赤葦京治


まさか自分がこんな本を買って、時間を忘れて読みふけってしまうとは思わなかった。
女の子の喜ぶお店、好きなもの、理想のデートプランなんてものを勉強するはめになろうとは。お洒落な見出しやSNSに映えそうな不思議なスイーツとか、俺の人生で関わったことないものばかり。


何を隠そう今週末、付き合い始めの彼女と初めてのデートをする事になった。今まで学校帰りにどこかに寄った事はあるけれど、休みの日にお互いに私服で出掛けるなんて初めてだ。…あ、私服。何着ていこう。


「赤葦、週末買い物いかね?」


夕方、部活終わりに着替えながら木葉さんが話しかけてきた。俺だけを指名したわけでなく、部員を何名か誘っているようだ。


「週末ですか」
「そうそう。渋谷のさあ、」
「無理です」
「おっけー!!…じゃねえよ無理なの?」


木葉さんは、まさか俺が断るとは思っていなかったようだ。これまで誘いを断ることなんか無かったから当然といえば当然か。しかし週末は白石さんとデートなのだから仕方ない。男だらけの買い物よりも彼女との初デートが優先に決まっている。


「無理です。デートなんで」
「またまたぁ」
「…デートなんで。」


鞄の中からここ数日買いだめして研究した本を提示すると、木葉さんは少々引きながらも信じてくれた。「そういや彼女出来たって言ってたな」と俺の背中をぽんぽん叩き、どうやら今エールを送られたらしい。そんな応援よりデートが成功する秘訣みたいなもんを教えてもらいたいのだが。


「そういう本ってアテになんの?」
「…一人だけで考えるよりは良いと思ったんですけど…」
「ほう」


木葉さんはそう言うと、部室の中を見渡した。とたんに嫌な予感がした、この部屋にはもう比較的うるさい人間しか残っていないからだ。

俺に対してうるさく接する事ができる人、つまりスタメン連中ばかり。と言うことは恋愛に関して詳しくないけど「とりあえず面白そう」な事には首を突っ込みたがる主将とか、「後でお礼が貰えそう」と悪戯っぽく笑うリベロとか。

俺の眉が中央に寄っている事に気づいた木葉さんは、もう一度背中を叩いた。


「今は一人じゃないだろ?一人で本を読むよりは良いと思うぞぉ」


頼もしい先輩たちに囲まれてとうとう逃げられなくなったようだ。まあ本の情報だけで大丈夫かどうか不安だったところだし、俺よりも1年間長く生きている諸先輩方にも頼ってみることにする。





日曜日、部活は休みだが早い時間に目が覚めた。まだ朝の7時なのに目がぎらぎらだ。待ちに待った白石さんとの初デートの日、待ち合わせ時間は昼の1時。まだ6時間もある…どうしようか。いや、やる事は山ほどあるはずだ。


「赤葦、私服で会うのは初めてなんだろ?じゃあ第一印象めっちゃ大事。配点高ぇぞ」


木葉さんの言葉を思い出す。そうだ、まだ着ていく服を決めていないのだ。
これまで俺の私服を何パターンか目にしている部員達は、俺の私服について「恐らくマイナスでは無いけどプラスにもならない」と正直に評価してくれた。

クローゼットを開いて、いつも真ん中辺りにかけているブレザーやシャツを今日は端へ移動させる。折りたたんで部屋の隅に片付けていた全身鏡の埃を拭いて、カーテンを開け明るい位置に設置した。
これらの用意から実際に服を決めるまで2時間以上も要した事は、きっと俺の自伝に載せてやる。


「あとさぁ、女の子ってニオイに敏感そうじゃね?クサイの無理〜とか言ってんじゃん」


続いて木兎さんが甲高い女性の声を真似ていたのを思い出した。
ニオイか。たぶん自分は臭くはないと思うけど、良い香りがするかと聞かれればノーだ。でも香水なんか持ってない。どうしたもんかとリビングで朝食にパンを食べていると、母親が「行ってきます」と出かけていくのが聞こえた。


「………」


親の部屋にこっそり入るなんていつぶりだろうか。今日は両親ともに何かの用事があるらしく、もう家には俺しか居ない。
悪い事を企んでいるわけじゃない、ちょっとだけ親の香水を拝借しようとしているだけなのだ。…が、いくつかある香水を嗅いでみたけれど、どう足掻いても自分に合う香りだとは思えなかった。なんたって全部女性用だ。

