木兎光太郎


昼休みの開始を告げるチャイムの音。まだ先生が話しているのに机の上を片付ける音が聞こえるのは、先生も少し諦めているようだ。
私もその一人で、机を片付けながらもう一つの動作を開始する。お弁当の包みを鞄から取り出し、水筒を持って、すぐにこの席を離れることが出来る用意を。


「…起立、礼ー」


ちゃくせーき、と聞こえるのを待たずに私は一目散に走り出した。はやくはやくこの教室を出て、ユリコのクラスに行かなければ!彼女とお昼を食べなければ!と、教室から出ようとした時にちょうどドアが開いた。


「あー!!!」


ドアを開けたのは木兎光太郎、とっても騒がしくていつも私に付きまとってくる大柄な同級生だ。身体の大きさに比例して声も大きいので、私が教室から逃げ出そうとしているのを察知した彼は大声で叫んだ。


「どこ行くんだよ!」
「どこでもありません!」
「メシ食おー!」
「先約がありますんで!」


廊下じゅうに響き渡るこのやり取りにほかの生徒達はもう慣れたのか、聞こえないふりをしているのか…声の大きさからして100パーセント聞こえているだろうけど。
とにかく木兎は昼休憩の度に私のクラスにやって来て、私とお昼を食べようとする。理由は全然分からないけど。


「ユリコー!」
「ユリコぉぉ!」
「ユリコぉぉ!じゃないよ木兎は来なくていいの!」
「すみれも木兎も元気だねー」


ふたつ隔てた教室にいる仲良しのユリコのもとへやって来ると、木兎もなぜだか付いてくる。せっかく木兎から逃げてここまで来たのに。彼の足の速さに勝てるわけは無いんだけど。


「こっそり教室を抜け出す作戦は失敗したのね」
「うん…木兎のクラスが授業早く終わったみたいで…逃げきれなかった」
「おっ!うまそー!」
「あんた私たちの会話聞いてる?ふたりで食べたいの!なんで付いてくるの」


真横で木兎への不平不満を喋っているのに本人は聞こえていないらしく、広げたお弁当に感嘆の声をもらしていた。

別に私は木兎を嫌いなわけではない。こんなにこんなにこんなにしつこく付いてくる意味が分からなくて、ちょっと不気味なだけだ。


「なんでって、白石と一緒に居たいから」


そして、このように私への好意を隠そうともしないのが更に頭を悩ませる。それって、どういう意味で言っているんだ。恋愛としての「好き」なのか、友達としてか、単にからかいたいのか。


「木兎はすみれにお熱なの?」
「お熱じゃねえよ!」


がははと笑いながら木兎が言って、「いただきます」と手を合わせた。このままここで食べるようだ。しかし私に対して「お熱」じゃないのに毎度毎度付いてくるとは理解に苦しむ。


「…意味が分かんない。」
「それがさ、俺もよく分かんないんだよな」
「はい?」
「何でか一緒に居たいんだよ。けど理由がよく分かんねえから、何とも言えないんだよなあ」


私とユリコの箸が止まった。きっとユリコも「何言ってんだこいつ」と思っているに違いない。理由が分からないけど一緒に居たいとは、これいかに。


「…それってすみれのこと、女の子として好きってことじゃないの?」
「それは違えだろ!白石のことカワイイとか思った事も無いしな!」
「殴っていいですか?」
「許す。行けすみれ」
「やっ、やめろよ何だよ」


もともと木兎のことなんて恋愛対象ではなかった。けど毎日のように白石白石と呼ばれれば少なからず気になるもんだ。

でもそんなふうに自分の気持ちをコントロールされるのは悔しいから、好きにならないように抑えているのに。それをこの男、カワイイと思った事が無いなどと言ってのけるとはなかなかの度胸である。女心を盛大に踏みにじっている。


「…私の事好きでもないのに付きまとわれるのは迷惑なんだけど。」
「好きと一緒に居たいってのは違うだろ?」
「違わないよ!」


思わず大きな声が出た。好きなら一緒に居たいって思うだろうし。私のことを好きでもない男に心をかき乱されるのは御免だ!さっさとどこかに消えろ。


「そっか。じゃあ俺きっと、白石のことが好きなんだ」


…なのに木兎は突然静かになったかと思うと、このように言った。


「………はっ?」
「だってすげえ白石のこと考えちゃうし。白石は今日何食べんのかなーとか、今頃何の授業かなーとか」


ぺらぺらと喋るその内容は、普通の人なら真顔で発するのは困難なことばかり。それを涼しい顔してこの男は、この罪深い男は、私の目の前で。


「……や…やめてよ…馬鹿みたい」
「おい!いくら俺でも馬鹿じゃねーぞ」
「木兎落ち着け。」


ユリコが木兎の肩を叩いて声を潜めるように促した。やっと木兎は、ここが他のクラスで今は皆がリラックスしている昼休憩だというのを思い出したようだ。「すまん」と言ってお茶をひと口ごくりと飲み、心を落ち着けた様子で小声で言った。


「けど白石はいつも俺から逃げるよな?ってことは嫌い?」


しかしその小声の内容も直球すぎて、私の頭は爆発しそうだ。いろんな意味で。
嫌いなら木兎がここに座っているのを許すわけがないし、そもそも無視するし、蹴り飛ばしてでも拒否している。嫌いなわけじゃない。


「……好きの反対が嫌いだけとは限らないから…」
「え!じゃあ何!?」


でも、断じて好きなんかじゃない。
だって木兎はこんなふうに玄関のドアをぶっ壊してリビングまで侵入してくるような人間なんだから、そんな人に「まあ落ち着いてお茶でもしましょ」と心を許すには時間がかかる。けれど無理やり追い出す程じゃない、まだ、今は。


「どうやら考え中ですね。」


ユリコがそう言うと木兎はまだ納得しかねる顔をしていたが、彼女が私と木兎の背中を一緒に叩いたことで昼休憩は一応再開した。

もうすぐ変色しそうな名前

酢こんぶ様より、木兎さんからの猛アピール・というリクエストでした。しかし木兎さんは恋愛感情を自覚していないので、趣旨と違っていたら申し訳ないのですが…ここから距離が縮まるといいなあという話です♪ ありがとうございました!