月島蛍


ばしん!と大きな音を立てて鞄を置いたもので、クラス中の視線を独り占めするはめになった。「ごめんごめん」と平謝りで席につき、鞄の中身を机の中に移す。その作業をしている間も思い出すのは、昨夜の電話のことばかり。


「蛍、20日会いたい」
「何曜日だっけ?」
「土曜日」
「無理。部活」


無理。って一蹴する事ないじゃんか、仮にも私たちは恋人同士で、彼女が「会いたい」と言ってるんだから!…と電話越しに怒鳴り散らした私の声に蛍の大きなため息が聞こえた。


「キャンキャンうるさいんだけど…」


ぶちん、と何かがキレた私はその後なんと返したのか覚えていない。





「…むかつく…」


鞄の中身をすべて出し終えた時、ぽろりと口から愚痴がこぼれた。どうしてわざわざ20日に会いたいのか、理由を聞いてくれてもいいんじゃないのか。何かの記念日だったっけ?大事な用事があったっけ?と、ひと声かけてくれても良いはずだ。

もういい、別に会わなくたってさ。謝ってくるまで絶対に連絡してやらないからな。


「ツッキーと喧嘩でもした?」


昼休みに山口くんが私の様子を伺いに来た。蛍がわざわざこんな差し金を寄越すとは考えにくいので、私の不機嫌っぷりを見た山口くんが独自で起こした行動だろう。


「…べつに。」
「したんだね」
「してない。蛍が一方的に悪いだけだし。謝ってくるまで許さないし」
「…ツッキーは自分が悪いと思ってなさそうだけど…」


そう、そこがまたムカつくのだ。蛍との喧嘩はいつだって私がかんしゃくを起こし、呆れた蛍が私の気が済むまで私を放置しておき、頃合いを見て「まだ怒ってんの?」などと声をかけてくる。ちょうど私の気持ちが落ち着いた頃に。

だからどんな喧嘩の内容だったとしても、蛍に謝られたことは無い。それはそれで良いんだけど今回だけはどうしてもムカつく。


「ムカつく、まじでムカつく」
「…今度は何でそんなに怒ってるの?」
「会いたいって言ったのに、その日は無理って拒否された。」


私が言うと、山口くんは目を丸くした。「え、その程度のこと?」という顔で。私だって、逆の立場でこの部分だけ聞いたら「その程度のこと」と思うだろう。でもそうじゃないのだ。


「…それって、どうしてもその日じゃなきゃダメな用事でもあるの?」


この一言を山口くんは普通に言ってのけるのに、どうしてあの男はそれが出て来ないんだろう?どうしても20日でなければならない理由を、蛍よりも先に山口くんに伝える事になってしまったのも腹立たしい。


「…そうだよ。今月の20日じゃなきゃ」
「なんで?」
「………誕生日だから」


私が絞り出すように言うと、山口くんは無言となった。その間と、彼の顔を見れば何を考えているのか予想がつく。


「ツッキーは白石さんの誕生日を…」
「忘れてるんじゃないの?」


そうみたいだね、と山口くんも苦笑するしかないようだ。
付き合い始めの時、確かに互いの誕生日を教えあったはずなのに。蛍は最初からあまり情熱的ではなかったけど、誕生日は覚えてもらえてると思っていたのに。けどもう遅い。


「山口くんは何も言わなくていいから。蛍が気付くまで私、蛍のこと無視するから!」


そうでもしなきゃやってられない。いつまでも思い出さないようなら仕方ない、このまま別れてやるもんね。彼女に無視される辛さでもって反省しろ、そして思い出せ!





