孤爪研磨



昨年はじめての彼女ができた。名前は白石すみれ、高校に入ってから出会ったわけではなくて幼馴染み。

だからクロも彼女を知っているし、おれの親も彼女の親も知り合い同士で、おれたちがどこで何をしているかなんて身内には筒抜け。それだけが厄介だが、それを差し引いても今の状態には満足していた。
たとえ家族の介入があったとしても、それが原因ですみれと離れようとは思わないほどすみれはおれの一部として成り立っているのだ。


「こんこん、お邪魔しまーす」


部屋のドアをノックせず、口頭で「こんこん」と言いながら入ってくる彼女はアルバイトを終えた様子。
すみれは近くのスーパーでレジ打ちをしている。なるべくおれがバレーの練習をしている時間にシフトに入っているので、一緒に過ごす時間が減るわけではない。


「はー!疲れた」
「お疲れさま」
「あのね、今日おもしろいお客さんが居てね」


おれの視線はスマートフォンの画面に向かっているが、お構い無しですみれは続けた。この状態でも、おれはきちんと彼女の話を聞けて理解しているから。器用に産んでくれた親には感謝だ。


「…で、結局薄いほうの醤油買っていった!」
「ふーん…」
「研磨はどっちが好き?」
「薄口」
「やっぱり。私は濃口!」


おれたちが何の話をしているかって、醤油の味の話だ。心底どうでもいい話。こんな会話を難なく続けられるのは相手がすみれだからだろう。
おれの返事がいくら素っ気なくても短くても、たまには否定的であっても、すみれとおれは全く衝突しない。小さい頃から一度も。

そんな思い出にふけっていた時、すみれではない別の誰かが部屋の中に入ってきた。同じく幼馴染みの黒尾鉄朗だ。


「俺も濃口が好き〜」
「…もうその話終わったよ」
「うそん」


クロはすみれに「バイトお疲れ」と声をかけ、断りもなくおれのベッドに座った。
勝手にベッドに座るのは別に構わない。クロはもう風呂上がりのきれいな状態のようだし、いつもそうしているから。でも、クロが来ると少しだけカチンとくる事がある。毎回ではないんだけど、時々。


「バイト慣れた?」
「うん。もう半年だし」
「もうそんなに経つか?やべえ早ぇ」


ここまではまだ平気だ。おれがゲームに集中しているあいだ、ふたりは勝手に会話をして空気を作ってくれるから。無理やり俺に話を振ってこないから快適だし。
でも、時々おれのほうから彼らの会話に割り込むことがある。…今日はそんな予感がする。


「けど9時までって遅くね?な?研磨」
「たまに8時までの時もあるよ」
「8時まで働いて着替えて色々して、家に着くのは…8時半すぎくらい?ちょっと遅いよなぁ、なあ?」


クロは俺とすみれのひとつ歳上で、この近辺では一番の上級生だったこともあり過保護なところがある。過保護なだけなら良いんだがそれはお節介へと進化して、時々おれの血管を破裂させそうなほど。

すみれは気にしていないみたいだけど、というか俺も少し前まで気にしていなかったんだけど、俺とすみれはもう恋人同士なのだ。
「バイト遅くないか?」「平気か?」そういう心配ごとはおれの口から直接言いたい言葉である。…のに、先にクロがさらりと言ってしまうのが腹立たしい。


「大丈夫だよー近いもん」
「へえ?すみれも一応JKってやつだから気を付けないとな」
「一応って!ひっどー」
「たまには迎えに行ってやれば、研磨」


そう言っておれを見るクロは特に何も考えていないのだと思う。おれだってすみれがアルバイトを始めたと言った時には終了時刻の確認くらいした。迎えに行こうか、と聞いたことだってあるに決まっている。


「…迎えにいくのはいいけど。すみれは要らないんでしょ」
「うん。自転車で5分だし」
「ほら」
「ほら、じゃなくてさ?お前らちゃんと恋人してる?バイトの送り迎えとか恋人っぽいこと!」


ここがクロの面倒なところで、おれたちをいつまでも世話の焼ける幼馴染みだと思っているのだ。そりゃあ今までたくさんの気を回してくれて感謝しているけど、それとこれとは別だと思う。


「恋人っぽいことしてるかどうかなんて、クロに言いたくないんだけど」
「えー」
「すみれ、立って」
「え?」


おれがスマートフォンを机に置いただけでなく突然立つように命じたので、すみれはきょとんとしながらもゆっくり立ち上がった。


「クロ、すみれ見て」
「はい?」


クロもクロで、きょとんとしながら一旦おれを見たあとですみれを見た。

すみれは学校帰りにそのままアルバイトに行き、アルバイト先から直接うちに寄ったから制服姿だ。スカートからのぞく脚のラインは昔のように直線ではないし、入学当初は大きめだったブラウスも今はジャストサイズ。


「すみれは一応JKってわけじゃなくて、れっきとした女子高生だよ」
「お、おう?」
「当然女の子だから心配な事はあるよ。でも、そういうのおれの役目だから」


未だにきょとんとしているクロを横目に、すみれに座るよう指示すると素直に座った。腰を下ろす時の仕草だってもう昔のそれではない。そしておれたちの関係も、おれの気持ちや彼女に対する思いだって昔とは違うのだ。


「すみれのこと心配すんの、おれの仕事だから」


そこまで言うと、物わかりのいいクロはどうやらおれの虫の居所が悪いのを察知したらしい。視線を泳がせ「それもそうだな」と呟きながら立ち上がり、たった今入ってきたばかりのドアのほうへと歩いて言った。


「じゃあ、また朝練で…」
「うん。じゃあね」


そしてクロは控えめに手を振ると、静かにドアを開けて帰っていった。
なんだか無理やり追い返したような気もするけど、あれ以上居られたらおれは本当に怒ってしまうかも知れないから良かったと思う。クロはそれを分かっているんだろうけど。


「……研磨…」


しかし、あまり分かっていないらしいすみれはクロが何もせずに退室したことが不思議みたいだ。


「クロもいたほうが良かった?」


だからこう聞いてみると、すみれはやっぱりおれの苛々には気づいていなかったみたいで目を丸くした。
結局クロが居なければおれたちの関係も無かったわけだし大切な存在なのは同じなんだけど、クロの介入をどこまで受け入れるかの判断基準が統一されていないのが現状だ。けれどすみれは珍しく首を横に振った。


「クロには悪いけど、今日は研磨とふたりがいいな」


ぱちり、と自分の瞬きの音が聞こえたような気がした。


「…そうだね。クロには悪いけど。」


クロには悪いけど、クロには本当に申し訳ないんだけど、すみれのことを心配したり守ったりするのはおれの役目になっている。彼氏ってやつなんだし。今まで通りに世話を焼いてくれるのもありがたいけど、すみれへの世話だけはおれに焼かせて欲しい。

…とクロ本人に伝えたらショックを受けてしまうかもしれないから、まだ言えないんだけど。

こころね集積所

あじゃ様より、過保護な黒尾をウザがる夢主と研磨・というリクエストでした。研磨だけが黒尾をウザがってるんですが…黒尾が可哀想に思えたので夢主はウザがりません(笑)初めての研磨でしたが楽しかったです、ありがとうございました!