま…だけど』
「どっかで会おう。そん時電話しろよ。俺が横についてるから」


一人でいる時に電話するよりは気休め程度になるだろう、もしも相手に何か言われたらその時は電話を奪ってやればいい。かわったところで何を言うかは考えてないけど。
ももこはしばらく黙っていたけど、少しずつ口を開いた。


『…何で木兎は、そんなに…』


その後は言葉が続かない。どうしてこんなにお節介なんだと言いたいんだろうな。しかし、たった一人の女の子に最後までお節介を貫けずして一体何を貫けるというのだ。


「明日な。また連絡すっから!」


明日で全部終わらせてやる。そして、新しい一歩も明日から。俺がこの想いをももこに伝えるのは、ひとまずもう少し後にしよう。

アレゴリーに秘めて