諦めて部屋を出ようとした時、父親の使用する棚にあるものを発見した。スーツを消臭したり、ついでにちょっと爽やかな香りがつく便利な代物だ。しばらく考え込んだ結果、そのスプレーをシュッと自分に振りかけてから両親の部屋を出た。悪くない匂いだ。


「で!待ち合わせ時間よりも10分くらい早く着いておくべき!お前の姿を見つけた彼女が笑顔で駆け寄ってくるのを見たいなら!」


小見さんの意見はとても納得のいくものだったので、俺は15分前には待ち合わせ場所に到着しそうだった。

東京という土地は、デートに使用する場所はどこも人が多い。それは仕方が無いことなんだけどさすが日曜日、混み具合は半端なかった。けれど待ち合わせ場所にいれば、俺の姿を見て慌てながら、でも嬉しそうに駆け寄ってくる白石さんを見ることが出来る。

うきうきしながら到着すると、なんという事だろう。先に白石さんがその場に着いていた。


「あっ!赤葦くん早かったね」
「あ……あれ?うん…白石さんも」


いきなり出鼻をくじかれてしまって、なんの面白みもない返答をしてしまった。あれだけ本を読んだり先輩とともに予習したのに、予想外のことには対応できないとは。
しかしすぐに別の作戦に移る。


「待ち合わせに彼女が現れたら…私服を褒める!とにかく褒める!向こうだって赤葦に会うために悩んでるはずだからな」


木葉さんの声が脳内でこだました。しかし、木葉さんの提案をいちいち考えて実行する必要など無かった。現れた白石さんはこれまで俺が見た中で1番可愛らしかったのだ。


「……どしたの?」
「や…今日すごい可愛いね」
「えっ!?」
「……ごめん。今すぐ直視できない…」


褒め言葉として正解なのかは分からないけど、あれこれ考える前に単純にこう思ってしまった。制服よりも長めのスカートが風に揺れて、淡い色のブラウスが彼女の腕をふんわりとしたシルエットで包み、いつもストレートの髪の毛がゆるく巻かれている。

大変だ。次、どうするんだったっけ。


「赤葦くんも今日、なんか…素敵だね」
「え…」
「いや、いつも素敵なんだけどッ」


そう言って顔を伏せる白石さんは耳まで赤くなっていた。照れ隠しなのか、巻かれた髪を耳にかけたりまた下ろしたりと髪の毛を触っている。その白い手とか、柔らかそうな髪とか、控えめにマスカラのついたまつ毛が揺れるだけで色んなものが吹き飛んだ。


「ごめん、私、今日キンチョーして…でも、すごく楽しみだった」


白石さんがはにかみながら言ったので、とうとう頭の中に入れていた全てのプランがクリアされてしまった。先輩方の名言も、本に載っていたおすすめのお店も、彼女を喜ばせるワード辞典なんかも。
言葉を失った俺は無言で白石さんの手を取って、細い指に自分の指を絡めた。


「……赤葦くん?」


戸惑いながらも俺と手を繋ぐのを拒まない白石さんは、急に黙り込んだ俺の顔を見上げる。この世界に存在するどんな小動物やアイドルなんかより、今俺の顔を上目遣いで見ている女の子が一番可愛いんじゃないか?


「…俺、考え過ぎてたみたい」
「へ、なにを…」
「行こう」
「うん?」


手を繋いで歩き出すと、白石さんも小走りで俺の隣まで寄ってきた。
確かこのあと、行きたい場所を聞いたり「あそこが美味しいらしいよ」とすすめたりする予定だったのだが、とりあえずどうでもいい。


「今日は楽しもうね」


台本にはなかった言葉だけど、俺が声をかけると白石さんは一瞬目を丸くして、すぐに「うん!」と微笑んだ。

用意も大切だけど、彼女が俺と会うのを「楽しみだった」と言ってくれるのなら、無理な見栄なんか張らなくて良いのだ。
明日先輩たちに教えてやろう。

蜂蜜よりも甘い愚考

葉月様より、初デートにあれこれ悩む赤葦くん・というリクエストでした。しかし赤葦くんが悩むイコール先輩達も出しゃばります!(笑) 書くのが凄く楽しかったです〜♪ありがとうございました!