窓の外ではゆっくりと雲が流れていて、そう言えばここ最近やけに静かだなあと感じた。毎日バレーの練習のみで、それ以外には浮き沈みのない日々。何だったかな、何が足りないんだろう。


「あ」


そこでやっとすみれが最近、連絡を寄越していないことを思い出した。通話履歴はすでに下の方にあり、メッセージアプリの履歴も埋もれ始めている。こんなに彼女が連絡してこないなんて珍しい。


「ツッキー部活いこ」


山口が教室まで迎えに来たので、もうそんな時間だったのかと気付く。教室の入口に立つ山口と合流し歩き始めると、どうやら何か気になる事があるようだ。僕の顔色をちらちらと伺ってくるから。


「何?」
「あっ、え?」
「そんなに見られると困るんだけど」


困るっていうか男に凝視されるのはキモイんだけど、キモイなんて言うとこいつは本気でショックを受けそうだから我慢した。


「何かあるんでしょ。何?」
「…ツッキー、俺の事はすぐ気付くね…」
「え?」
「あーいやぁ、えー、白石さんとは上手くいってる?って思って」


やけに白々しい質問を、白々しい態度で聞かれた。山口は僕とすみれが付き合い始めた時から何かと「どんな感じ?」と聞いてくるけど、いつもの興味本位では無いような気がする。気持ち悪いな、いったい何だ。


「べつに普通だけど」
「普通かあ…」
「…あえて言うなら、最近大人しくしてるなって感じかな」


毎日毎日朝から晩までとは言わずとも、何かと僕の教室に来たり連絡を寄越していた彼女が大人しい。詳しく調べてみると5日間ほどは連絡が無いようだ。5日も気付かなかった僕も僕だけど。


「お、大人しいんだ…」
「それが何?もしかしてすみれに何か頼まれた?」
「いや!俺が勝手にやってる事だから!」


山口は大声で否定した。そして、はっと自分の口を覆った。僕が目を細めて彼を見下ろしていることに気付いて。


「…勝手に?何を?」


威圧しているつもりは無いけど山口には後ろめたい気持ちがあったのだろう、しばらく無言であったがついに肩を落として話し始めた。本題に入る前に、このように付け加えてから。


「……白石さんには言わないでね…」





5日も連絡を取らなかったなんて初めてかもしれない。

蛍は私が5日間まったく連絡していない事を不思議に思わないのだろうか。私のことなんて頭の片隅にも無いのだろうか。
今まで練習の邪魔をした記憶もないし、忙しい時に無理やり誘った記憶もないのに、どうしても20日会いたいという理由すら聞いてくれないとは。


「…ブロックしてやるっ」


今の世の中、嫌な相手をシャットアウトするのは簡単だ。指一本でメールの拒否、着信の拒否、メッセージの拒否ができるんだから。

いいもん誕生日は土曜日だから、お母さんとどこかに買い物でも行って新しい服を買ってもらえばいい。蛍と一緒じゃなくたっていい。
どうせ練習があるんだし、夕方少し会いたいなんて思っていたけどそれもいい。美味しい晩ご飯をたらふく食べて早寝してやる。


「………ん?」


こんこん、と部屋のドアをノックする音で目が覚めた。知らない間に眠っていたらしい。外はもう真っ暗だ。晩ご飯食べ忘れちゃった。


「すみれー、いるの?」
「いるよー。寝ちゃってた」
「お客さん来てるわよ」
「お客さん?」


こんな時間に、私を訪ねてくるお客さんなんて居ただろうか。いくら考えても分からなくて、鏡で髪の毛を直しながら「誰?」とお母さんに聞いた。


「なんか、すんごい背が高い男の子」


そして返ってきた答えに驚いて、持っていたヘアブラシが床に落っこちた。


どうしよう。どうしよう。


出るべきか出ないべきか。無視するって決めたんだし。いや、でも家まで来てるってことは出なきゃまずいよね。どんな顔したらいいんだろう、めちゃくちゃ怒っているはずなのに突然過ぎて頭が追いつかない。


「………はい。」


だから気持ちの整理がつかないまま玄関のドアを開けると、紛うことなき恋人が仏頂面で立っていた。


「何で連絡ブロックしてるんデスカ。」


更に、彼にしては低い声でこのように言われた。そこで寝落ちする前に、怒りの勢いでブロックしたことを思い出す。そうだ私は怒っていたんだ!蛍の冷たすぎる対応について!


「ブロックしましたけど何か」


そんなわけで、遅ればせながら私も怒り口調で言い返してやった。蛍は額に青筋が走ったようで、眉をぴくぴく動かしている。


「…僕をブロックしようなんて100年早いんじゃないの」
「そんな事もないよ。ブロックするの簡単だったよ、一瞬で終わりましたけど?」
「言うじゃんか…」


蛍の声は震えていたけど、私の家までわざわざ来ると言うことはもしかして、思い出したのだろうか。
そんな期待が頭を過ぎりはしたものの、自分からその話題を出すのは悔しい。下手に出てはおしまいだ。私は怒っているんだから!


「…何しに来たんですか?」
「………べつに。」
「はッ!?」


それなのに蛍が悪びれもなく「べつに」なんて言うから、冷静でいようと思っていたのに頭に血がのぼり始めた。近所の皆さんごめんなさい。


「何?こんな時間に来といて、べつにって何?用事ないの?じゃあ帰れば!?」
「用事が無いなんて言ってませんけど?用事があるから来たんだけど?言ってやろうか?その口閉じて黙って聞けよ」
「どうぞどうぞ聞きます言って下さいな!」


そこまで言い終えて、息が途切れてぜえぜえと肩を揺らした。蛍も同じタイミングで息を切らしたらしい、深呼吸してから静かに言った。


「………ゴメン。誕生日、忘れてた」


幻聴だろうか。
今、蛍の声で謝罪が聞こえたような。

…いや、気まずそうに視線を落とす彼を見れば幻聴ではない事が分かる。蛍が謝った!


「そろそろだなとは思ってたんだけど。あの時は思い出せなくて」


そして、ぼそぼそと言葉を続けた。私の誕生日を完璧に忘れた訳では無かったこと、しかし5日前の喧嘩の時には抜けていたこと。


「…今回は悪かったですよ、僕が」


それからもう一度謝った。びっくりして信じられなくて蛍の顔を見上げると、「見るなよ」と大きな手で顔を隠している。けど、隠しきれていない耳は赤い。
蛍が耳を赤くしてまで私に謝ってきた。ものすごい快挙だ。私はここが玄関先である事も忘れて彼に飛びついた。


「わっ」
「…遅いっつーの…」
「遅くないだろ、今週末じゃん」
「部活で会えないんでしょ。意味無いもん」


ああまた私は可愛くないことを。部活は仕方が無いというのに。


「…20日の部活は昼までだよ。ごめん、言えてなくて」
「え?」
「午後からでも良いでしょ」


かばっと蛍から身体を離してもう一度見上げると、さっきと同じく必死に恥ずかしさを隠すような表情で私を見下ろしていた。
眼鏡越しに見える目からは「悪かったね」と彼なりの謝罪の色が。ちくしょう、こんな風にされたら許すしかない。


「………許す!」
「偉そうムカつく」
「なっ、今回は蛍が悪いんじゃんか」
「うっさいな、ブロック解除しろよ」
「うう……」


そうだった、怒りのブロックをかましたせいで連絡が取れず、蛍はわざわざ私の家までやって来たのだ。
「後でやっとく」と答えると蛍は頷いて、今日はこれで帰ることにしたようだ。歩いていく彼の背中に手を振ろうとすると、蛍が立ち止まって振り向いた。


「…欲しいもの考えときなよ。」


そして極めつけのこれ。

欲しいもの、何を頼もうか?と考える前に動いた私の身体は再び蛍の胸の中へダイブしていた。


「………すきっ!」
「キライ。」
「ヒドイッ!」

プラネタリズムで飛ばせ

雪那様より、喧嘩をして自然消滅の危機になった二人が仲直り・というリクエストでした。5日間連絡を取らなかっただけなので、自然消滅と言うには大袈裟かもですが(笑)書いててすんごい楽しかったです。ありがとうございました!